アーティスト 加藤雄太 のブログ
展覧会のレヴュー、本の感想、その他制作の日々の模様など。
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◆7月の掲示板的な◆
作品 200707

最近淋しい掲示板(苦笑)。
おそらく、この時期の記事で1番多いであろうフレーズ……

もう半年っ!!

ですね。
もうしばらくすると、
2007年の春秋も早々に過ぎ去り…、などとなってしまうのだろうか。

蒸し蒸しと暑い今日この頃、早速蚊に刺され左手の小指が腫れてます。
今月も行きたい展覧会が結構あるようで、アクティヴにいきたい。

新たに変化を得て溢れてくるイメージが、なかなか画面に表すことが出来ずに、むぅ、ですが、それでもなんとか漕ぎ着けた新作をどうぞ。
なんとも季節感バッチリな色合いですが、図ったわけではなく、そもそも海でもなかったり。



[画像]
《記憶の予感》
2007/07/01
岩絵具、板
31.8×41.0cm
《Expectation of Memories》
Powdered mineral pigments on wood
※画像の無断転載・転用は禁止です
どこまでも究極に…
バイト後、泉田法師君と焼き鳥を頬張りながらアルコホリック。
といっても、彼は酒が苦手。
毎回思うけど、これだけ気を置かずに、酒を飲める時間は大切。リセット……は困るけれど、リフレッシュ、である。

再び雷が轟く中帰宅し、爆睡。
夢を見る。

夢の中で、自作について議論しているところを見る。
その中で聞いた、とあるワンフレーズが、目覚めた今も脳裏にこびりついている。
同時に見た、絵のイメージ。
これもしっかり覚えている。

さぁ、この意識の変性状態で得たヒントはヒントなのか。
感触を得られたことはたしか。

目覚めたら、晴れていた。
梅雨が明けたのならいいな。
『佐藤忠良記念館』
埼玉の荒川のほとりへ帰っております。

さて、短期帰仙最中日に、宮城県美術館へ行ってきた。
ここには、佐藤忠良記念館があって、ものすっっっごい久々に入ったのである。

佐藤忠良(ちゅうりょう)[1912-]は、宮城県出身の彫刻家。日本を代表する彫刻家の一人。

1990年に、宮城県美術館に佐藤忠良記念館ができた。
久々に入ったら、こんなに立派だったか、と驚く。

それにしても、作品が良かったのでビックリした。
あるべき形、と、自然さ、と言おうか。

佐藤忠良はオーギュスト・ロダンに傾倒した時期もあったのだが、ロダンっぽくないところがよい。
というのも、近代日本の彫刻を観ていると、あまりの「これ、ロダンでしょ」的なフォルムに辟易することが多い。そんなわけで、平櫛田中(ひらくし・でんちゅう)などの作品を観ると、ものすごく素晴らしく思う。
佐藤忠良の作品を観ていたら、自己の表現というものを強く感じた。自然だし、観ていて心地よい。

立ち寄って良かったと思った。



ちなみに、美術館内には、
「アリスの庭」
とう場所がある。

そこで撮ったウサギさん。
宮城県美術館 アリスの庭



[メモ]
佐藤忠良記念館
宮城県美術館 (仙台市)
常設展につき常時
『トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す』
本『トニオ・クレーゲル』
トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す
著:トーマス・マン 訳:高橋義孝 (新潮文庫) 420円
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トーマス・マン(Thomas Mann)[1875-1955]は、ドイツの作家。
ブッデンブローク家の人びと』(1901)という作品で名を上げ、ヴィスコンティが映画化している『ヴェニスに死す』なんかは有名なので聞いたことがあるのでは。1924年には、11年の歳月をかけ『魔の山』を完成させる。1929年にノーベル賞を受賞した。
ドイツを代表する小説家のひとり。


さて、今回の本は、『トニオ・クレーゲル』と『ヴェニスに死す』の2編が収録されている。

『トニオ・クレーゲル』は、トニオ君という文士の話。
少年期から描写は始まり、その後のトニオの生活が描かれる。
芸術への憧憬を持っていたトニオは、どこか孤高の人で、まるで何かを探すように、だが極めて必然のように、様々に土地を渡る。
この話の中では、芸術についてうんと書かれている。そして、それが面白く、惹きつけるものがあった。
物に名前をつけること。
認識の嘔吐。
など、いくつも興味深いことが書かれている。
読んでいると、心が旅をするような、不思議な感覚。
深く洞察し、感ずる、トニオ君。しかし、そんな彼がが彷徨しながらも、なにか開放されるというか、突き抜ける瞬間があるというか、読んでいてそういう場面があるように思えた。
それが、なんでだろう、今思い出して残っている感触は、あったかさなのだ。


『ヴェニスに死す』は、アシェンバハという老人の話。彼も作家である。とても売れっ子。
とある経緯で、ヴェニスへ長期旅行することにしたアシェンバハ。しかし、そこで、どうしようもなく美しく魅力的な幼い少年を、同じホテルに見つけてしまう。彼を見ていたいが為に、ずるずるヴェニス滞在は延びていくわけなのだが。
心理描写が美しい。


