昨日始まったばかりの展覧会。
2003年にフランスから始まった展覧会で、当時まだブレッソンは生きていました。この展覧会は作品のチョイスや構成など、ブレッソン本人が行った展覧会であり、大変充実したもの。2004年にベルリンへ展覧会が巡回中にブレッソンは逝き、昨日から日本への巡回展が始まったわけです。なお、日本では東京国立近代美術館のみで開催。
アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)[1908-2004]は、フランス出身の写真家。今まで何度も名前を出してきたと思います。
ロバート・キャパらとともに、フォト・ジャーナリズム集団「
マグナム・フォト」を結成し、数々の歴史的現場、歴史的人物を撮影してきた写真家。20世紀を代表する写真家の1人に間違いなく数えられる人物。
「決定的瞬間」とは、現在では耳にすることもしばしばであるが、もともとはこのブレッソンの写真集「逃げ去るイメージ(Image à la sauvette)」の英語版(「The Decisive Moment」)のタイトルであり、日本で紹介するにあたり後者の英語版の訳が採用され、浸透していった。
晩年は、写真を撮ることから退き、絵画に没頭する。
さて、展覧会は………
大変良かった!!
自選による写真と、ヴィンテージ・プリント、ブレッソンの幼少期からの写真、そして……デッサンや油彩!と、盛りだくさんの約500点からなる見応えある展覧会。
ブレッソンといえば世界中を旅して回り、数々の国を写真に収めてきたけれど、それが改めてわかります。
そして、歴史的に重要な場面に居合わせる不思議。これだけ、様々な現場にいた人は他にいないのではないだろうか。ガンジーの死や、中国共産党が政権を握る瞬間、などなど。
そして、そういった歴史的事件じゃなくても、その先々でフィルムに焼き付けた日常の瞬間。
偉大なる才能だと思う。
ブレッソンは構図に非常にこだわった人だけれど、まさに”これしかない!”というもの凄い構図で光景が切り取られている。
普通だったら通り過ぎてしまうような所でも、ブレッソンにかかるとそれでは終わらない。
何気ない風景、日常の光景、そういったものから写真になる瞬間を見つけること。
研ぎすまされた目と感覚に、ただただ驚く。
ポートレートも有名だ。
20世紀に生きた数々の偉大な芸術家たちを写真に撮ってきた。
キャパにも言えることだけれど、これはブレッソンやキャパだからできたことで、普通だったらアトリエになど入れないようなアーティストたちのポートレートがたくさんある。
ボナールやマティス、
ジャコメッティや
ルオーにピカソ、カポーティにサルトル、……などなど。
ブレッソンの実力や信頼が為せる業だろう。そしてその親交の幅の広さはすごい。
レオノール・フィニのオールヌードは綺麗だった…ドキドキ…(笑)。
写真を観ていると、本当に日常の中の物語が綴られている。ブレッソンが観て感じたものだ。先入観や文明讃歌などない。ただただ、同じ高さの視線を感じる。
ブレッソンは旅をする時、それぞれの国に長期滞在する。あるいは、年数を置いて再び訪問する。何でもそれは、その国をその国と比較して理解するためらしい。
人々や文化へ向けられた眼差しを感じるエピソードだと思った。
前々から気になっていた絵画作品も結構出品されている。
裸婦のが良かった。ヌードだと気合いが入るのだろうか?(笑)
「写真は短刀での一突き。絵画は瞑想だ。」 とはブレッソンの言葉。
有名な、
「目と頭と心の照準線を1つにすること」
という言葉を感じられる展覧会。
観て損はないでしょう。あえて不満を言うならば、図録がへっぽこというくらい。
おすすめです。
過去のブレッソン絡みの記事は、
・
『アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶』(映画)
「写真について」シリーズも2回で止まってますね…。いい機会だし、そろそろ新しく書こうかな、と思ったり。
・
第1回・
第2回ちなみに今売っている「
pen」という雑誌は、ブレッソン特集ですよ。
書店員より情報です(笑)。
[メモ]
アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌@
東京国立近代美術館 (千代田区)
8月12日まで