アーティスト 加藤雄太 のブログ
展覧会のレヴュー、本の感想、その他制作の日々の模様など。
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◆11月の掲示板的な◆
とりあえず、DMやプレスリリースも完成して、こないだまでよりは制作に集中できそうな感じがするような。

もう11月かぁ…

そう、来月です。いよいよです。個展です。


◇◆◇僕の個展情報◇◆◇
2006年12月11日(月)から16日(土)
11:00から19:00(最終日17:00)
@ギャラリー山口(1階)
[ギャラリーのホームページ その1]
[ギャラリーのホームページ その2]



ということで、DMをアップします。
こんな感じです(ホントは縁は真っ白)。
スキャンするより、もとデータをあげました(笑)。



こないだも言った通り、DMが欲しい方はメールをください。送らせていただきます。
phosphorescence@
cocoa.plala.or.jp
までお願いします。(半角に直してください)

おろおろそわそわ。


それでは、今年も終盤ですが、華麗にこなしていきましょう。





プレスリリース こんなことを考えつつ
僕の個展のプレスリリースがアップされています。

 【こちらからどうぞ】

上のリンクから僕のところをクリックしてもらえれば閲覧できます♪

制作の意図というか、ブログであまり言ってないと思う狙いのようなもの、ステートメントって言うのかな、も載っているので、読んでいただけると、作品や展覧会の理解の助けになるのではないかなと思います。

良かったらご覧ください♪




『パウル・クレー 創造の物語』展
えぇと、今、所用があって実家(仙台)に帰っています。
そして、ちょうどクレー展が宮城県美術館へ巡回してきているのです。
これは、千葉の川村記念美術館から始まった展覧会で、その時行きたいと思っていたのだけれど、場所が場所だけに行かずじまいだったので、ちょうど良かった。
展覧会『パウル・クレー 創造の物語』

パウル・クレー(Paul Klee)[1879-1940]については、以前大丸ミュージアムで行われた展覧会のエントリーで書いています

前回の大丸でのクレー展は、たしかに刺激を受けるという意味では、個人的に収穫はあったけれど、展覧会自体は良くなかった。
しかし、今回のクレー展、良いです!非常に!
数が多い、いや、多ければいいってもんじゃもちろんないし疲れるんだけれど、いい作品多数ありです。

デッサン的な作品もいくつも見ることができて、これもクレーの色んな面が見れて良かった。
そういったデッサンのようなモノトーンの作品は最初の方に展示されていて、充分楽しめる。
その中には、以前の記事で書いたように、『芸術とは目に見えるものの再現ではなく、
見えるようにすることである。』と言ったクレーの芸術観をうかがわせる作品ももちろんあった。対象と対峙したときに、表面上の描写ということから離れ、どれだけ本質に迫ることができるか、如何にして迫るか。そういったものを、簡略化した線から感じ取ることができる。一見ただ崩しただけかのようなフォルムが、「あぁ、これってそうだよね」と思わせるようなハッとするフォルムなのだ。クレーが見ていた情景に意識を飛ばせるような、そんな感覚を覚える。

その後は、所謂クレーらしい作品。色彩を豊富に使った、非常に幻想的であったり、時には不思議な絵画であったり、そういった色に力を入れた作品が数多く展示されている。
この中に、もう文句なく素晴らしい作品、たくさんあります。見逃さないで。

この色彩と、そして同時に線、構図。この全てが大事。どれかハズすとカッコ悪くなってしまう、そういった難しいことをやっているわけだけれど、バシッと決まっている絵は、問答無用にいいねって思ってしまうんですよ。

こういったまったくもって奔放な線や構図、色彩…もはや遊び心すら感じてしまうような楽しい作品もある。
でも、これってクレーがそれだけ自由になったということではないだろうか。多くのしがらみから開放され、自由な表現を掴んだ、その表れに他ならないと思う。
それ以前のクレーは「私はまだ色を使えない」と言っていたらしい。
しかし、こういった作品を見ていれば、確実に何かが見えただろうことは疑い様がない。


技法的な面でも、クレーって面白い人で、実はものすごく素材や技法の研究した人なのです。例えば、支持体も色々使っているし(紙だけでも色んな紙に書いている)、ガラスを使ったりだとか、今回展示されているのなんかでは、キャンバスの裏にも描いている作品もあった(これは裏も見れるように展示されていた)。
そういったところもじっくり見ると楽しめていい。


