アーティスト 加藤雄太 のブログ
展覧会のレヴュー、本の感想、その他制作の日々の模様など。
ホームページは yutakato.com 作品掲載してます。

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●6月の掲示板として●
今月も、

どんなに素敵なものが創れるかな…?

苦しくもあり、それ以上に、嬉しくもあり。

毎瞬毎瞬に、溢れるイメージ…。

溢れ続けても枯れない泉。




色々ぽつぽつ書いていきます。
どうぞよろしくです。


[画像]
《記憶としての風景》
2006/02/04
岩絵具、アクリル絵具、和紙
112.0×162.0cm
《A View Through Memories》
Powdered mineral pigments and acrylic on hemp paper
by UT
※画像の無断転載・転用は禁止です





『幸福論』
『『幸福論
著:ヘルマン・ヘッセ 訳:高橋健二 (新潮文庫) 540円
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ヘッセについて、及び以前のヘッセ記事は…
・『郷愁(ペーター・カーメンチント)
・『クヌルプ
・『荒野のおおかみ
・『シッダールタ
・『メルヒェン
・『青春は美わし
・『ヘルマン・ヘッセ展
を見てみてください。


ヘッセの短篇集。全14編からなっています。
ただ、小説、というのではなくエッセイといった感じ。
というのも、ヘッセはノーベル賞受賞作の長編小説『ガラス玉演戯』(1943)に全精力を投入し、以降、小説は書かなくなり、晩年の仕事は随想や詩、手紙、などに限られます。そして、この『幸福論』に収録されている作品はすべて『ガラス玉演戯』以降の作品。
老詩人晩年の静かな生活の中で、過去を綴ったり、日常のことを綴った、極めて私的なものに題材をとったとも言える随想の集まり。そのなかでは、過去の自身の作品について言及していたり、ヘッセの考え方が述べられ、ヘッセ文学を読み解くヒントもあったりする。
そういった意味でも、他の作品と比べると、極めて異色な1冊かもしれない。

また、最後の一編は『日本の私の読者に』というものである。
これは、新潮社版のヘッセ全集を計画していることを、この本の訳者でもある高橋健二氏がヘッセに伝えると、ヘッセが序文を書いてくれたもの。1956年5月の執筆。
今読んでも、西洋東洋の親交の問題、認識、相互の影響について書かれた文章は決して古くない。
「全集が出版されて嬉しいです」なんて月並みでつまらないどうしようもない序文じゃないあたりが、カッコいいと思う。

世界を見つめ、人間を見つめてきて、世界大戦では国家レベルで厳しい状況にも立たされたヘッセが、晩年にゆっくりと語った言葉。
あまりに個人的な独白過ぎて、疲れちゃうところも多いけれど、ヘッセをある程度読んだなら、読んでみていいと思う1冊。

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また、自分の本は、すべての文学作品のように、単に内容から成り立っているのではないこと、むしろ内容は相対的に重要ではないこと、著者の意図のようなものと同様に重要でないこと、私たち芸術家にとっては、著者の意図や意見や思想にちなんで、ことばの材料、ことばの糸から織られた作品ができあがったかどうか、それが問題なので、その作品の測りがたい価値は内容の測りうる価値よりはるかにまさっている・・・・・
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『アルベルト・ジャコメッティ』展
アルベルト・ジャコメッティ(Alberto Giacometti)[1901-1966]は、スイス出身の彫刻家・画家。主にパリで活動。
パリでキュビスムやシュルレアリスムを受け、作品にもそういった影響が見られた後、いわゆるジャコメッティらしい作風へと突入する。

僕はジャコメッティ好きで、まとめて作品が見たい見たいと思っていたので、だいぶ楽しみにしていた展覧会。
彫刻に絵画、それとちょっとした紙への殴り画き(笑)などで構成。

ジャコメッティといえば、細長い人物の彫刻。
もちろん今回も展示されている。
何でこんなにひょろひょろ長いの?変。と、思う人も多いかもしれない。
が、ジャコメッティって人は「見えるとおりに表現する」ということに取り組み続けた芸術家。そうして制作した結果ああいうプロポーションになったということ。ものを前にして、それを表現する時に、そこから現れてくるもの、そこにあるものを、ただ「見えるとおり」に表現する。このことの方が、どんな装飾を施すよりも難しいだろう。それに生涯取り組み続けたのがジャコメッティ。
そのため、完成した作品は1つもない、と聞いたことがある気がする(おぼろげ)。

実際に実物を前にして僕は、わかる、という感想を持つ。
人物をただ写実的に表現するのではなく、もっと本質的な何か、存在、を表そうとしたとき、こうなるよなと納得して響いてくるものがある。

彫刻なら、取ってはつけ取ってはつけ、絵画なら、描いては消し描いては消し、を延々と繰り返したジャコメッティが、一体何を見、何を感じて表現しようとしていたのか、それを感じようとするだけでも大変興味深い。

また、日本人で何人か仲良かった人がいるのだけれど、その中でも特に親交のあった矢内原伊作との関連作品も多くある。
彼は、一挙に72日間モデルしたり、最終的に200日以上モデルをしました。
そんな矢内原をモデルとした絵画や彫刻、紙ナプキンへの走り描きなど、色々とあります。


