『
ドリアン・グレイの肖像』
著:オスカー・ワイルド 訳:福田恆存 (新潮文庫) 620円
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オスカー・ワイルド(Oscar Wilde)[1854-1900]は、アイルランドのダブリン出身の小説家・戯曲家。『サロメ』などで有名な、19世紀末の作家である。
1895年、人気を博した作家となっていたワイルドであったが、同性愛により逮捕され、刑務所暮らしとなる。この後は悲惨な人生であった。97年に出所するが、服役中に破産宣告を受けた。晩年はセバスチャン・メルモスという名で過ごし、パリで死んだ。
何とも不思議な、大変面白い作品。
貴族のヘンリー・ウォットン卿、画家のバジル・ホールウォード、そして美貌の青年ドリアン・グレイ、の3人を中心にした物語。
バジルがドリアンの肖像画を描くわけだけれど、それがとてつもない魅力を持った作品に仕上がった。
ドリアンは絵の前で思わず呟く。
「いつまでも若さを失わずにいるのがぼく自身で、老いこんでいくのがこの絵だったなら!」
ドリアンは自宅にこの絵を飾るわけだけれど、あるとき気がつくと、何と願いが叶っているではないか。自分は老けず、絵が老け込み、自分は醜悪なことをしても、絵が醜悪な表情になっていく。
最初は喜んでいるんだけれど、だんだん絵を見ていられなくなり、誰の眼にも触れないように気を配り……。
といった内容。
ヘンリー卿は快楽主義者で、頭はいいのだけれど、あえて世間とズレたがる人物。だが、その妖しさが人を惹きつける。
一方ドリアンは、元々はとても美青年で、おとなしい性格で上品で。でも、ヘンリー卿と出会って、ヘンリー卿の妖しい魅力に強く感化される。若さと美しさの重要性に気づくよう教えたのもヘンリー卿であり、その結果絵の前で願いを口にし、気づかないうちに絵との不思議な神秘の契約も結ばれることになった。
もう単純に話が面白いです。
ヘンリー卿の言葉、ドリアンの変化、飽きません。
もともとドリアンは願いが叶ったのに、それに苦しめられる結果となった。
人間の欲望、願望、その先にあるもの…。
特にドリアンの場合、人間の生物としての絶対の宿命に逆らったものだったわけで。リミットが外れると、人間はおかしくなってしまうものらしい。
ファウストとメフィストフェレスの関係を思い出す。
小説中には、キラリと光る言葉がたくさんある。この作品のキラリは、妖しくキラリ、である。ヘンリー卿の台詞も多くがそうだ。解説の言葉を借りれば「刺戟的逆説」が魅了する。いかに頭のキレた人物かが分かる、考えさせる言葉たち。
バジルは、ドリアンと出会って絵が格段に良くなる。
描く風景画にはドリアンが入っている、とバジルは言う。
そして、ドリアンの肖像画には、バジル自身の魂が入っていると言う。
ここに芸術の面白さがある。筆先に理屈を超えたものが入ってしまったのだ。
魂の契約をしてしまったドリアンの変遷も。
ヘンリー卿の言葉も。
面白く読める作品です。
それから、ワイルドといえば、「芸術のための芸術」。
序文にも痺れましょう。
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芸術が映しだすものは、人生を観る人間であって、人生そのものではない。
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或る芸術作品に関する意見がまちまちであることは、とりもなおさず、その作品が斬新かつ複雑で、生命力に溢れていることを意味している。
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忠実さの中には激しい所有欲がかくれている。なにしろ、この世の中には、他人にひろわれる心配がなかったら、惜しげもなく捨てさることのできるものが無数にあるのだから。
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桜桃をぼんやり口に運ぶ。真夜中にもぎとられたもので、月の冷たさが滲みこんでいた。
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