ただこう書いてくると、とっても楽しいクレーさん、といった風にクレーのことを思われるかもしれないが、社会や人間をとても見つめた人だということも付け加えておきたい。
そして、奔放な線や色彩などは、ただ感情の赴くままに描いたものではないということも。そういった自由さを得るためには、アカデミズムから離れ独自の世界というのを獲得するためには、逆にむしろ知性を必要とし、考え抜くという作業が不可欠で、クレーは生涯に渡ってそれを行ったのだということも、あわせて付け加えておこうと思います。


あ、ちなみに空いてます。これだけの展示なのに空いています。
非常にゆったりと観れるし、内容も良い展覧会。
常設展にカンディンスキーやクレーが出ています。これも併せて。
それにしても、展示品に多く宮城県美術館の所蔵品があり、図録の翻訳はたぶん全部、論文も多くが宮城県美術館の人のものだった。クレーに強いんだぁ、と驚きでした。

オススメの展覧会です。



[メモ]
パウル・クレー 創造の物語
宮城県美術館
12月10日まで
『ビル・ヴィオラ:はつゆめ』展
そして、金曜の展覧会ツアーの最後は、これ。『ビル・ヴィオラ』展。

ビル・ヴィオラ(Bill Viola)[1951-]は、映像作品を作るアーティスト。ニューヨーク出身。70年代のヴィデオ・アートが始まった頃から作り始めた人。80年からは日本に1年半滞在した。『はつゆめ(Hatsu-Yume)』とは、その時の作品。ただこれは、火曜に行われる特別なイベントに申し込まないと観れないようで、僕は観ていない。56分間の作品。
彼の作品は、授業で、『THE REFRECTING POOL』と『aciant of day』を見たことがあったけれど、それ以外は初めて。
美術館のサイトで展覧会の紹介を見て、非常に気になっていた。
今回の展覧会はアジアで初の大規模な個展らしい。

作品は全て映像作品である。ただ映像が画面に映ってそれを見る、というものではない。作品にもよるが、とても巨大なスクリーン、そして大きな音響、それによって生み出される空間。スローモーション、暗闇、などなど、それらが非常に効果的になっている。
どういうことか、数点について詳しく書いてみます。




《クロッシング》
大きめの部屋に入ると中は真っ暗で、スクリーンが1つだけ部屋の中央にある。中央に、である。そして、このスクリーンは高さ4メートル。超巨大だ。この迫力はすごい。

見ていると、1人の男がこちらへまっすぐ歩いてくる。映像はスローモーションである。ゆっくりと。しばらくずっとその歩いてくるシーンで、かなり近くまで男が歩いてくると、立ち止まった。
するとどうだ、足元から炎が現れて、徐々に男を包んで行く。男が燃え始めた。もちろんこれもスローモーションで映される。ゆっくりと炎が動く。そして、音響は燃えさかる音が大きく流れる。
ふと、画面の裏側へ回ると、裏側にも映像が映っていた。1枚のスクリーンが部屋の中央にあって、両面に同時に映像が映っているのだ。こちらでは同じく男が立っているのだが、炎ではなく大量の水が頭上から降り注いでいる。こちら側だと、水が暴れる音が聞こえる。

煌煌として上昇する炎と、真っ直ぐに落下してくる水。それだけが、この暗い部屋に映されている。そして、大きな音が響く。

炎と水、対立するものだ。また、炎は上へと燃えさかり、水は落下する。上昇運動と下降運動、これも対立するものだ。
対立要素が、1つの作品に収められている。非常に興味深い作品。

それにしても、この暗い部屋で、こういった映像を巨大なスクリーンで見て、大きな音響に包まれると、まるで重力が狂ったような感覚になる。頭が不思議な感覚を受ける。
「場の表出」である。




《ベール》
これは、先程より狭い部屋。やはり真っ暗である。部屋の両サイドから向かい合うように映像が投影されている。そして、先程の部屋と同じように、そのプロジェクターとプロジェクターの間にもちろんスクリーンがあるのだが、これが特殊。どういうことかと言うと、9枚のごく薄い幕(?)のようなものが一定の狭い間隔で並べてあるのである。そこに、両サイドから映像が映るのだが、スクリーンの1枚1枚は薄いので、映像は奥へになるにつれ不鮮明になりながら、複数の幕へも映るのだ。
映像の内容よりも、僕はこの暗い部屋でのこういった光景が、とても神秘的で引き込まれてしまった。
何と言うか、不思議な奥行きが生まれ、映像は本来平面なのに、この奥行きがあることで、まるで映像の霧のような空間となっていた。

ちなみに映っている映像は、暗い岩も転がっている草原のようなところを、1人の人が歩いているというもの。やはり、片側からは男、片側は女、というような、不思議な見せ方であった。
この暗い映像が、ボヤッと9枚の幕に映って宙に浮いているところは、なんとも幻想的だった。