[メモ]
20世紀美術の探求者 アルベルト・ジャコメッティ --矢内原伊作とともに
神奈川県立近代美術館 葉山 (逗子市)
7月30日まで

巡回:
兵庫県立美術館(8月8日から)
川村記念美術館(10月10日から)





『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代(上)』
ヴィルヘルム・マイスターの修業時代(上)
著:ゲーテ 訳:山崎章甫 (岩波文庫) 630円
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ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang Von Goethe)[1749-1832]は、ドイツの詩人・小説家。
ファウスト』などで有名なあの人です。

今回のは上巻。他に中巻下巻、さらに『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』が上中下巻あります。
ヘルマン・ヘッセトーマス・マンがお手本にした本らしく、教養小説の代表的存在らしい。

子供の頃に家で観た人形劇に強烈に惹かれ、芝居大好き人間になった主人公ヴィルヘルムの物語。
一度は芝居から離れようとするが、とあるきっかけから再び芝居の人生へ突入していく過程が、この上巻の内容。様々な身分・階級の女性との恋もありつつ、ヴィルヘルムの人生模様が描かれている。

難解な本ではなくて、いたって平易な文章で書かれている物語なので、とても読みやすい。
話の内容自体なかなか面白く、今後のヴィルヘルム君の展開が楽しみ。
一座の中の人間模様や、貴族階級との関わり、当時の雰囲気など、色々と頭に思い描きながら読める感じ。
ヴィルヘルムや登場人物たちを通じて、ゲーテの考えや芸術論が語られているので、そう言った意味でも読み応えがあると思う。
人物間の会話で議論を戦わせたりだとか、楽しみながら読める。


ただ、これは作品に対してではなく岩波に対してだけど、いきなり上巻にだけ全体の解説をつけるのは罠としか思えない(中巻と下巻にはない)。





桜桃忌(昨日だけれど…)
て、昨日書けって話ですが…(苦笑)。



桜桃忌は、太宰治が玉川上水へ山崎富栄と入水心中し(この事は13日か14日)、その遺体が発見された日であるとともに、太宰の誕生日。
色んなところでイベントがあるようです。




UTさんは何度か言っているように太宰holicなので、一応書いておきました(謎)。



良い作品を、たくさんありがとうございます。



手垢で黒光りするまで、読まれることを…。



『アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶』
(スイス/フランス 2003年 72分)
監督:ハインツ・バトラー 出演:アンリ・カルティエ=ブレッソン
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以前にちらっと紹介した映画です。
渋谷の「ライズX」にて上映中。
観てきました。

映画『アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶』

アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)[1908-2004]は、フランスの写真家。20世紀を代表する写真の巨匠。
ロバート・キャパらとともに、写真家集団マグナムを立ち上げた1人です。
1952年に写真集『決定的瞬間(英語版タイトル、フランスの原題は『逃げ去るイメージ』)』を刊行して、「決定的瞬間」という言葉が生まれました。(装丁はアンリ・マティス

昔はカメラは三脚に乗っていたわけです。19世紀後半、写真家はルイ・ヴィトンの木枠の鞄に入れて取材に趣いてたのですが、その時のポーターは10人くらい。機材の総重量は1トン。当然ですが、気楽に持ち歩いて写真などとれなかった時代です。
しかし、スナップ・ショット(手首による撮影)というのが生まれます。カメラが小型化し、レンズが明るくなり、フィルムの感度も上がったのです。
これによって歩きながら写真を撮れるようになるのですが、これは20世紀の出来事。それを可能にしたのがライカなわけで、ライカの時代へと入っていくわけです。ブレッソンもライカを愛用しています。
こうして、フォトジャーナリズムが誕生したわけです。

アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶 チラシ1ブレッソンは95歳で死ぬわけですが、この映画は93歳の時に撮られたもの。そもそも、ブレッソンは撮られる事を非常に嫌った人なので、これだけ饒舌に朗らかに自作や写真や思い出を語ったフィルムは極めて貴重だと思います。
ブレッソンを撮ったドキュメンタリー映画だと、サラ・ムーンという監督の『アンリ・カルティエ=ブレッソン --疑問符』という作品があります。これも面白い映画だけど、若干ブレッソンにけむに巻かれた感じ。
それに対して、今回のこの映画は、写真を1枚1枚ブレッソン自身が手にしながら、たくさん語ります。関係者のインタビューも豊富。

いい言葉が沢山出てきます。おすすめ映画♪

ブレッソンと言えば有名な、
「頭と目と心を1つの線(同じ照準線)の上に置くこと」
「写真は射撃だ」

アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶 チラシ2そうそう、ブレッソンは絵も描くのだけど(絶頂期に写真をやめ、絵に専念した)、すごいいいデッサンをするんだよ。初めて見た時はびっくりした。絵も何点か出てきます。

