一年以上前から楽しみにしていた展覧会。
ついに…ついに…。
エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch)[1863-1944]はノルウェーの画家。
以前の
《叫び》の記事からムンクについて引用すると、
軍医の息子として生まれる。
4歳のとき母が死去、姉のソフィエが15歳で死去、弟は30歳で死亡、父はムンクが29歳のときに死亡、妹のラウラは発狂して精神病院に。
唯一健康だったのが、1番下の妹インゲル。このインゲルは、ムンクの絵のモデルとして、良く登場する。
ムンクは、自分についてこう言っている。
「病・狂気・死、それらは私のゆりかごに付き添う天使だった」
ノルウェーは当時、遅れた文化都市だった。
ムンクが故郷で評価されるのは1908年(45歳)の時。いかにノルウェーが遅れていて、ムンクが進んでいたか。
ちなみに、ムンクを1番初めに評価したのは、作家の
イプセン。
他にも
ストリンドベリに擁護されたりする。
マラルメの火曜会にも出席しました。
今回の展覧会は、作品単体を鑑賞するというよりも、複数の作品の全体を通して、ムンクの「装飾性」を見てみようという企画のようだ。
ムンクには「生命のフリーズ」に代表される、フリーズという作品群がある。
展示では、
第1章は、「生命のフリーズ」。
第2章は、アクセル・ハイベルク邸の装飾。
第3章は、リンデ家の子供部屋用に依頼された「リンデ・フリーズ」。
第4章は、ベルリン小劇場のための「ラインハルト・フリーズ」。
第5章は、オスロ大学講堂の壁画。
第6章は、フレイア・チョコレート工場社員食堂用の「フレイア・フリーズ」。
第7章は、オスロ市庁舎のための壁画「労働者フリーズ」。
をそれぞれ見ていくこととなる。
さて「フリーズ」とは、建築における帯状の装飾の事を指す。
つまり、ムンクは自作を横に帯状にならべて、全体として一つの調和を生むようにしていた。それが上記の作品群だ。
実際、ムンクは自分のアトリエや友人のアトリエに、展示を考えて横にずらっと作品を並べている。その様子の写真も多数展示してあったが、大変興味深かった。
この展覧会の素晴らしい所は、そのムンクのプランを、展示室に再現し作品を陳列しているところである。どの部屋も、横に連なるムンク作品…。
さて、期待に胸を膨らませ、入場したUTさん。
まずは「生命のフリーズ」が並ぶ第1室。
………やられた。
部屋を見渡した瞬間からだった。
あまりの素晴らしさにゾクゾクし、頭がボォーっとしてくるなか、横に連なる作品を見回していた。
気絶しそうだった。
それぐらい、感銘を受けた。
僕の感想や解説など書かなくていいんではないかと思ってしまう。
おススメです。なんて言うよりも、見なきゃ死ねないですよ。と言いたい。
なんなんだろう、あの空間は。
期待が裏切られなくて、本当に良かったと思う。
会期が始まったばかりのせいか、ムンクにしてはとても空いていて、いくらでも鑑賞できる。なんたる贅沢!!
会場で一度死んで、甦った気がします。
度々言っていることですが、重大なヒントを得た気がするのです。
[メモ]
ムンク展@
国立西洋美術館 (上野)
2008年1月6日まで
巡回:
→兵庫県立美術館