アーティスト 加藤雄太 のブログ
展覧会のレヴュー、本の感想、その他制作の日々の模様など。
ホームページは yutakato.com 作品掲載してます。

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◆4月の掲示板的な◆
花見とは無縁ですが、桜並木の下を通りました。UTです。
やっぱり綺麗。

更新がとだえとだえで……(反省)

今月は、ドローイングをどうぞ。
変わる予感を感じている表現を、端的に表現してみたり。

新年度
色々環境が変化した人にもれない僕です。
まずはゆっくりペースをつかもっと。


あ、それから個展の告知ですね

●2007年11月12日から12月8日 @こころとからだの元氣プラザ/飯田橋
●2008年2月4日から9日 @ガレリア・グラフィカ bis/銀座
●2008年9月29日から10月4日 @ギャラリー山口(1階)/京橋


是非是非、よろしくお願い致します。

来年までで、個展3つです。こんなにハードになる予定じゃなかった…(苦笑)。


[画像]
Drawing
2007/02/25
画用紙にパステル
by UT
※画像の無断転載・転用は禁止です





脱半地下宣言
25日に引っ越しました。
ついに、半地下じゃなくなった。隣は早いときは2ヶ月くらいで入れ替わっていた半地下物件。湿気やカビとおさらばです。


新居は、日差し良好。窓を開けると外にいるかのような風通り。
目の前は漕艇場と荒川。水と緑の世界です。
ここを見に来る前、不動産やでGoogle Earthでここのロケーションを見た時衝撃的でした。
競艇もやるっぽい。
周囲は企業や大学のボート部の倉庫や部室が非常に多いです。
今日は隣は新人歓迎会らしく、バーベキューしている模様。

ええ、そうです。ギリギリ100メートル神奈川県民から、ギリギリ100メートル埼玉県民になったのです。



ほら、金八先生の世界(笑)→

なんというか、ド夜型な僕も、早起きくんになりたくなるような場所(笑)。
散歩とかしたいっ!
目指せ自己改革!



野外で絵を描きたいなぁ。
スケッチブック持って、さらさらと描きに行ってみよう♪



今日は日曜のせいか、皆さんころがっていました。
長閑。


それはそうと、片付けが……(涙)。
ダンボールが……

これをなんとかしないと、絵も描けないし、もうもう。
展覧会も行きたいし、もうもう。
まぁ、コツコツやっていこう。
美術館とか、グッと近くなってよかったです♪


………ブログのタイトルどうしようか





懐かしいものが色々出てくる
いよいよ佳境な引越し準備。
こないだは、時間もあるしゆっくりやろう、などど言いましたが、

……余裕無い。

やはり捨てれない症は発動で、それでもかなり持ち物身軽になりました。

画材だけで、ダンボール7箱……

画集だけで、ダンボール3箱強……

先程は、市に依頼して粗大ゴミがついに消え去り。すっきり。
あと、無料J:COMのチューナー撤去も完了。今回は、前回のように膠ひっくり返される的ハプニングはなく、至って迅速に終了でなにより。

Macのことも考えるべきだろうか、ということで、iPhoto、Mail、アドレスブック、iTunes、その他もろもろのデータ、をバックアップ。
おしおし♪

そして今、iMac床に置いて、キーボードうってます。うちにくい、というか手が痛い。




『ヘンリー・ダーガー』展
ヘンリー・ダーガー(Henry Darger)[1892-1973]は、アメリカの画家。超孤高の画家。
幼くして母親を亡くし、父親は病気のため、8歳でカトリック系の児童施設に預けられた。その後、感情障害の兆候をきたし、重度の精神遅滞児童のための施設に入れられる。ただダーガーには知的障害はなかったようで、充分な教育を受けられずに育つことになった。17歳で施設を脱走し、病院で雑用の仕事をしたりしながら81歳で死ぬまで、天涯孤独の人生だった。
所謂、アウトサイダー・アートが語られる時、よく名前が挙がる人物である。

ダーガーは美術教育を受けていないので、雑誌の切り抜きなどをコラージュしたりして作品を作っていた。
こうして絵を描いたり作品を作っていたことは、死の間際まで知られていなかったらしく、ダーガーのアパートの家主ネイサン・ラーナーが一切の所持品を託されて初めてわかり、氏が保存したことで、今こうしてアーティストとしてのダーガーがあるようだ。