写真好きなら、観て絶対損はないと思う1本。



上映館は…
@東京 ライズX
@大阪 梅田ガーデンシネマ
@京都 京都シネマ
@名古屋 名古屋シネマテーク
@神戸 神戸アートビレッジセンター
@北海道 シアターキノ
@広島 横川シネマ
@岐阜 シネマジャングル
@沖縄 桜坂劇場

ちなみに、「ライズX」の終了日は決まってないらしいけど、今月中はずっとやっているそうです。
あと半年…
ちょうど今日から半年後に、僕の個展が始まります。

並ぶ絵は、掲示板に載せている感じのものになりますが、描く毎にこれをこれ以上どう発展させよう、という気持ちになるけれど、それでも続けていると確実に変化がでてきていて、クオリティーが上がっている確信を持っています。
その変化は微々たるもので、目で明らかに分かる程ではないかもしれない。
その一方で、それなりに新たな展開も掴めたりしてきて。ベースはあくまであれですが。

「まだ、1年以上あるなぁー。遠いー。」
などと思っていた、去年の11月が遥か昔のようで。気づけばもうこんな…。

あと半年。
今までで初めて経験する気持ちを抱きつつ、頑張ろう。




『舩木倭帆展』
舩木倭帆(フナキシズホ)[1935-]は、吹きガラス作家。

僕が行っていた予備校の先生が、この作家の大ファンで、息子に同じ名前を付ける程の惚れっぷりだったんですが、その先生に舩木さんの作品実物を触らせてもらった事があり、当時けっこうな衝撃を受けたのを思いだす。

なんというか、ガラスなのに柔らかい。という不思議な感覚。

今回の展覧会では、もちろん触れてないですが、やはり独特の柔らかさを感じた。

さて、触ってないのに、何に感じたか?

もう見た目です。
うまく伝えられるかわからないが、言ってみれば、水が形をとどめた感じ…。
器などの模様が今にも流れて動きそうなのである。
波紋、という感じも受けられるかもしれない。
触れば液体でぷるぷる動きそうな、そんなガラス器たち。

そして、置いた時の光の当たり方によってできる、テーブルに映った光も美しい。
影も作品のうちである。

流動しそうなガラス。


[メモ]
舩木倭帆 吹きガラス展
日本橋三越本店本館 (日本橋)
6月12日まで





『西嶋雄志展』
[彫刻家 西嶋雄志]さんの個展へ行ってきました。

本人にTBして書くのは何とも緊張……。


初めて作品観ました。

すべてヌードの人物。
「静」のポーズをとっている人物。

目はもちろんあるが、視線はどこを見ているでもない…。
その見つめる先には何があるのか?これは彼岸の世界を見ているのではなく、どこか焦点の合わないその視線の先には、遠くを見る故に自分自身を見ているのかもしれないし、なにかもっと説明のつかないようなものをじっと見つめているのかもしれない。

というのも、髪の毛がまっすぐ上へ逆立っていたのだが、これはアンテナだな、と思った。
何か物質界から離れた尊いものを受信しようと感覚を研ぎすませているのではないだろうか。そのアンテナは空へと、宇宙へと向けられている。
目と、全身のアンテナ、何かを知ろうと、何かを聞こうと、何かを見つけようとしているかのような人物。

あるいは、静かに上昇する感覚。
だが、われわれをとらえる重力。
相反する力。


と、僕は感じました。


[メモ]
西嶋雄志展
@巷房 (銀座)
6月10日まで





『オラファー・エリアソン』展
オラファー・エリアソン(Olafur Eliasson)[1967-]は、デンマーク出身のアーティスト。現在はベルリン在住。
今年、原美術館で『影の光』という個展をしたことで話題になったのではないだろうか。

この作家について、僕は全然詳しい事知らないけれど、展覧会は楽しめた。

今回のは、照明作品によるインスタレーションが多い。
ガラスでできた正五面体が何枚か組み合わさって球状になっていて、中にライトが入っていたり。すると、その光は当然壁に映るわけだけど、その映った光や影が様々な表情を見せる。色んな色が見えたり、模様が出てたり。
ただそれだけと言えばそれだけなのだが、実際にその場にいるとなかなか不思議な空間になっているのがわかる。
この照明の作品もだけれど、他にも風景に奇妙なグラフのような光が見えたりする装置などがあって、これも摩訶不思議な世界を感じてしまう。

どういうことかというと、大宇宙(マクロコスモス)と小宇宙(ミクロコスモス)が、同時に見られる感覚なのだ。
つまり、人には見ることのできない「何か」極小の世界、と、同じく見ることのできない「何か」宇宙的な広がりや世界が感じられた。
そこには、たしかに普通には知覚できないけれど、「どうもこういう世界があるような気がする」という不思議な感覚を得る。

人間の中にあるミクロ的なものかもしれないし、あるいは宇宙の存在にまで飛躍してしてしまうようなマクロなものかもしれないが、そういった神秘的な異空間の表出というものがあるように僕は感じた。

作品はそれだけではないが、全体としてそのような独特の場が現れている気がした。


[メモ]
オラファー・エリアソン展 Your constants are changing
ギャラリー小柳 (銀座)
7月8日まで