アーティスト 加藤雄太 のブログ
展覧会のレヴュー、本の感想、その他制作の日々の模様など。
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《カール・ヨハン街の夕べ》
このジャンルでは、1人の画家について1点しか書かないつもりだったのだけど、またムンクを。


今回は、

《カール・ヨハン街の夕べ》
エドヴァルド・ムンク 1892年



ムンクについては、前回の《叫び》の時に書いたから省略。

この絵は、どうだろう?
《叫び》に負けず劣らず不気味に思うかもしれない。

右の黒い影がムンク。
道の奥には国会議事堂がある。
ムンクは奥へ進んで行く。
その他の人々は、こちらへ向かってくる。なんとも生気のない顔をして。

調べてみると、この歩いてくる大勢の人々は、服装からも分かるようにブルジョワらしい。
ブルジョワの規範と制約に縛られた人々、そして法と秩序の砦の国会議事堂。国会議事堂の窓は光を放ち、ブルジョワたちを見下ろしている。
などと、色々読み解けるらしい。

が、僕としては、そんなことはどうでもいい。

大勢の人々の流れに逆らい、ひとり逆行して進むムンク。
この絵に漂うのは、圧倒的な孤独感、それが重要だと僕は思う。

以下、ムンクの日記。
------------------------------
通りがかりの人々は皆彼にいぶかしげな独特の視線を投げかける。
彼らが自分を見ている、じっと見つめているのを彼は知っている。
どの顔もどの顔も、街灯の光に青ざめている。
彼は何か考え事をしようと必死に試みたが、無駄だった。
頭の中は空っぽだ。
それで上の窓のほうをじっと見つめようと努力した。
そして再び通行人が彼の視線を遮る。
全身がわなわなと震え、どっと汗が噴き出す。
------------------------------

ムンクの感じた孤独感、漂っていると思う。伝わってくる絵。
これは夢ではなく、ムンクの場合は現実。






しかし、前の《叫び》この《カール・ヨハン街の夕べ》を描いた十数年後、こんな絵を描いてます。

《太陽》
452.4×788.5cm(でかいっ!)

うーむ、どうですか。





《叫び》
絵画鑑賞のススメ】第2回です。


今回は、


《叫び》
エドヴァルド・ムンク 1893年


エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch)[1863-1944]は、ノルウェーの画家です。
北欧のアーティストっていうのはあまりいないので、珍しい。あ、北欧は街などに洗練されたデザインが溢れていることは承知で言っています。

例によって、このエントリー・ジャンルでは、あくまで作品1点について語るので、あまりムンク自身について詳しくは書きませんが、さらっとだけ説明すると…、

ムンクは軍医の息子で、
4歳のとき母が死去、姉のソフィエが15歳で死去、弟は30歳で死亡、父はムンクが29歳のときに死亡、妹のラウラは発狂して精神病院に。
唯一健康だったのが、1番下の妹インゲル。このインゲルは、ムンクの絵のモデルとして、良く登場する。
ムンクは、自分についてこう言っている。
「病・狂気・死、それらは私のゆりかごに付き添う天使だった」

ノルウェーは当時、遅れた文化都市でした。
ムンクが故郷で評価されるのは1908年(45歳)の時です。
いかにノルウェーが遅れていて、ムンクが進んでいたか。

ちなみに、ムンクを1番初めに評価したのは、作家のイプセン
他にもストリンドベリに擁護されたりする。マラルメの火曜会にも出席。

で、ムンクの理解には他にも本当に色々あるけど、省略します。


絵の話に入ります。
なぜ、この絵を選んだかと言えば、おそらく最も勘違いが多くて、誤解されているだろうと思うからです。
良く、「ムンクの叫び」と言われますが、上にも書いたようにこの絵のタイトルはあくまで《叫び》。
ここが、そもそも勘違いのきっかけだと思います。