19歳頃から11年以上かけて、15145ページにおよぶ物語『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ---アンジェリニアンの戦争の嵐の物語』を執筆。
つまり、ダーガーは独り部屋でこの想像の世界に生きていたらしい。
今回の展覧会は、1930年代よりこの物語の絵画制作が始まり、その絵が展示されているもの。

絵は、新聞や雑誌などがコラージュされたりトレースされたりして描かれた、イラストのようなもの。女の子が沢山描かれている。裸や全裸の女の子も多く描かれるが、明らかに女の子なのにおちんちんが付いていたり不思議だ。
ただこういった絵があるのなら、単なるイラストじゃん、と終わるんだけれど、バックグラウンドを知って、そのあまりに長大な物語を大量の絵にしたものを目の前にすると、本当にこの世界に生きていたんだな、と思わざるをえない。ダーガーという人間の空想の世界を旅行しているようだった。

そして、物語のタイトルからもわかるように、そのテーマは今もなお現代的だ。裸の女の子たちが銃を持って戦地にいたりする。残虐な目にあったりしている。
果たしてダーガーは何を思っていたのだろうか。

また、ダーガーの部屋の様子を記録した写真も展示されていた。
収集癖のあった彼は、新聞や雑誌を大量にとっていたのだが、その部屋の様子にビックリした。倉庫のように色んなものが置かれている。
ここで長い年月、独り黙々と想像の世界を描いていたのかと思うと、何か感じるものがある…。

ネイサン・ラーナーの回想文があった。思い出してみると、
晩年の20年(たしか)ダーガーにはほぼ毎日会っていたが(朝食に降りてきたらしい)、ごくまれに訪れる神父以外、ダーガーを訪ねてくる人はまったくいなかった。
ダーガーはよく遠くまで散歩に出て、ゴミ箱をあさって雑誌や壊れたおもちゃ、薬の空き瓶などを拾ってきては収集していた。メガネは医療用テープでかろうじて形をとどめるように固定され、時には何週間もレンズが割れたままだったりした。
ダーガーから話しかけることはほとんどなかったらしい。
また、物真似がうまく、ダーガーが独りでいるとは思えないときもあった。というのも、勤務先の病院の上司である女の人の声を出して、一人二役で言い争ったりしていたらしい。
最晩年、ケガで膝を痛め階段すら昇るのがままならなくなると、カトリックの老人ホームを紹介してくれるように頼まれて紹介した。清潔なタイル、テレビ、飛び交う会話、そんな場所へダーガーを訪ねてみると、明らかに彼は怯えていて、隅に1人座っていた。それから数ヶ月後に亡くなってしまった。
所持品の一切を託され、その頃までダーガーがどういう人物なのかわからず、アーティストだったことを今話せるようになったことが残念でならない。


この展覧会を見て、何をどう語るとかは難しい。
子供・奴隷・戦争などをテーマに15145ページの作品を書いてしまったことに思いを馳せ、人間の持つ想像力の爆発に身を委ねて鑑賞してみよう、と思います。
靉光もそうだったけれど、色々と思う所があるというか、頭を働かせる。

最後の展示室では、明るいイメージの絵になっていた。「夢の楽園」という展示室。
つまり、戦争が終結(もしくはそれに近い状態)になった王国を描いたものであろう、とのことだった。
花などに溢れた場所で、武器などは持っていない女の子たちが遊んでいる様子だった。



[メモ]
ヘンリー・ダーガー 少女たちの戦いの物語---夢の楽園
原美術館 (品川区)
7月16日まで





『靉光展』
靉光(あいみつ)[1907-1946]は広島出身の画家。本名は石村日郎。昔池袋にあった池袋モンパルナスという芸術家が多く住む界隈に、1924年に上京してきて、独自の絵画世界を築きあげていった。
画家を志したのは、1922年頃のことらしく、その後画塾に通い始めた。この頃、靉川光郎と名乗るようになり、それが靉光となっていった。
シュルレアリスムと関連して語られることが多いらしく、本展でも何度か解説にシュルレアリスムという言葉が出てきた。
戦争が始まると1944年に召集を受け、終戦後1946年1月に上海の病院で戦病死した。38歳。

