-
写真についての第1回はこちら-
えっと、前の
『LA JETÈE』のエントリーで、モノクロームの写真と音声で構成と書きましたが、よくよく考えると、カラー写真もあります(汗)。訂正。
モノクロとカラーの写真がうまい具合にかみ合って、いい感じです。
それと、この映画は「他の時間がイメージできる」ということが究極のテーマな気がします。
「他の時間」とは、かつてあった時間をイメージとして定着できる(=写真)、ということですね。この能力に主人公は長けていたわけです。
ちなみに、この『LA JETÈE』をリメイクしたのが『12モンキーズ』です。
そんな意味で、写真と密接に関係する映画だと思います。
さて、モノクロームの写真、ということに触れたので、せっかくだからちょっと書いてみることに。
まず最初に、「白黒」と「モノクロ」は違います。白黒は、そのまま白黒ですが、モノクロは「モノクローム」、クロームとはカラーのことなので、つまり「単色」ということになります。モノクロ写真は単色写真ということですね。
写真が発明されて、最初はもちろんモノクロのみだったのですが、その後カラー写真が登場します。僕たちが見ているカラーの世界を定着できるのに、なぜわざわざモノクロで写真を撮るのでしょうか?
1920から30年代、カラーではなくモノクロームでしか撮影できないモノクロームの美学を見出した写真家たちがいました。
モノクロームの美学とは、1つは”ネガ”の世界です。つまり、人間の肉眼ではない世界。ネガは1つのプロセスであって、表現の方法ではなかったのですが、この時代にドイツの芸術家たちがこれに注目しました。
つまり、”ネガ”で世界を見ると、ある恐れや不安を感じるということに気づいたのです。
ネガに限らず、「影」ってのは何かを案じさせるようなものがあります。
写真は光の痕跡ですが、影を定着させるとも言えます。このことにアーティストが敏感になるわけです。
影の表現・モノクロームの表現でしかできない表現があるのでは、と。
そもそも、影・暗部がなければ写真は成り立たないわけです。
もう1つ、ノスタルジーということが重要に。
これは、現代に生きる我々に関してですが、
たとえばグレーやセピア色のモノクロームの写真を見たり、古い退色してしまった写真を見た時に、どうしてもノスタルジックな感じを受けてしまうのです。ある種の切なさ、みたいな。
これは、20世紀末に生きた人間は、どうしてもカラー情報が繁栄している世界において、そう感じざるを得ないように義務づけられてしまっているからだと思います。
モノクローム、影、などについて考えるのも、なかなか面白い。
まとまりがないですが、モノクロームって言葉が出たので、ちょっとだけ書いてみました。