どちらの作品にも言えることなのだけれど、とても綺麗なのだ。
どうしようもなく美しくて、切なささえ美しさになってしまう。
キラキラ光っている思い出箱、という理屈のない感覚を持ってしまった。

押し付けがましい硬さなどなく、ちらちらと「美」や「芸術」が見える文章。
アーティストとして僕は、とても素敵な本だと思いました。
おススメです。


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波の中には歓呼の声のようなものが沸き上がってきた。そうしてこの声は暴風と怒涛の響きにまさるほどに強いもののように思われた。愛情に油を注がれて、海へ寄せる歌声が心の中に響きわたった。なんじわが若き日の猛き友よ、今ぞわれら結ぼおれたり……しかしそのさきは続けられなかった。この詩は完成せず、十分に仕上げられず、また、悠々として何か纏まったものに刻み上げられることがなかった。彼の心は生きていたからである。

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『マダム・エドワルダ』
本『マダム・エドワルダ』
マダム・エドワルダ
著:ジョルジュ・バタイユ 訳:生田耕作 (角川文庫) 504円
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ジョルジュ・バタイユ(Georges Bataille)[1897-1962]は、フランスの思想家・小説家。
「エロティシズム」ということについて、徹底的に考察した人。
バタイユが生まれたときから父親は盲目であり、後に発狂した。母親もその後、バタイユの見ている目の前で発狂し、何度か自殺未遂を繰り返した。
バタイユは始め、敬虔なカトリック信者だった。が、その後信仰をなくし、ヘーゲルなどに没頭。特に、ニーチェを通して、徹底的に神を否定する立場になる。
殊に「エロス」と「死」についてたくさんの執筆をした。


さて、満を持してというか、ついにバタイユを読んだ。
今回読んだ本には、

○マダム・エドワルダ
○死者
○眼球譚
○エロティシズムと死の魅惑 講演・討論会記録

が収録されている。
『マダム・エドワルダ』や『眼球譚』は、バタイユの代表作。
生田耕作の名訳で贈る本。



エロいっ!エロいっ!!変態っ!グロいっ!
が、端的な内容です(笑)。

が、ただのエロエロヘンタイだったら、こうして歴史に残るわけもなく、他に読みたい本もたくさんあるのにわざわざ読むわけもない。
そこには、深い哲学があるわけで。

どの話も、隅々までエロスに満ちているわけだけれど、人を捉える「エロス」というものが、一体何なのか?という問題が作品の下に流れている。
バタイユは神を否定したと上述したが、代わりにこの「エロス」が神的なものなわけです。すなわち、暴力的なまでに絶対的な力、というものをそなえている。
また、バタイユは、「恍惚的快楽は戦慄を伴ってはじめて実現する」と言っている。これは、エロスと死に関する考察にもつながってゆく。


ともかく、登場人物たちは、尋常じゃなくぶっ飛んでいる。
でも、本能的な衝動の強さ、を見ることができると思うんですよね。そこまで支配する「力」は一体何なのか。
そんなことを考えつつ読んでみたりすると、行間が見えてくる気がする。

また、『眼球譚』の第二部以降は、ヒント的な解説の面を見せ、作中のあのシンボルは何を意味していたのか、などが徐々に見えてくる。


最後の『エロティシズムと死の魅惑』という講演は、実際に1957年2月12日にパリで行われたバタイユの講演とその後の討論会の様子を、各自の発言まで収録したもの。
出席者にはなんと、ハンス・ベルメールやアンドレ・ブルトンなどもいます。


「生」「性」「死」によって人間を描いた、エロティシズムによる神秘。
やはり芸術を考える上で、「生」「性」「死」というのは基本となってくる3本柱で避けられないもの。
「エロティシズム」に関する代表的作品。
・・・グログロだったりしますが(苦笑)。


余談ですが、最近、「光文社<古典新訳>文庫」というのが発刊されていて、その中に、この作品もあるのですが、『眼球譚』は『目玉の話』と訳されています・・・。なんたるナンセンス。
読むなら、生田耕作訳で読むことをおすすめします。上品ぶらずに、どかんと卑猥に訳している名訳。
この間に
週末、用事があるので、仙台へ帰ってきてます。
帰仙。


せっかくなので、この間に、たまっている読書感想文をいくつか、と思って、読んだのをわずかばかり持ってきたので、書いてこっそりとアップしようかなぁ・・・、と。


それにしても、昨日一昨日は寒かった。
今日も負荷を
とても私事ですが、茂木健一郎という人が、最近気になっている。
以前も、時間の使い方でビックリしたと言いましたが。
一般には“アハ体験”とか“プロフェッショナル仕事の流儀”とかで有名なあの脳科学者さんです。“クオリア”の人。