今回の展覧会は、そんな靉光の生誕100年を記念し、作品約120点により構成され、初期から最晩年までを一望できる機会。
会場では、時系列順に作品が展示されていた。

靉光という人は、とことんまで表現方法を模索した人で、それが非常に伝わってきた。
話をまとめようと思っても、その多様な画風を観てきてしまったのでとても難しい(苦笑)。
色んな画家の作風を吸収しようとするのも人一倍だったようで、初期の作品では、ゴッホの影響を強く受けたとされる風景画、そしてルオーの影響を強く受けたとされる人物画が展示されていた。両方ともなるほど、たしかに、である。
こうやって西洋の画家に学ぼうとするのもそうだし、そういうこと以外にも、画材の研究も取り組んでいたようで、独自の手法を用いた作品が幾つもあった。マチエールへのこだわり、非常に画材と格闘した人だというのもわかった。

全体に思ったことは、特に静物画であるが、まるでモチーフを人物として描いているような印象である。うまく言えてないかもしれないが、モチーフから受けた印象(モチーフの気持ち)のようなものを代弁した、という感じを僕は受けた。
とても多様な作品なので、一口には括れないが。

明暗が非常にハッキリした画面も特徴だが、これはドラマチックさを生む。何でもないモチーフやほとんど判別できない抽象に近いような画面でも、なにか精神的な奥行きを感じる。
明暗の話をしたが、このコントラストは明るさだけではなく、モチーフにも現れる。死んだ生物と生きた植物、などである。生と死が云々と書かれていたが、それもあるだろうが僕としてはそれよりも何でも描きたくてしょうがない欲求がそうさせたようなエネルギーを感じた。

また、静物画などはポツンと描かれ背景は色面が多い。なんとなく画家とモチーフというそれだけの関係で、モチーフを真摯に見つめた様子が伺えるような気がした。

晩年の花などは、どこか生にしがみつく、という印象を持った。
というのも、暗い画面にポッと色で描かれた花などは、「光はあるよ」「生きてていいんだよ」と言っているようだ。儚いが、とても力強い。

物や風景の奥にあるもの。精神的画面。そういうものを見つめた画家なんではないだろうか。


こうして述べた以外にも、非常に描写力のある作品やスケッチなどもたくさんある。
10歳くらいで描いたという肖像画は、とてもうまくてビックリします!
墨で書いた写実的な植物や肖像画もあり、本当に多様な作品たち。

そして、有名な《眼のある風景》も出品されている。見れてよかったぁ。
この作品もそうだが、全体として、鑑賞者は色々と考えることになると思う。頭を働かせるというか(苦笑)。
こうしてエントリー書くの大変です。
でもね、けっこう火がついた。こうして色々僕もやってみたい…!



[メモ]
生誕100年 靉光展
東京国立近代美術館 (千代田区)
5月27日まで

巡回:
→宮城県美術館→広島県立美術館





『モディリアーニと妻ジャンヌの物語展』
以前もBunkamuraでモディリアニ絡みの展覧会がありましたが、今回のはもっと濃くモディリアニです。

アメデオ・モディリアニ(Amedeo Modigliani)[1884-1920]は、イタリア出身の画家。活動の拠点はパリのモンパルナス。
元々体は弱かったようだが、その美貌で恋多き人生だった。パリに移ってからは、女たらしとして知られ、酒と麻薬に溺れ、貧困の中荒れた生活を送り、結核性脳膜炎で35歳で死去。その悲劇的な人生は良く知られたところである。
ジャンヌ・エビュテルヌ(Jeanne Hèbuterne)[1898-1920]は、画家でモディリアニの最後のパートナー。解説を読んだ限りは結婚はしてないのかな?ただし、婚約はしていた。モディリアニとの娘も1人いる。彼女に関する資料はほとんどないらしく、モディリアニと出会う前に関しては、良くわからないらしい。
モディリアニが32歳の時、当時18歳のジャンヌと出会い恋に落ちる。その後、生活をともにし、モディリアニが35歳で死んだ2日後に、ジャンヌもアパルトマンの6階から身を投げ、悲劇的な最期をとげた。その時、お腹の中には2人目の子供を妊娠中だった。

今回の展覧会は、このジャンヌの遺族のコレクションが発見されたことによるもの。これによって、ジャンヌという存在も、初めてより詳しく見えてきたようです。

さて、最近展覧会へほとんど行けていないので、隙をついて行ってきました。
良かった!

