隣町の町田で講演会がありました。
『藤田嗣治の生涯と作品』と題したもので、これは今月28日から
東京国立近代美術館で始まる『
藤田嗣治展』にあわせてのもの。
講演者は
N先生。
藤田嗣治(ツグハル)(Leonard Foujita)[1886-1968]は、東京生まれの油絵画家。1955年、フランス国籍を取得。レオナール・フジタに改名。
藤田嗣治については、本当に書くことが多い。何よりも、重大なポイントは「戦争画(戦争記録画)」である。
詳しくは、展覧会のレヴューを書く時に書きます。ので、すっげーー略して書きますね。
藤田は1913年にフランスに渡って、ピカソに認められ、エコール・ド・パリのメンバーとして大活躍するのです。すごいことです!でも、日本の画壇やジャーナリズムは、藤田の生涯を通じて強烈に批判・バッシングをするんだよ。絵についてだけでなく、その人間性までも非難するのです。
でも、藤田の人生で、一瞬だけ無条件に認められた時期があって、それは戦時中、つまり「戦争画」を描いていた時。
「戦争画(戦争記録画)」とは、日本の国策によるプロパガンダで、戦争への民衆の戦意高揚のため、画家たちに戦争を題材に絵を描かせたわけです。実際、多くの画家が描きました。で、戦争画を描かない画家は、弾圧された。絵具も売ってもらえないとかね。そんな中、抜群のテクニックを持つ藤田は大歓迎されたわけ。
しかし、戦争が終わると、また手のひらを返したように、激しい藤田バッシングが始まる。国辱だとか、フランスかぶれ、みたいな。
怒りを覚えますね。
これ以上、詳しい説明は今はしません。展覧会のレヴューでもっと熱く書きます(たぶん)。ちょっと待ってね。
ちなみに、戦争画はアメリカへ渡って、方々へ散り、近年やっと調査して見つけ、日本に帰ってきました。
が、いざ展覧会をするという段階で、公開しないことが決定しました。なぜなら、美術館もビクビクしていたから。国の目、遺族の目、色々とあるようです。
でもね、ちょっと前に、ついに封印が解かれて公開されたのだよ。
この問題に関しては、以前
シンポジウムの記事でも登場した椹木先生の「戦後日本美術史」という授業を受けていた時、「戦争画を公開すべきか、しないべきか?」というレポートを書かされました。
端的に結論から言って、僕はするべきだと思います。今だからこそ。
そして、今回の展覧会においても、京都国立近代美術館と東京国立近代美術館で、公開するかどうかだいぶ議論があったようです。結論は公開するということになりました。
まぁ、とにかく詳しくはまた今度にします。なぜか、今すごい疲れてるし(笑)。
藤田は、そんな風に日本に散々叩かれた画家なので、今までなかなか大規模な回顧展ってなかったのです。
今回は、初期から最晩年まで、戦争画も含めて展示されるようで、是非行くべき展覧会の1つだと思います。
京都国立近代美術館と
広島県立美術館へ巡回します。
それにしても、N先生。昨日は名古屋でユトリロの講演。明日も明後日も、藤田の講演。大学の入試もあったようで。今日も、終了後、ラーメン食べに行きましたが、まだ新聞原稿があるらしく、遅くなる前にさよならをしました。また、倒れないでください。