《ストッピング・マインド》
これは、部屋の中央を4つのスクリーンが宙に浮いた状態で正方形に囲んでいる。これも巨大なスクリーンだ。この内側に入って観るわけです(もちろん映像は内側に映る)。
この作品は、映像はあんま面白くなかった(苦笑)。一瞬高速で風景が映って止まる、そして停止した映像はひどくブレている(速度によって)。それの繰り返し。

ただ、このスクリーンに囲まれた中のピッタリ中央に立った時だけ、まるで頭の中から聞こえるかのように、早口の囁きが聞こえるのです。本当に自分だけに耳元で囁かれている感じ。頭の中から聞こえてくるような。これが面白かった。ピンポイントの音の効果。
たぶん、ほとんどの人は気づいていないだろう。



もう1つだけ書きましょう。


《ミレニアムの5天使》
これは、とても広い部屋の中に入ると真っ暗で、部屋の壁に巨大なスクリーンがある。部屋に入ると壁のスクリーンに囲まれる。全部で5つのスクリーンなのだけれど、それは部屋がただの長方形ではないからです。
とにかく、この暗い部屋で壁という壁が巨大なスクリーンで、しかも映っている映像がこれら→

もう異空間でした。



これは、水へ飛び込んだところを、スローモーションで逆再生したものらしい。
気泡の動きや重力のことなど、当たり前の動きがしみ込んでいる我々は、こういった映像を見ると、不思議な感覚になる。特にスローモーションだから尚更だ。

溺死というか沈んで溺れたら死ぬわけですが、そのことを逆再生することによって、逆に「誕生」を表現しているのがこの作品らしい。
なるほど。沢山の気泡が徐々に体に集まってきて、すっと人が出現したり消えたりする様は、たしかに再生や誕生のような感じを思わせる。

兎に角、”流れ上がる”水や、気泡が集まって消える様、不思議な人体の動きが、暗い水中にライトが当たってる中で行われるのは神秘的です。スローモーションなので、動きが良くわかる。
こういった人間の出現は5つの画面で次々に映るのではない。程よく焦らして、ふっとどこか1つの画面で人が現れてきたり、または2つくらいで同時に別の角度から映ったりと、そのゆったりとした感じが良い。
この人の出現や水の動きに合わせて、やはり大きな音が響き渡ります。



というように書いてきましたが、ここに書いた作品は、空間を生んでいるというか、「場」が生まれていました。
まぁ正直、中には僕は退屈な作品もあったから、全部が全部というわけではないけれど、それでも興味深く観ることができると思う。
対立要素なんかは、ヴィオラに数作あるようだし、1作にそういった対立物を収めるというのは錬金術的発想かな、などと考えてみたりして面白かった。
大きなものは、ちょっと感覚が狂うような場が生まれているし、面白い、というかこの場合は面白い体験ができる、と言った方が正しいのだろうか。

不思議な世界を観る 体の奥底で理解する
そんな感じ。

普段観るような展覧会とは、明らかに違う展示。
今までなかった経験、刺激、を得たいなら観てみるといいと思う。
おすすめです。



--preludioさんの記事にTB--


[メモ]
ビル・ヴィオラ:はつゆめ
@森美術館
 (六本木ヒルズ)
2007年1月8日まで

巡回:→兵庫県立美術館





『クリーブランド美術館展』
このあたりになると、UTさん結構疲れています(苦笑)。
いざ六本木へ。
六本木ヒルズへ行くと体調を崩すという、あんまここ好きじゃないし避けて通りたいんだけど、《ビル・ヴィオラ展》がすごく気になるので、行ったのです。

でも、《ビル・ヴィオラ展》の前に、まずは《クリーブランド美術館展》。
着いたのが19:15くらいで、20:00閉館だから、気合いを入れる。が、もうガラガラに空いていてほぼ独占状態。
今回は作品数も60点と少ないので、充分に堪能できました。

クリーブランド美術館所蔵の作品が来ているのだけれど、作家を見るとすごい。数名なアーティストがずらりです。
アーティストにもよるけれど、所謂”らしくない”作品があったりするのが面白い。例えばドガやモネが1番分かりやすいだろう。初期の作品なのか、我々が名前を聞いて想像する画風ではない作品を見ることができる。これが新鮮である。
ただ、”らしくない”のだけしか展示されていないアーティストに関しては、そのアーティストのハイライトがどんなものなのかを知らない人が見ると、それがその作家の感じなのだと誤解をしてしまう危険はあるかもしれない。

