アーティスト 加藤雄太 のブログ
展覧会のレヴュー、本の感想、その他制作の日々の模様など。
ホームページは yutakato.com 作品掲載してます。

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◇11月の掲示板◇ サヨナラダケガ人生ダ
個展DM 記憶と予感を通して1ついに来ました11月。
僕UTの個展が開催されます。


DMはこちら→


会場は、飯田橋駅を出てすぐです。
徒歩1分くらい。


今まだ、より良い展示になるようにと、ふがふがしているところですっ。


個展DM 記憶と予感を通して2そしてそして、オープニングパーティーの人入りが、相変わらず心配です(苦笑)。
是非どうぞ♪


加藤 雄太 展 -記憶と予感を通して-
2007年11月12日から12月8日
9:00から19:00(日曜・祝日は休廊 最終日13:00まで)
ギャラリーひろばこころとからだの元氣プラザ内)
オープニング・パーティー 11月12日18:00から19:00

個展に関しては、また近くなったら記事にします。


朝冷え込むようになってきました。夜な夜な制作しているととても感じます。
どうぞお風邪を召さぬよう。
今月もよろしくお願い致します。

※画像の無断転載・転用は禁止です
『りんごの木 人生の小春日和』
本『りんごの木 人生の小春日和』
りんごの木 人生の小春日和』 1916年 1918年
著:ゴールズワージー 訳:河野一郎 (岩波文庫) ※現在絶版
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ジョン・ゴールズワージー(John Galsworthy)[1867-1933]はイギリスの作家。ロンドン郊外のサリー州出身。裕福な家庭に生まれ、1932年にノーベル文学賞を受賞(※注)。
父親は、20歳年下の女性と結婚した為、ゴールズワージーが成人した頃には、父はすでに老人だった。この父親に強い愛着を持っていた。父が87歳で死ぬ2年前に孫の家庭教師をしていた女性とあまりに親密になったことにより、妻は出て行ってしまう。こうした父の様子は、後述する『人生の小春日和』に明らかな影響を与えていたようだ。
1918年に首相ロイド・ジョージから勲爵位(ナイト)の称号を与えたいという電報を受け取るが、文筆に携わるものはそういった栄誉を受けるものではないという思想から断る。
1929年にメリット勲位を受け、1932年にノーベル文学賞の受賞が決定したが、前年あたりから健康を害し、言語障害が始まっていた。12月のストックホルムでの授賞式の頃には言語失調が酷くなっており、授賞式への参加はしなかった。翌年からは筆談となる。1月31日、66歳で死去。


『りんごの木』は銀婚式を迎えたアシャーストが、『人生の小春日和』は人生の晩年を迎えたジョリオン・フォーサイトが主人公。
この2編からなる作品集。
どちらも、人生の郷愁に満ちた作品である。
『りんごの木』は青年期の回想が主なので、話の軸は若者なのだが。

良かったです。
妻との銀婚式の旅行中、ふと思い出した若き日の恋の回想を綴った『りんごの木』。その回想は思わぬ結末を迎える。
人生の晩年にあって、孫の家庭教師に恋を抱く老人を描く『人生の小春日和』。人生の冬の、まさに小春日和というような最後の煌めき。

両方とも、乾いた、しかし鮮やかな色彩のような作品。
人が歩んできた長い時間と、その時間の儚さ。
この、どうしようもない郷愁。後悔のようで、後悔でないと思う。救われたと思いたい。
きらめく一瞬が淡く描かれ、優しい気持ちになれる。

悲しくも美しく、どこか晴れた日の心地よい風がページに静かに吹いているようだ。その風は、とても遠くから旅してきた風。


ちなみに、『りんごの木』に関しては、訳者が17、8歳で訳したものが元になっているらしい。驚いた。
注:本書の解説では1933年の受賞になっているが、調べるとどうも32年っぽいので、32年と表記。
ピンホールといえば ピンホール現象と絵画
先日、ピンホールカメラのエントリーを書いたので、ついでにピンホールカメラに関する小話を少々。