最初っから最後まで、モディリアニとジャンヌの作品で埋め尽くされていて、充分両者の作品を堪能することができる。その世界観に浸れる。
2人の作品について比較すると、
極力背景等をシンプルに描き、精神性を重視するモディリアニに対し、ジャンヌはその状況を説明的に画面に描き込む。この点は大きく対照的である。が、僕はその通じる所のあるかのような画風に驚いた。対象のフォルムの把握や線など。赤の他人とは思えないような感じだった。

やはり、モディリアニ、素晴らしい。これぞモディリアニという作品、沢山あります。

何かが見えていたんだろうな。
形態の把握を越えた何かが。
感じ取ってしまったものを画面に描いた感じ。
精神的であり、内面を透かしたような、そんな絵だと思った。

削ぎ落とし、シンプルなフォルムに還元された人物画。多くは正面から描かれている。
削ぎ落としたけれど、圧倒的な存在感。
削ぎ落としたが故に、そして存在感を持っているが故に、鑑賞者は人物と向かい合わざるを得ない。

感じ取ったものを、ああいう風に表現できることに、改めて驚いてしまった。


ジャンヌの絵ももちろんいいのだけれど、やはりモディリアニに目が行ってしまった。
ジャンヌは色を使った作品よりも、素描の方が良いと僕は思った。どことなく物語性を感じさせる、何気ないものを絵にしてしまう、そんなセンスが光る。


久々の美術館だったけれど、良い展覧会です♪
オススメ。興味ある方は是非。楽しめると思います。

本当はこの後、別な某展覧会も行くつもりでいたんだけれど、徹夜で本などをダンボールに詰めて寝ずに行ったので、UTさん激しく疲労…(苦笑)。満足もしたし切り上げました。
観たいの多いなぁ。



[メモ]
モディリアーニと妻ジャンヌの物語展
Bunkamura ザ・ミュージアム (渋谷)
6月3日まで

巡回:
→札幌芸術の森美術館→大丸ミュージアム・梅田→島根県立美術館→山口県立美術館





『芸術起業論』
芸術起業論
著:村上隆 (幻冬舎) 1680円
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一部で話題になった本。
有限会社カイカイキキ代表のアーティスト村上隆の著作。

村上隆って人は、一般の人にはどれくらい名が浸透しているのだろう?
わかる人にはわかる人。
日本人で今最も有名な芸術家の一人。
ルイ・ヴィトンのあの人です。モノグラム・マルチカラーとかデザインした人。
ニューヨークでは、みんなが知ってる日本人ランキングの1位がオノ・ヨーコで、イチローや松井秀喜などとともに5位以内に入っていた気がします。

僕は、彼と最も繋がりの深いであろう評論家の椹木野衣さんのゼミ生でしたし、色んな講義取っていたので、村上隆という人についてそれなりに詳しく認識できていると思います。
が、これは書評(というか読書感想文)なので、人物の説明は省略しちゃいます。
とりあえず、海外と国内の評価に大きなズレがある人。大方の国内の美術関係者に、激しく嫌われている人。
そんな滅茶苦茶アニメっぽい作品という印象が強い人ですが、東京藝術大学で日本画を学び、11年在学して、芸大史上初の日本画の博士号を取りました。
とだけ(笑)。
なんか説明が面倒くさ過ぎて、この本のエントリーはずるずる延ばしてきました(そして省くことにしてしまった/苦笑)。

ちなみに、僕自身は、ファンでもなんでもないし好きでもなんでもないですが、別に毛嫌いもしていないという感じです。
ただし、アート界に於いてこれだけ大きな存在になっている今、同時代を生きる者として、そこに何があるのか知り検証することは大切だと思います。これは何にでも言えることでしょう。アンテナは伸ばしていないと。

本の内容は、簡単に言えば、どうやって美術の世界で生き残るか、について自身の経験から詳しく書かれている。
何というか……怒りの書(笑)。挑発的とも言える程、日本の美術界に色々ぶつけている。
目次からすごいです。例えば、
・芸術作品の価値は、発言で高めるべき
・世界で評価されない作品は、意味がない
・価値を生むのは、才能よりサブタイトル
・日本の本道では、世界の評価はもらえない
とか。

美術の「文脈」を理解することがいかに重要か、ってことがとても強く書かれている。
今までタブーっぽくて、誰もここまでまとめて大胆に発言できなかったことが、赤裸裸に書かれている、とでも言おうか。
どんなにむちゃくちゃな発言に見えても、そういったことがあるのは事実なわけで、見ないふりをしてはいけないのだと思う。
実際僕自身日本画を専攻していたし、何というかその閉鎖的な世界に幻滅なところは多々です。