なんというか、彼の言うことは、ハッとさせられる。
芸術などへの言及も多く、それがまた大変興味深いことだったりするので、感心します。

ついこないだも、『生きて死ぬ私』というエッセイを読んだとこ。

なので、氏のブログをよく読む。
読んで、反省して(苦笑)、気合いを入れるのです。
アートな記事もたまにあり(創造と脳を研究もしているようですし)、ダ・ヴィンチの時もいいことを言っていたので、勇気を出してトラックバックしようと思ったんだけど、過去記事検索出来ないので辿り着けなく諦めた次第(苦笑)。


茂木さんの偉い所は、講演会の音声を公開しているとこ。
これが最近の出勤マイブーム。
もの凄く、刺激を受ける。
こないだは、芸大での講義で白洲信哉さんを呼んで講演してもらった時の音源を聞いた。非常に面白かった。
だいたい一つのファイルは90分くらいだろうか。
ダウンロードしてiPodに入れているのだけれど、聞いてふんふんとしていると、電車もあっという間だ。

僕のバイトは8:30から17:00。
今日は、神奈川大学で行われた講演の音源の続きを聞きながら出勤だな。昨日途中まで聞いて、やはり反省して気合いを入れた僕がいるのでした。

詳しくは、本の記事あげた時に書きましょー。
上野から、そして
上野で『金刀比羅宮 書院の美』展『歌川広重《名所江戸百景》のすべて』展を観た後、銀座へ向かう。

千々岩修展、黒須信雄展を観る。本当は、日野之彦展も観る予定だった。
が、黒須さん本人がいらして、久々にお会いする。話し込んだので、日野之彦展はまた今度にした。
黒須さんは、本当に深い。知識の固まりのような人だ。読んでる本も半端じゃない。
「みる」こと、や、写真など、様々なことについて語る。

そうこうしていると、詩人の田野倉さんがやってきて、話に加わった。

さらに深くなる。

まだまだやることあるなぁ、と痛感。
ふいの良い会合だった。
突然訪れるこういった時間は、非常に刺激的だ。
『歌川広重《名所江戸百景》のすべて』展
展覧会『歌川広重《名所江戸百景》のすべて』

歌川広重(初代:1797-1858)は浮世絵師。《東海道五十三次》で有名だと思います。
日本の浮世絵といえば、フランスの画家たちに影響を与えたのはよく知られた話ですね。そもそも日本では、たいして価値のあるものではありませんでした。というか、ヨーロッパへの輸出用品の包み紙だったのです。今でいう、チラシでしょうか。それを、向こうの人たちが、輸出品の中身より、梱包していた浮世絵に興味を持ったわけで、広がっていったのです。
そうして、ゴッホやゴーギャンなどに強い影響を与えたのは周知の通り。例えば、画面をナナメに突っ切る木などの構図。画面ふちで人物が断ち切られていたり。雨を線で表現する、ということもヨーロッパにはないことでした。

そんな浮世絵で有名な広重の《名所江戸百景》が、偶然金刀比羅宮展の隣でやっていたので、ついでに観たわけです。

《名所江戸百景》は初代広重が118点、2代目が目録を含む2点を制作、計120点。
その全てが、順番に展示されている。

ヨーロッパで衝撃を与えた、と書きましたが、今観てもやっぱり面白い。
なんとユーモラスな構図。
人物の入れ方など、大胆で。

視線がいいです。のほほんと楽しみたい。

さらりと観ました。


--栗坊さんの記事にTB--



[メモ]
芸大コレクション展 歌川広重《名所江戸百景》のすべて
東京藝術大学大学美術館 (上野)
9月9日まで
『金刀比羅宮 書院の美』展
展覧会『金刀比羅宮 書院の美』

上野へ。傘は持っているが、小雨なので差さずに、芸大美術館へ向かう。
ぽとぽとと雨が、どこか心地よい。

さて、香川県の「金比羅山」。実は、美術でも有名。僕も何度か行こうかとしたことがある。
そんな「こんぴらさん」で知られている、金刀比羅宮(ことひらぐう)の所蔵する美術品による展覧会が始まった。境内に所蔵する品々は6000点。多くの貴重な作品もある。

円山応挙伊藤若冲、岸岱(がんたい)、らの作品が来ている。
というのも、表書院、奥書院の襖絵は彼らの作品なのだが、それらがそのまま移動し、両書院の10室を再現したものだから。


よかった!
展示室へ入ると、実際の書院と同じ配置になるように、そうまるでブースのように襖絵が飾られている。
圧巻である。
素直に見る価値あり。

若冲の花が四方を埋め尽くす奥書院上段の間、応挙の虎が四方を囲む表書院虎の間、岸岱の壮麗な風景が取り巻く奥書院柳の間、などなど……。
いやー、いい機会です。

荘厳、と、幽玄。
密、と、間。
ダイナミズムの中にも、どこか静の美を感じる。


メインじゃなくて、余白の取り方や寂しげな風景などに、どこか、自分の作品のルーツを見た気もし、日本人だなぁ、と思った。


おすすめです。



--栗坊さんの記事にTB--



[メモ]
金刀比羅宮 書院の美
東京藝術大学大学美術館
9月9日まで

巡回:
→金刀比羅宮→三重県立美術館→フランス国立ギメ東洋美術館