ゆっくり観れるし、メンバーもすごいので、楽しめると思う。
そうそう、こないだ「キュビスム」について書いたばかりの、ピカソとブラックも来ています。ちょうど分かりにくい感じの「分析的キュビスム」がありましたよ。

セザンヌは素晴らしい作品が1点だけだけど来ていた。《小川》という風景画。セザンヌがどのように自然の「本質」を描こうとしたか、改めて本物を前にじっくり観ることができた。
ゴッホも死の前年に描いたサン・レミの風景画があった。ゴッホの情念、しかし冷静に画面に定着させた情念のようなものを、その力強い画面から感じることができる。
そして、ゴーギャンも!…が、あまり良くなかった。というのも、象徴主義的な観点であればなかなか興味深い主題で良いのだけれど、ただ僕の場合、彼のクロワゾニスムの作品が観たいというのがあるので、そういう意味では悔しさがあったということだ。まぁ、そうは言っても、1日にゴーギャン2枚観れたしな♪

最後の「北ヨーロッパの光」ってカテゴリーのはあまり良くない。モンドリアンが来ていて、初期の風景画とその後の抽象画のこれぞモンドリアンってのが観れて良かったけれど。

観るべきところはあるし、何かしらお気に入りの作品が見つかるだろう展覧会。そして、こういった展覧会では普通なかなか展示されないと思う作品も観れるでしょう。


--栗坊さんの記事にTB--



[メモ]
クリーブランド美術館展
森アーツセンターギャラリー (六本木ヒルズ)
11月26日まで





とりあえず
土曜に観た展覧会アップしましたが、まだ
『クリーブランド美術館展』と
『ビル・ヴィオラ展』
が残っています。
ちゃんと書くのでしばらくおまちください。




『杉本博司「本歌取り」』展
以前、大きな展覧会のレポを書いた杉本博司の展覧会。今回はギャラリーでの小規模の展示です。

入り口のカウンターにコンセプトみたいなかなり長い文章があったけど、全部は読まなかったし、ちょっと良くわかりません(苦笑)。
作品もイマイチ良くわからなかったです……。
本当のオリジナリティとかオリジナルとは。…みたいなことが書いてあったんだけど。

とりあえず、前回の記事をご覧ください…。



[メモ]
杉本博司「本歌取り」
ギャラリー小柳 (銀座)
2007年1月27日まで





『蜷川実花』展
蜷川実花[1972-]は写真家。木村伊兵衛写真賞受賞者。演出家の蜷川幸雄の娘です。
作品は、とてもカラフルで、派手な色の写真が特徴。所謂ガーリー系の写真家というか、HIROMIXとかと同世代の若手写真家さんかな。モデルとかも沢山撮っている人。
若い人に超人気です。
こんな感じ→

今まで、花とか風景とかモデルとか撮っていたけど、今回も花。
森村泰昌展と同じ建物内のギャラリーでやっていたので観た。
なんの情報もなく展示を観たのだけれど、一見いわゆる蜷川実花らしいポップすぎるくらいにポップな色遣いで華やかな写真たち。それがギャラリーいっぱいに展示されている。全て花を撮ったものなのだけれど、その色も相まって非常にトロピカルな印象なのである。
でも、よく見ると、生花ではない。造花である。何でだろう、と思っていた。

ほぅほぅ、と観ていたら、小山登美夫さん(オーナーで有名ギャラリスト)たちの会話が聞こえてきた。聞き耳を立ててみる…
「これは全部墓地。メキシコの墓地なんですよ」
!!!!!
なるほどっ!そういうことだったのか。

今回の展覧会は「永遠の花」というタイトルがついている。
墓地に捧げる花は造花で、それは枯れることなく、ということでだ。墓場だけど枯れずに、明るく。そんな、メキシコの土地なのだ。
枯れない造花で死者に捧げるから「永遠の花」。

しかし、見た目の印象とはすごいもので、色彩の力というのは、何も知らないで見る者には明るさしか思い浮かばせない。写真のイメージとはそういうものだろう。鑑賞者は常に受け手である。
それを改めて確認したのです。
イメージによる印象。



【参考:以前の写真についての記事】(せっかく紹介されているので…)
写真について[第1回](ポートレイトについて)
写真について[第2回](モノクロの写真について)
『アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶』(スナップ・ショット、フォトジャーナリズムについて)



