前から、気になって気になって素晴らしいと思えてしょうがない、と言い続けているセザンヌの展覧会。
ポール・セザンヌ(Paul Cèzanne)[1839-1906]はフランスの画家。近代絵画の父、なんて言われたりする人。
生きている間は名声を得る事ができず、死後評価された悲劇の画家。
エミール・ゾラ(
ゾラ『制作』の記事。
映画『ゾラの生涯』の記事。)とは、幼なじみだったことは、このブログでも度々言及してきました。しかし、小説『制作』の出版がきっかけで絶交となります。この小説の主人公、世間に認められない画家があまりにセザンヌに似すぎていたためです。
セザンヌは、1863年、エコール・デ・ボザール(美術学校)を受験するが不合格。
サロンでは1866年以降何回も何回も落選を繰り返し、1882年に裏口でやっとこさ初入選する。
セザンヌの父は銀行家で、家庭は裕福だった。父に養われ、父の死後は多額の遺産で、お金には一生苦労せずに過ごした。
セザンヌは手紙でこう言っている。
「私は早く生まれすぎた」
そう、まだサロンがブイブイ言っていて、アカデミズムが当然だった時代に、セザンヌはあまりに天才すぎた。世間の評価がついていけなかったのである。
初の個展は1895年。ヴォラールの画廊で行われ、150点の作品を出品した。
さて、セザンヌ展。ブリヂストン美術館にて。
人物、静物、風景、水浴、の4つのテーマからなり、セザンヌ以外にも関係のある作家の作品が並んでいる。
ちなみに、この特別展時のセザンヌ展の部屋は、全29点。少なっ!!(苦笑)
が、しっかり自画像や静物、風景、水浴図、など観られるので、よくよく考えれば、企業の持つコレクションでこれだけできるのは凄い事かもしれない。
この美術館、初めてだったが空いているので、好きなだけセザンヌを観てられる。点数こそ少ないが、贅沢なことだ。そう言う意味でも、セザンヌ好きなら充分行く価値はあるだろう。
“感覚”の“実現”に、一心不乱に取り組んだセザンヌ。
その彼が描いたフォルム。筆跡。色彩。そういったすべてに、僕は無視できない魅力を感じる。
ところで、セザンヌの言葉や手紙を読んでいると、知性の人だということが良くわかる。
とても知的な人だったのだ。
これは何もセザンヌに限った事ではない。良い画家は、実はとても考えた知的な人たちだというのは共通する事実。
描くために考えざるを得ないし、知性は必要になってくる。
ということを、改めて認識させてくれる画家の一人でもある。
さて、展示も観て、随分少ないわりに800円は高いなぁ、などと思って出ようとしたが、収蔵品も観ないと失礼っぽい雰囲気だったので、気が進まずとも別室へ行った。
すると、どうだろう。
すげーーーーーー。ブリヂストンすげーーー。(笑)
見応えありましたよ。
よく聞くような有名な画家はもちろん、
モネ、マネ、ルノワール、ピカソ、マティス、ゴッホ、ゴーギャン、
ユトリロ、
クレー、コロー、ピサロ、ボナール、
ルオー、
ルドン、
モディリアニ、
デュフィ、などなど、思い出すだけでも大変なくらいの作家たちの作品作品作品。
それらが、貸し切りみたいなもんなんだから、もう。
余談。-その他の昨日の出来事-
探していた絶版の文庫を、大手町のライバル書店で入手できニンマリ。
その後、京橋銀座の画廊を巡り、閉廊時間も近くなった頃、大学の副手さんだった人の個展を観る。本人がいて、僕の作品にとても良い反応をもらう。嬉しかった。
その後、仙台系の友人と会う事に。
連絡のやり取りは公衆電話からだった。充電がなくなったらしい。家の電気はとまり、真っ暗で充電ができないとのこと。歩きながら、颯爽と鞄からひげ剃りを出し、ヒゲを剃り始める(笑)。怪し過ぎる。
[メモ]
セザンヌ 4つの魅力 人物・静物・風景・水浴@
ブリヂストン美術館 (京橋)
11月25日まで