我々は現実を三次元の世界で生活しているが、同じく三次元で表現するものが彫刻や建築。そして、平面、つまり二次元で表現するのが絵画だったわけである。この二次元の表現である絵画が映像の大元であった。

さて、昔々、砂漠を旅していた人が、日中テントの中にいた。そのテントには小さな穴が空いていた。
その穴から光が入ってきて、テント内の反対側に外の光景が上下逆さの倒立像として映ったのである。
これが、人類最初の映像体験であるピンホール現象と言われている。
7世紀のことだ。

昔の画家は写実的に描くこと、つまり三次元を完璧に二次元にすることが出来るかどうかで、技量が評価されていた。
そこで、三次元の世界を二次元として描く為に用いられたものが「カメラ・オブスクーラ」である。
「カメラ」は部屋、「オブスクーラ」は暗い、という意味。つまり「暗い部屋」という意味になる。
このカメラ・オブスクーラは人が入れる巨大な箱であり、密室である。だが、1カ所だけ穴があいている。
つまり、カメラ・オブスクーラの中に画家が入ると、穴の反対側の壁に、外の光景が倒立像となって映るわけだ。そこにカンバスなどを設置して写し取れば、完璧に三次元を二次元として捉えられる、ということである。
もちろん、この「カメラ」と言う言葉は、現在我々が使っているカメラの語源となった。

このように、ピンホール現象には、絵画とも密接に結びついた歴史がある。
『シュルレアリスムと美術』展
関内で絵具を買うつもりだったが、日曜は定休日なのを思い出す…。
横浜美術館へ。

現在、『シュルレアリスムと美術』と題する展覧会が行われている。
シュルレアリスムに完全に特化した展覧会である。
展覧会『シュルレアリスムと美術』

さて、シュルレアリスムについては、以前の「UTによるシュルレアリスム講座」にがんばった解説があります。ご覧下さい。

第一次世界大戦などにより、人間の理性への不信感が高まるなか、その理性を徹底的に疑い、理性や習慣といったものを離れた表現を求めるために、様々な手法がシュルレアリスムの作家たちによって生み出されたとは、以前の記事で述べた通りです。
そういったシュルレアリスムの多くの表現を見る事ができる展覧会。

技法的にも、偶然を作品に取り込んだり、人間の意識の及ばない部分で制作を行ったり、と、アート作品をどのように成立させるか、という事を理性を否定しながらも追求していたことがわかり、それまでの美術史とは全く違うものが行われていた事を目の当たりにする。

アーティストにとって、表面よりもその向こうにある真実の方が、より自分にとって切迫した問題であり、表現の対象となることがあるというのは、展示を観ていればよくわかるだろう。

意味の揺らぎ。
鑑賞者たちは、既成の常識とはかけ離れたイメージを見る事により、全く新たな想像を余儀なくされる。
別な世界への鍵は画面の至る所にあり、そういった表現に全力を注いだ作家たちが確実にいたのだ。

幅広くシュルレアリスムを見る事が出来、作品も有名なものなどが多数あるので、まさにシュルレアリスムを楽しめる展覧会である。



[メモ]
シュルレアリスムと美術 イメージとリアリティーをめぐって
横浜美術館 (横浜)
12月9日まで
『阪口智聡 ピンホール写真展』
色々と横浜方面へ用事があり、前から機会をうかがっていたが、今日ついに行ってきた。
いやぁ、半地下時代は懐かしの横浜線で1本だったのになぁ。久々の横浜です。

まずは、Travel@Cafeさんこと阪口智聡さんのピンホール写真展へ。
展覧会『阪口智聡 ピンホール写真展』

Doblogで知り合い、氏のブログにアップされるピンホール写真が好きで、生を見る機会をうかがっていたがついに実現。

阪口さんのブログを見てもらえば良くわかりますが、ピンホール写真はなんとも独特の味わいがある。
メカ的なカメラとは違い、0.2ミリの穴に光を取り入れ焼き付けた写真は、光と時間の痕跡を感じさせる。