[メモ]
蜷川実花展 --永遠の花2--
小山登美夫ギャラリー (江東区)
12月9日まで

『蜷川実花展 --永遠の花1--』が、東京ワンダーサイト渋谷でひらかれています。





『森村泰昌』展
森村泰昌(やすまさ)[1951-]は、大阪府出身の美術家。
写真の作品を発表しているアーティストなのだけれど、その作品というのがとても特殊で。どういうものかと言うと、写真の中に自分が入ってしまうのである。
もうすこし分かりやすく言うと、歴史上の名画や名作と呼ばれるものに入るのである。つまり、何か有名な絵画があったとして、その絵の様子を実際に等身大のジオラマのようなものを組んだりCGを使ったりして制作し、人物の部分をちゃんとメイクをして衣装を着た自分が演じ、同じ構図で写真に撮る、ということだ。
そうやって森村は名画の中に入ってきた。今までもマネやゴヤ、そして最近ではフェルメールの《画家のアトリエ》に入ったのが有名で話題になって「新日曜美術館」などでも取り上げられた。
この「セルフ・ポートレート」は、綿密に元の作品を研究し、かなりの細部までこだわって再現しようとする。
まぁ、兎に角数々の作品に入って作品にしてきている人なのです。それらは是非ここのホームページで見てみてください。

ただ、僕は彼のことを研究した時期がないので、一応関係書は持っていますがまだ読んでないし、理解しているわけではないので作品については書けないです。

そして、今回のこの展覧会では、今までと大きく趣向が変わるということで、非常に興味を持って観に行った。
名画などの絵画作品に入るのではなく、歴史上の出来事に入っていたのである。有名な場面のジャーナリズムの写真などである。あの「路上の処刑(ヴェトナム戦争で、捕虜となった解放戦線の兵士が、南ヴェトナム国家警察の本部長の前に引き出され、まさに「パンッ」という感じでこめかみに突きつけられた銃で殺された。白昼の路上でである。それが衛星放送でお茶の間へ配信された。ちなみに、ヴェトナム戦争はテレビで本格的に戦争が放映された最初である)」などがあった。
(たまたまそのシーンのDVD映像を持っていたのでキャプチャー。「NHK映像の世紀第9集:ベトナムの衝撃」より)→
DVDではカラーで動画なので、この後ガクッと崩れ落ちて、こめかみからピューっと血が出ますが、そこは載せないどきます。

そして、もう1つのテーマは三島由紀夫であった。

そういったように、今回の展示は今後の新しい方向性を見せるものだろうか、と気になった感じです。



[メモ]
森村泰昌「烈火の季節/なにものかへのレクイエム・その壱」
SHUGOARTS (江東区)
12月11日まで





『竹内栖鳳とその弟子たち』展
竹内栖鳳(たけうちせいほう)[1864-1942]は日本画家。京都出身。日本画家でかなり有名です。第1回文化勲章を横山大観とともに受賞。竹杖塾や学校でも教鞭をとったり、後進の育成にも努めた。
弟子として、上村松園、西村五雲、橋本関雪、土田麦僊、村上華岳、小野竹喬、池田遙邨など、日本画のオールスターのような面子がいる。

山種美術館での展覧会の記事は何度か書いてきたが(上の松園のリンクもそう)、この美術館は美術館というかオフィス。ビルの一階です。なので(なのか?)いつも結構空いていて、かなりじっくり見れます。点数も少ないし。そのくせ、日本画のすごい名品を数々持っているという美術館。

今回は、竹内栖鳳の作品で重要文化財の《斑猫(はんびょう)》が出品されている。初めて見ました。
その《斑猫》とは、1匹猫が描かれただけの絵なんだけれど、良かった。毛並みの柔らかさが出ているのだ。何と言うか、ふわっという感じに描かれている。あぁ、ふわふわしているな、というのが分かるのである。
そして、そのぼやっとというか、毛並みの表現は、あまりにふわりとしているため、焦点が合わない感覚をおぼえる程だ。

栖鳳の作品はこの他にもそこそこあって、そして述べたような弟子たちの作品もある。
この弟子たちの作品も良かった。特に、福田平八郎と西村五雲。竹喬なんかも。色遣いや構図に、いわゆる”どうですか日本画です”みたいな堅っぽさがなく、なんとも現代的。作者を隠して現代の作家の作品と言われても信じてしまうだろう。良かった。
西村五雲はモチーフを捉える瞬間と構図の素晴らしさ。雪のつもった枝に雀がとまっていて、羽を突いている瞬間、周りの雪がほのかに散る。そんな一瞬を描いたシンプルな絵。素晴らしい。

特にエルミタージュ美術館展を観た後ということもあるが、日本美術に見る構図の独特な美意識。空間の取り方、余白。モチーフのシンプルさなど。そういった物を際立って感じることができた。



[メモ]
竹内栖鳳と弟子たち --重要文化財「斑猫」登場--
山種美術館 (千代田区)
11月19日まで…えっ、今日!?