ヘンリー・ダーガー(Henry Darger)[1892-1973]は、アメリカの画家。超孤高の画家。
幼くして母親を亡くし、父親は病気のため、8歳でカトリック系の児童施設に預けられた。その後、感情障害の兆候をきたし、重度の精神遅滞児童のための施設に入れられる。ただダーガーには知的障害はなかったようで、充分な教育を受けられずに育つことになった。17歳で施設を脱走し、病院で雑用の仕事をしたりしながら81歳で死ぬまで、天涯孤独の人生だった。
所謂、
アウトサイダー・アートが語られる時、よく名前が挙がる人物である。
ダーガーは美術教育を受けていないので、雑誌の切り抜きなどをコラージュしたりして作品を作っていた。
こうして絵を描いたり作品を作っていたことは、死の間際まで知られていなかったらしく、ダーガーのアパートの家主ネイサン・ラーナーが一切の所持品を託されて初めてわかり、氏が保存したことで、今こうしてアーティストとしてのダーガーがあるようだ。
19歳頃から11年以上かけて、15145ページにおよぶ物語『
非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ---アンジェリニアンの戦争の嵐の物語』を執筆。
つまり、ダーガーは独り部屋でこの想像の世界に生きていたらしい。
今回の展覧会は、1930年代よりこの物語の絵画制作が始まり、その絵が展示されているもの。
絵は、新聞や雑誌などがコラージュされたりトレースされたりして描かれた、イラストのようなもの。女の子が沢山描かれている。裸や全裸の女の子も多く描かれるが、明らかに女の子なのにおちんちんが付いていたり不思議だ。
ただこういった絵があるのなら、単なるイラストじゃん、と終わるんだけれど、バックグラウンドを知って、そのあまりに長大な物語を大量の絵にしたものを目の前にすると、本当にこの世界に生きていたんだな、と思わざるをえない。ダーガーという人間の空想の世界を旅行しているようだった。
そして、物語のタイトルからもわかるように、そのテーマは今もなお現代的だ。裸の女の子たちが銃を持って戦地にいたりする。残虐な目にあったりしている。
果たしてダーガーは何を思っていたのだろうか。
また、ダーガーの部屋の様子を記録した写真も展示されていた。
収集癖のあった彼は、新聞や雑誌を大量にとっていたのだが、その部屋の様子にビックリした。倉庫のように色んなものが置かれている。
ここで長い年月、独り黙々と想像の世界を描いていたのかと思うと、何か感じるものがある…。
ネイサン・ラーナーの回想文があった。思い出してみると、
晩年の20年(たしか)ダーガーにはほぼ毎日会っていたが(朝食に降りてきたらしい)、ごくまれに訪れる神父以外、ダーガーを訪ねてくる人はまったくいなかった。
ダーガーはよく遠くまで散歩に出て、ゴミ箱をあさって雑誌や壊れたおもちゃ、薬の空き瓶などを拾ってきては収集していた。メガネは医療用テープでかろうじて形をとどめるように固定され、時には何週間もレンズが割れたままだったりした。
ダーガーから話しかけることはほとんどなかったらしい。
また、物真似がうまく、ダーガーが独りでいるとは思えないときもあった。というのも、勤務先の病院の上司である女の人の声を出して、一人二役で言い争ったりしていたらしい。
最晩年、ケガで膝を痛め階段すら昇るのがままならなくなると、カトリックの老人ホームを紹介してくれるように頼まれて紹介した。清潔なタイル、テレビ、飛び交う会話、そんな場所へダーガーを訪ねてみると、明らかに彼は怯えていて、隅に1人座っていた。それから数ヶ月後に亡くなってしまった。
所持品の一切を託され、その頃までダーガーがどういう人物なのかわからず、アーティストだったことを今話せるようになったことが残念でならない。
この展覧会を見て、何をどう語るとかは難しい。
子供・奴隷・戦争などをテーマに15145ページの作品を書いてしまったことに思いを馳せ、人間の持つ想像力の爆発に身を委ねて鑑賞してみよう、と思います。
靉光もそうだったけれど、色々と思う所があるというか、頭を働かせる。
最後の展示室では、明るいイメージの絵になっていた。「夢の楽園」という展示室。
つまり、戦争が終結(もしくはそれに近い状態)になった王国を描いたものであろう、とのことだった。
花などに溢れた場所で、武器などは持っていない女の子たちが遊んでいる様子だった。
[メモ]
ヘンリー・ダーガー 少女たちの戦いの物語---夢の楽園
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原美術館 (品川区)
7月16日まで