撮影視点の低い作品が多く、それが良い味を出していた。
一瞬、写真家の大御所、森山大道の「犬の記憶」というフレーズを思い出す。

視点が低いものは、日常の人間的視点とは異なり、より大地に親しんだ印象を受ける。どこか地に根ざした感じがあり、普段と異なる視点は、こういった世界の見え方もあるのだな、と教えてくれる。
普段無い視点というのは新鮮だ。
ピンホール特有の光の表現やノスタルジックな感じも、この写真の魅力だろう。

ただ、気になった点を少しだけ言わせていただくと、ちょっと作品を見せ過ぎかな、という気がしました。
せっかくの写真をもっと魅力的に見せる展示方法が、まだ他にあったのでは、と会場でずっと気になってしまったのです。

阪口智聡 ピンホールカメラ

会場では、ご本人にも会え良かった良かった。
愛機を撮影させてもらいました。→→



この画像では確認できないかもしれないですが、ちっちゃな穴が空いているのです。

先日は僕の個展にもお越しいただき、どうもありがとうございました。



[メモ]
阪口智聡 ピンホール写真展 「記憶の空間」
Art Gallery 山手
11月27日まで
更なる進化を
お昼過ぎまで制作をする。
個展も1週間過ぎでまだまだ真っ只中なのだが、そろそろ休憩も切り上げ、2月の個展へ向け制作を始めねば。会期が近いのでのんびりしていられない。
自由になれている。変われている。そんな感覚がある。
作品の更なる進化に立ち会っているところです。

さて外出。
今日は忙しい。一気に何カ所か回らなければならない。
まず、ギャラリーへ向かう。少し滞在。まだ会期も前半なんだなぁ。
どしどしお越し下さい。芳名帳ありますので、レッツ記帳よろしくです♪

京橋へ移動。ギャラリーを回る。
INAXギャラリーでヒントを得る。
そのまま銀座へ。
ギャラリー巡り。

その後、代官山へ移動。
まず、とある展覧会へ行って閉口。ぷんすかである。
その後、Doblogで知り合ったyuji-nishijimaさんこと、彫刻家の西嶋雄志さんの個展オープニングへ。
今回は、カフェレストランというかバーというか、そういった場所で展示をされている。
店内には、至る所に西嶋さんの小さな作品が並んでいた。
手で触れていいとのことで、握ったりしてみる。手のひらに収まるサイズが、なんとも心地よい。
今回の展示は非常にユニークなもので、作品の持ち主が決まったら、その人がその後その作品とどう過ごしているかを西嶋さんにレポートするというもの。「しあわせのカタチ」という展覧会名が示すように、作品を通じて、それぞれがどう幸せを生み、あるいは伝えるか、ということにコンセプトがある。
まさにインタラクティヴな企画で、ストレートにコミュニケーションが存在することになると思った。
作品の価値はそれぞれが決める。従って値段も決まっていない。新たな持ち主にその辺は託される。あるいはお金、あるいは作品、などそれぞれの価値を支払うのだ。

僕も、持ち主にさせてもらう事にしました。100体以上の中からどれにするか選びましたよ。

夕飯ばりに、もりもり喰いまくって帰ってきて申し訳ございませんでした(苦笑)。

それにしても、夜の外気がひんやりしていた。
月も澄んで輝いている気がする。
目に留まった自動販売機のおしるこを、迷わず購入して歩いた。




『ダブリン市民』
本『ダブリン市民』
ダブリン市民
著:ジェイムズ・ジョイス 訳:安藤一郎 1914年 (新潮文庫) 620円
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ジェームス・ジョイスジェイムズ・ジョイス(James Joyce)[1882-1941]は、アイルランド出身の小説家。
18歳の時にイプセンの『われら死者目ざめなば』を読み、批評分をある雑誌に送ったところ、それが掲載されて人々を驚かせた。この時、同誌側はその見事さからまさか18歳の学生が書いたとは思わずに掲載したらしい。
ジョイスといえば、『ユリシーズ』が有名である。20世紀文学をランキングする企画がいくつかあった際、それぞれ微妙に順位が違うものの、ベストワンは常にユリシーズであった。ユリシーズは大変長編だが、もう1つ長編といえば『フィネガンズ・ウェイク』。これらの作品は翻訳が難しいと言われる。ジョイスが生み出した技法、「意識の流れ」もそうだが、ジョイス独自の造語がふんだんに使われているからである。
今回は『ダブリン市民』のエントリーなのでその辺は省略ということで。
他には『若き芸術家の肖像』が有名でしょう。


