以前の
印象派講座につづいて第2弾。
シュルレアリスム。
比較的よく耳にする言葉では?
絵とか何かをみて、「シュール」だね、とか。これって、シュルレアリスムからきてんだよね?(書き手が質問しちゃっている)
例によって、なるだけ分かりやすく、でも手を抜かずに説明します。興味がある方は、是非読んでください。
シュルレアリスムにしてもキュビスムにしても、起源をフランス語に持っているものは、「スム」です。「ズム」じゃないですよ。
まず最初に言っておきたいのは、シュルレアリスム(Surréalisme)は日本語で「超現実主義」と訳されますが、この響きを聞くと、いかにも現実を超えたところにシュルレアリスムがあるように思うかもしれないけれど、これは大きな誤解であるということ。
この「超現実主義」の"超"は「チョーカワイイ」の"超"です。つまり、「超現実主義」とは、とっても現実な主義ということになります。
シュルレアリスムは現実生活のからの逃避ではなく、現実世界の至る所に存在し、超現実の世界は現実世界の延長線上にあるのです。
何から話せばいいか迷うけれど、まずシュルレアリスムと関係が深いのは、第一次世界大戦(1914-18)。
この頃は、科学の発達で、あらゆる便利な発明が溢れてきている頃。大量生産によって、ものは安価に提供されるようになったりしました。
が、戦争の勃発によって、価値観が大きく揺らぎます。人間の中の狂気に気づき、不審を抱いた、というのは、前に「
写真について」のエントリーで書いた通り。
戦争という肩書きのもとに、大量殺戮が正義になり得るという現実がありました(今もある)。
そんななか、人間の理性に対する大いなる不信が起こり、ダダイスムなどが起こるわけだけれど、その先に
アンドレ・ブルトンという人の『
シュルレアリスム宣言』が生まれたのです。ブルトンはシュルレアリスムの重要人物。この宣言の中に書いてある文章を引用すると
「理性によるいかなる制約も受けず、審美的な、あるいは論理的な心づかいをまったく離れて行われる思考の口述である」
と書いてあります。
とにかく、シュルレアリスムは人間の理性に対して公然と不信を示し、理性や論理を離れての表現をしようとしたものなのです。
理性を無条件に受け入れないということにおいて、シュルレアリスムと
象徴主義は精神的な兄弟とも言われています。
どうでしょう。シュルレアリスムが浮世離れした彼方のものではないということが、分かってきたでしょうか?
では、シュルレアリスムは、どうやって現実の中に内包された「超現実」を表現しようとしたのか?そもそも、どうやって「超現実」を発見したのか?
まず、シュルレアリスムを美術のみの現象だと思っている人も多いかもしれないけれど、これは、詩や文学、もちろん絵画など多ジャンルに及んでいるものなのです。
書いてきたように、シュルレアリスムは、既成の事実や物、何かしらのイメージから出発して表現していくのではない。ので、新しく発見することをしなければなりません。
そのための方法としていくつかだけ紹介します。
コラージュ、フロッタージュ、デペイズマン、デカルコマニー、オートマティスム、などなど。
このなかで、特に重要な2つ、デペイズマンとオートマティスムについてちょっとだけ説明。
「デペイズマン」は、普通はまったく組み合わせたり繋がったりしないような物事を組み合わせて、理性のもとでは想像もつかなかったような驚きを、「超現実」を手に入れる方法です。
このデペイズマンを紹介するときにどうしても取り上げなければならないのが、
ロートレアモンの『
マルドロールの唄』の中の一節。良く引き合いに出されるので、知っている人も多いかもしれないですが、
「解剖台の上でミシンとコウモリ傘が出会ったように美しい」
というもの。これは、シュルレアリスムの性質を良く表しているものとして有名。
「解剖台」も「ミシン」も「コウモリ傘」も、日常生活では全く結びつかないものですが、それを合えて組み合わせています。
デペイズマンで、僕がすぐに思いつくのは、絵画だとこんな感じ→→(画像はマグリットの絵)
「オートマティスム」は、絵を書くにしても小説を書くにしても、考えるよりも早く、理性が追いつくより早く手を動かす、というもの。「自動筆記」ということ。
例えば、文章の場合なら、「私」というものがいて、通常通り文章を書くのでは「私」の思考が追いついてしまうから、動詞の活用をやめ「動詞の不定形」のみを使うようにする。そして、より早く書くために、今度は「前置詞と名詞」のみを使って書くようにする。事物と事物の関係のみ。とにかく、ダダダーっと書いていくのです。こうすることによって、本来の自分から離れて、無意識の領域を獲得しようとしたのがオートマティスムです。これが「現実」から「超現実」へと至るということになり、この「現実」「超現実」の間には、境がありません。
自分が自分のことを考えているのではない。誰かが自分のことを考えている。という状態ですね。
とにかく、シュルレアリスムについて書き始めるときりがないんですが、つまりシュルレアリスムとは、現実の中にその延長線上の超現実へと至る暗号を発見し、真実へと迫ろうとした、ということです。
本来の自分を客観的に見つめているので、客観主義なのです。
色々となんだかわけの分からない絵がいっぱいあるなぁ、とか思ったりするかもしれないけれど、実は画家は馬鹿じゃない。何かしら提示しようとしているものがあるのです。
むしろ、社会を鋭く見つめ、メスを入れようとしているのは、こういった芸術家なのかもしれません。