つまり、絵の中央にいるのはムンクなんですが、このムンクは顔の両側に手をあてて叫んでいるのではないです。
耳に手をあてて、耳を塞いでいるのです。

ムンクは日記にこう書いています。
『僕は友人2人と散歩していた。日が沈み始め、突然空が血のように赤くなった。僕は立ち止まった、疲れ切って手すりに寄りかかって。青黒いフィヨルドと街の上に、血の色と炎の舌が見えた。友人たちはそのまま歩いていたが、僕はそこに立ち止まった、恐ろしさに震えながら。僕は大自然を貫く終わりのない叫びを聞いた。色彩は悲鳴を発した。』

ようするに、周囲の自然から、超自然的な叫びが聞こえて来て、それに怯えて耳を塞いでいるわけです。

左の黒影は、2人の友人ですね。
奥の景色は北欧独特のフィヨルド。
さらにいうと、この橋の奥、つまり左の奥の方には、発狂した妹ラウラが入院している精神病院があります。


ムンクというと、この《叫び》ばかりが有名ですが、他にもたくさん良い作品があります。
僕は好きな画家です。


どうでしょう?
ちょっと見え方が変わるのでは?
へんてこな絵ではないのです。





《開かれた聖書のある静物》
ゾラの小説映画についてレヴューを書いたりしたけれど、ちょうどいいから、関係のあるある絵について書こうと思います。
本当は、もっと前に書こうと思ったのだけれど、なんか色々あって今に至ります。

ゾラの自然主義文学や『ルーゴン・マッカール叢書』については、前に書いた通りです。



で、取り上げる絵はこちら(→)。


《開かれた聖書のある静物》
フィンセント・ファン・ゴッホ 1885年



ゴッホという画家について書くのではなく、この作品1点のみにしぼって書きます。

なぜこれが、ゾラと関係あるのか?
なぜゴッホはこの絵を描いたのか?

長くなるのもあれなので、一応非常に手短にさらっとゴッホについて言うと、彼の人生は変化に富むというか、奇天烈というか、すごい。
1853年に牧師の家に生まれたゴッホ。自らも説教をしたり、布教活動に取り組むのですが、ベルギーの炭坑地帯であんまりにも熱心に布教をするんですよ。貧しい人を過剰に助けまくったりして。で、逆に奇妙に思われて、伝道師をやめさせられることに。
で、27歳で画家を志します。27歳で。
で、死ぬのが37歳です。
そう、画家としては10年しか活動していない。その10年で残した作品が約2000点。驚愕。2日で1点くらいのペース。

ゴッホについては、もうこのくらいにして。

それで、この絵が何かって言うと、死んだ父親について描いたもの。
聖書は、牧師だった父親を表しています。で、右上の方に、火の消えたロウソクがありますね。これは死んだ父親へ絵の追悼を表しています。でも、このロウソクはもう1つ表しているものがあって、何かと言うと、父の価値観の時代は終わった。古い価値観の時代は終わった、ということ。

あれ、ゾラは?何でゾラと関係あんのさ?

いや、あるんだよ。
右下に、黄色い表紙の本が置いてありますが、それがゾラのルーゴン・マッカール叢書の第12作目、『生きる喜び』なのです。

この『生きる喜び』はゴッホ自身を表しています。ゾラが自然主義文学の代表と言われるように、ゾラの愛読者だったゴッホは新しい価値観をこの本で示し、自分になぞらえているわけです。
古い価値観の時代は終わって、新しい価値観の時代がくるんだ!というメッセージが込められているわけです。
それだけゾラは新しかったし、ゴッホは古い時代を抜け出して、新しいものを打ち出したいと思っていたということではないでしょうか。

ちなみに『生きる喜び』は、当時フランスで熱烈に読まれていたショーペンハウアーの哲学への、ゾラなりの回答と言われています。
ショーペンハウアーも読んでみたいけれど、なにせ他に本がたまっているし、今読むと…ちょっと、まずそう……なんで、いずれ読んで確認。

ということで、絵画の見方でした。
こうやってみると、1枚の絵でも色々と意味があるでしょ。