さて、『ダブリン市民』。ジョイスはダブリン出身で、ダブリンの地で過ごしたこともあり、その時間が、ジョイス文学へ決定的な影響を与えている。
この作品は、15篇からなる短篇集である。だが、その舞台はことごとくダブリンなのだ。
ジョイスが「エピファニー」と呼ぶものがある。これは啓示というかなんというかそういったもので、ある瞬間何でもない事が、とても神聖なものに思え、それをジョイスは極度の注意深さで捉え記録していた。平凡な物事を高尚なものへとする技法のようなものだ。そうしたものが、作品に現れているのがダブリン市民である。

様々なところで言われる事だが、ダブリン、またはダブリン人の、知的麻痺ともいえる無気力が全編に溢れ、作品にされている。
その様が、実に見事にページに定着しているのだ。
漂っている気怠さというのだろうか、何とも独特の色彩が施されている印象だった。

語り口の上手さと、短篇一つ一つが非常に完成度が高く、ジョイスの文学的才能が良くわかる。
質の高い短篇集。

こういった作品を書くには、普段から観察眼というか感性が研ぎすまされているのだろう。
また、アーティストにとっての自分の出自というのは、非常に重要で深いものなんだな、ということを感じさせる。
『ベルト・モリゾ展』
お昼前、行くのが延び延びになっていたベルト・モリゾ展へ行った。
展覧会『ベルト・モリゾ展』

ベルト・モリゾ(Berthe Morisot)[1841-1895]は、フランスの画家。印象派の女性画家として有名である。
(印象派については、以前書いた「UTによる印象派講座」を参照して下さい。)
その印象派講座の記事でも述べたように、印象派展は全8回開催されるのだが、このベルト・モリゾは、そのうちの7回に参加した。他のメンバーがぽつぽつと穴を空けがちだったのに比べ、大変多く参加した画家だと言えるだろう。
また、画家マネの絵のモデルも多く努め、マネの弟であるウジェーヌと結婚した。
当時、アカデミズムが台頭し、サロンが絶対的とも言える権力を持っていた時代に、こうして女性が画家として生きていくのは、大変厳しいものがあった。恐らく僕らの想像を超えた厳しさであろう。エコール・デ・ボザール(美術学校)は女性の入学ができないし、私立の絵画塾も裸体素描をすることが許されなかった時代である。
モリゾはルーブルでの模写などで他の画家と出会い人脈を拡げながら、画家としての道を切り拓いて行った。
今回知ったが、死因は、娘の風邪が感染ったことらしい…。


さて、正直僕はあまりモリゾに好感を持っていない。そんな状態で観に行ったのだ。
損保ジャパンに着くと、42階の美術館へ向かうエレベーターはそれなりに混んでいて、会場へ向かう廊下も人が多かった。
僕には意外だったのだが、印象派の人気はすごい。

こうして多くの作品を見ると、なかなか良いと思えた。
特に良かったのは中期ぐらいの作品だろうか。
印象派特有の筆触をハッキリさせた筆遣いによる画面。しかし、その中に、絵具がぼかしたようになっている部分がある。このタイプの作品が良かったのだ。
このコントラストによって、動的な印象や、空気の振動を感じる。そして同時に柔らかい。
抜群の効果を発揮している。

あとはモチーフの選び方。つまり絵の内容。
なんとも穏やかで優しい視点。女性らしさが感じられる、と言えばいいのだろうか。
モリゾらしさは、やはりここにあるような気がする。

ただ、僕はモリゾの白があまり好きじゃないかもしれない。どうもわざとらしいというか、妙に目について、良い印象を受けない。この辺りが、あまりモリゾに好感を持っていなかった理由なのかな、と考えたりした。


