無事、レポートも出し終わり、1限の授業後に行って参りました。
まず、結論から言うと、良かった。
モーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo)[1883-1955]は、フランスはモンマルトルを中心に活躍した画家。美術学校などには行かず、独学で絵を描いた。アルコール依存症で何度も入退院を繰り返した。実の父が誰かは今でも分かってない。母シュザンヌ(本名はマリー=クレマンティーヌ・ヴァラドン)は、
ピュヴィス・ド・シャバンヌや
ドガや
ルノワールの絵のモデルで、モデルをするうちにシュザンヌも絵を描くようになり、画家として自立することになる。精神病院に入っている息子に、落ち着くからと絵を描くことを勧めたのはこの母である。しかし、シュザンヌはユトリロに絵の指導はしていない。自分の画業に忙しく、息子のユトリロにはかまってやらず、ユトリロは孤独であった。
生い立ちを書いていると、膨大な量になるので、さっさと展覧会の感想へ。
ユトリロと言えば、落ち着いた感じの色調で、ひたすら街並を描いた、という印象がある。今回の展覧会のパネル説明で知ったのだけれど、あれだけの数の街並を描いておきながら、ユトリロは実際に外にキャンバスを立てて描いていないらしい。アルコール依存症により、部屋に閉じ込められていて外に出ることができなかったので、もっぱら写真の載っている絵はがきを見ながら描いた。究極の孤独。淋しい魂。まさに展示の2番目のセクション「白の時代」はそんな絵で溢れていた。素晴らしかった。魂の孤独を街並に託して、ひたすら画面に定着させているのがひしひしと感じられる。ちょっと涙が出そうになった。だって、自分とダブるんだもん。Doblogに僕の絵をアップしたことはないけれど、最近はもっぱら滅茶苦茶デフォルメした超シンプルな風景に、超シンプルな家が一軒だけある、という絵を描いてます。だから、よりグッときてしまった。心を風景にたくす、というこの感覚。
描かれているのはモンマルトルで、まさに灰色のパリという感じ、いや違う、そこには一見風景という形をとったユトリロがいるんです。
静寂・淋しさ・孤独、そんなものが刻み込まれている。ただの街並として終わっていない。伝わってくる何かがある。
分かる、分かるよ、ユトリロッ!
画面に人物は全く描かれていなかったり、描かれていたりする。けれど、描かれていたとしても人が人として主張していない。なんていうか、そこに描かれている人物が、描いているユトリロに無関心。そんな印象を受ける。そして、不思議と人は2人組で登場していることが多い。これが、周りの孤独な街並と対比していて面白いと思った。
ユトリロの画風は、「モンマニーの時代」「白の時代」「色彩の時代」「晩年の時代」と分けられる。僕は、この「白の時代」がやはり1番いいと思った。画家の魂があった。色んな物が詰め込んである絵。
他の時代は他の時代で色々とすごいエピソードがあるんだけれど、それは会場でチェック(爆)。ちゃんとセクション毎に素晴らしいパネル解説があります。絵と等位置にまるで作品のようにパネルがあります。
何を隠そう、これらパネルの執筆者は
N先生です。今回の展覧会の監修です。出口で売ってる図録の解説もN先生が書いてます。いい文章です。こないだ図録くれました。やった(笑)。
とにかく、行って損ない展覧会だと思う。機会があるなら是非。
本当は、東京都美術館でやってる『
古代エジプト展』も招待券あるから観るつもりだったけど、授業後すごい疲れちゃって行かなかった。ユトリロすら行くか迷った。けど、行って良かった。ユトリロで満足。
画像は写真を撮り忘れたんで、チケットで(笑)。
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[追記](2005/10/05)
展示のパネルのことですが、昨日直接N先生に聞いたところ、あれは詩のイメージ。つまり、
ジャン・コクトーの映画を意識した、とのこと。コクトーの映画では、随所に詩が入ってきます。そんな感じで、今回の展覧会のパネルも、絵画鑑賞の間に詩として挿入されるような解説、ということらしいです。なるほど、と唸ってしまった。
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[追記](2006/01/28)
恵風さんのブログにTB!
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[メモ]
没後50年 モーリス・ユトリロ展@日本橋高島屋8階ホール (日本橋)
10月10日まで
終了後、巡回展:
横浜高島屋→京都高島屋→大阪・なんば高島屋→ジェイアール名古屋タカシマヤ