かなり強烈な内容なので、刺激物な気はします。でも、知っとくのは大事かな、と。
実際、歯に衣着せぬ内容は、光を当てられてこなかった領域を知る機会になるのは間違いないでしょう。
というか、知っとかないと、ということも多い。新たな一面を見る1冊、という感じだろうか。
こいつはダメだと頭ごなしにけなしたり、また、そうなのかとあまりに強く影響を受けて酔ったり、とかはせずに、今後必要な時に考えたりするための1ピースと思えばいいのではないかな。

ただ、この本にあるのは解答の1つであって、これ以外に生き残る方法がないとは僕は思わない。実践するかしないかで、白か黒かを決めるのは安易であると思う。
僕は僕の作品の力で喜ばれたいし、作りたいものを創りたい。
そうやって拡げて、やはり間違えてなかった、と思えるようになりたい。
自分と自分の作品の力を信じたいと思った。





Oh! Really?
引越しが現実味を帯びてきたこの頃です。
パネルとか、大変だな…。
まぁ、でもゆっくりやろうと。時間はあるので。


そして、最近は夜眠れない。すっごい眠いのに、眠れない。寝るの特技なのに、眠れない。夜に限って。寝たいのにぃー。
だからこうして、ぽちぽちと記事書いてみたり(苦笑)。

でもこないだ、思い返すとちょっとした変化の夢を見ました。
いや、2月くらいから例の「えいご漬け」をちょこちょこやったりしていたのですが、その成果なのかどうなのか、………夢が英語だった!!(驚)
ドイツ人の親子と歩いているんですが、英語で会話していました。


さて、いらないものをゴミ袋へ入れようかな。
捨てるものは捨てる、から始めてます。というのも、僕は重度の捨てられない症候群なので(謎)。何でもとっておくんですよ。そして、捨てられないんですよ。小さな頃から。
この機会に、持ち物整理するのだっ♪




会期決定
まだ会期が決まってなかった今年の個展ですが、決定したのでお知らせします。
今月の掲示板の方に掲載しました。

僕もまだ行っていないのですが、飯田橋に近年できた医療施設です。結構大きいみたい。
掲示板のリンクから飛んで「フロアガイド」を見てもらうとわかりますが、1階にある「ギャラリーひろば」というところで個展を行います。
1ヶ月間。
よろしくお願いします♪

今後、打ち合わせとかしていくようです。詳細が決まったら、また順次報告していきますね。




『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』
若き詩人への手紙 若き女性への手紙
著:リルケ 訳:高安国世 (新潮文庫) 340円
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ライナー・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke)[1875-1926]は、チェコ出身の詩人・小説家。ロダンの秘書を務めたというのも有名な話。
たしか、リルケの住んでいたアパルトマンに、誰か有名な人が偶然にも居たはず…。しかも隣の部屋だったと思う。その誰かが遅く帰ってきても、必ずある部屋の明かりは灯っていて、あとで知ったことにはその部屋はリルケだった、というエピソードがあるんだけれど、誰だったかなぁ……。とても有名な人なんだけれど…。

それはともかくとして。

この本は、リルケの手紙が丸々収録されている(リルケの送ったもののみ)。
前半は、ある詩人志望の青年(フランツ・クサーファ・カプス)とのやり取り。
後半は、子を持ったある女性のとやり取り。

良かった。
偉大な詩人リルケが、これほどまで丁寧に、無名の青年と手紙をやり取りしている、ということにまず感動を覚えてしまう程、真摯な手紙の内容である。
芸術、生活、愛、性…など、本当に踏み入って、真面目に相談に応えている。

素敵な言葉、助言、に溢れているのだけれど、それを話しているリルケも、まだまだ若いことに驚く。

リルケという人は、ロダンのもとでの経験などもあり、生への揺らぎ、のようなものをかなり強く感じ、そこに芸術というものでなんとか均衡させ、生きた人だと思う。
不安感、とでも言おうか。
このあたりは、『マルテの手記』を読めば、圧倒的な不安、孤独、圧迫、などを読み取ることができる。
そんな中、同じように悩み苦しむ若者を見て、やはり感ずるところがあったのかもしれない。リルケの経験を通した言葉が語られる。

良書だと思います。


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自らの内へおはいりなさい。あなたが書かずにいられない根拠を深くさぐって下さい。それがあなたの心の最も深い所に根を張っているかどうかをしらべてごらんなさい。もしもあなたが書くことを止められたら、死ななければならないかどうか、自分自身に告白してください。

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必然から生まれる時に、芸術作品はよいのです。

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