カミーユ・クローデル(Camille Claudel)[1864-1943]は、フランスの彫刻家。
ロダンの弟子であり、助手であり、愛人となった人。
女性が芸術に生きる事が困難だった時代に、果敢に彫刻家として創作をした。
17歳の時に彫刻家になりたいと思い、家族を説き伏せて、父親以外のメンバーでパリへ出てきて美術学校へ通った。
美術学校へ通いはしたが、以前より教えを受けていた彫刻家のアルフレッド・プーシェの指導は受け続けていた。しかし、プーシェがイタリア留学をすることになり、その指導をロダンが引き継いだのである。カミーユ20歳の頃のこと。
こうしてロダンのアトリエへ通うようになり、弟子であり助手であるうちに、愛人となる。
しかし、独自の作品世界を追求したいという思いと、ロダンを超えたいという思いなどにより、34歳の時に完全にロダンと決別する。
その後、孤独に制作を続けた事による疲労、世間の無理解、様々なトラブル等により精神を病む。43歳のとき制作した《傷ついたニオベの娘》が最後の作品。49歳で精神病療養所に強制収容される。以後、78歳で死ぬまでの30年間精神病療養所で過ごし、作品は1点も制作していない。
そんな彼女の作品が、時系列順に展示されている。
作品はブロンズ。
全5章から構成された展覧会。
初期のロダンのアトリエへ通いだす頃までの作品から展示は始まる。
この頃の作品でも、充分に力があるのが分かる。力強く、けれど、どこかやわらかい印象を受ける。
すでに見た目にロダンっぽさはあるが、この後そのロダンっぽさは強くなっていく感じがした。
デッサンも数点展示されているが、良い彫刻を作るだけあって、デッサンもよい。
1番の見所は、その次の「愛のテーマ」と題された展示だと思う。ロダンの助手時代とロダンとの愛人関係の時代の作品である。
簡単に言えば、1番多くのものが詰め込まれている気がするのだ。
そして、以前まではなかった激しさというか、感情というか、そういったものを作品から感じるようになる。
男女がワルツを踊っている《ワルツ》という作品は、とっても見た目がナナメなのだが、そのナナメ具合に「動」を感じる。もし、このポーズのままフリーズしているならどてっと倒れるだろう。しかし、動きの力が確実に流れている状態を切り取って、動いている感じを静止した作品に込めたのは見事であろう。
また、人物はヌードなのだが、女性の下半身は衣のようなものになっている。衣の先は波しぶきのようだ。この事が作品のフォルムと相まって、僕にはまるで流れ星のように見えた。踊っている男女が、ナナメの方向性を持って流れているかのように優雅である。
この作品の他にもナナメな作品は幾つもあった。
下から上へと向かう様々なものを感じる。
それは時として時間の流れを、またある時は気持ちの流れを感じさせる。
飛翔感や浮遊感を感じさせたり、またあるいは、何かを求める強い想いを感じさせたり。
こう書くと動きがポイントのように思われるかもしれないが、例えば《心からの信頼》という作品は、そういったナナメの動きはなく、極めて静的だが、深いものを感じた。
このような、男女が組になった作品を作っている一方で、老いを見つめ、老人の像を多数作っているのも見逃せない。
カミーユの視線の広さが分かるのではないだろうか。
その後の、ロダンとの決別後の作品群「室内の彫刻」(つまり日常の一場面を切り取ったような作品で、今までとはだいぶテーマが変わってくる)も、興味深く観た。
ロダンを断ち切って、カミーユがロダンを超えようと何をしたか垣間見る事ができる。
が、最後の制作としての終盤の作品は酷いと思った。
会場のパネルでは、大いに褒めているが、僕としてはそれは嘘だろ、と言いたい。
なんというか、明らかに疲れを感じてしまう。2点あった女神の像も、構図からして嫌悪感を抱いてしまった。
グッと魅力が落ちた。
とまあ、そんな展覧会。
点数は多くないけれど、逆にじっくり観れて僕はこれくらいがちょうどいいと思う。
1人の作家の生涯の変遷を辿れるという意味でもいい機会かな、と。
なかなか良かったです。
[メモ]
カミーユ・クローデル 世紀末パリに生きた天才女性彫刻家@
府中市美術館 (府中市)
8月20日まで