展示はさっと観終わり、その後ギャラリーへ。
寝ないでの外出なので、ギャラリーで座っていると眠くて眠くて(苦笑)。
今夜は寝るぞー!
あ、明日は土曜ですね。最初の週の土曜。さあっ!皆さんチャンスッ!おいでませ。お昼位からはギャラリーにいる予定です。



[メモ]
ベルト・モリゾ展 美しき女性印象派画家
損保ジャパン東郷青児美術館 (新宿)
11月25日まで
突っ走れる予感
3日目。
普通の個展なら半分が終了。
が、今回はまだ3日目、である。
1ヶ月間個展をするというのが、ただ事ではないということを、こうした面でもひしひし感じています。
長い…。幸せな長さ。

今日は午後からギャラリーにいました。
病院に用があるわけではないただの通行人が、外から通りがかりにギャラリーの様子をチラリと目にし、建物に入ってきて展示を観てくれる事が、とても嬉しい。この幸福は、おそらく作家にしか分からないでしょう。
せわしく歩き目的地を目指す現代人が、こういう行動をとるという事を冷静に考えた時、とても困難なことを成し遂げられたと思い、もう感謝ですね。

閉廊間際にバイクで駆けつけてくれたyuji-nishijimaさん、ご自身もグループ展中な上、個展間近なのにありがとうございました。


夜は観に来てくれた泉田法師君と池袋へ。
頭上を注意しながら歩く。
宮城ふるさとプラザ



目的地はこれ!!→



われらーがー宮城♪

イエス。
生どら売ってます。
支倉焼き売ってます。
ササニシキも売ってます。
マー君グッズ売ってます。

奥には牛タン定食屋があって、そこが最大目的でした。
……が、ラストオーダー終了。ガクリ。

リベンジを誓う。


アルコホリックをしながら話して、この3日間を振り返り、感じた。
突っ走れる予感。
色々こなさなくてはいけなくて大変だけれども、その先にありますね。アレやソレが。
現状で、突っ走ってる時の風を頬に感じているのだから、もう走り始める事ができているのだろう。
初日を終えて
もう、昨日のことですが……(苦笑)。

朝方まで寝付けず、6時くらいに寝て、9時の開場には間に合わなかったものの午前中から会場へ。
風邪は気合いでかなり回復。天気も晴れ。

初日の日中にも関わらず、前回の個展に来て下さった方や友人なども来て、なんともありがたかったです。

夕方、いよいよオープニングが近づいてくるも、参加者が……で不安だったけれど、いざ18時を迎えれば、パーティーっぽい人数は揃いよかったよかった。
ギャラリーひろばを運営している桑島さんの挨拶と、僕のしどろもどろの風邪声挨拶(苦笑)、そしてN先生のスピーチと乾杯の声で、無事開催の運びとなりました。

パーティーでは、来てくれた人となるだけ均等に僕は話していたので、一人一人とあまり話せなかった気がしています。放っておいてごめんなさい…。
でもでも、来てくれて本当にありがとう!
仕事や学校帰りにありがとう。無理してくれたのだと思います。感謝です。
入籍した日にありがとう。こんなところに来ている場合じゃないでしょ、と思いながらも嬉しかったです。
大竹くん、仙台からありがとう。驚きと感動です。夜行バスで帰っていく君は勇者でした。
長谷さん、写真撮影ありがとうです。歴史に残るはず。使用するときはちゃんとクレジット入れるよ。今度くださいませ。楽しみです。

そう、うっかりしてて、自分では写真撮るのを忘れていた。
ので、画像無しの記事となっています…。

それぞれが楽しんでいただけていたなら、嬉しいなと思います。


二次会へ移動。真正面の和民へ。酒は大衆居酒屋が良い。
二次会は異種格闘技戦というか、語りの場だった。再びN先生の乾杯で始まり、濃い時間が流れたのではないでしょうか。
それぞれの方々には周りが初対面であるという状況だったと思いますが、話は弾んで。僕にとっては友人ではあっても、ああやって知らない同士が言葉を飛ばして会話が成り立っている図が、僕としては嬉しかった。
いやはや、気の置けない仲間と酒を片手にテーブル囲むのは実に良い。
エネルギーとやる気が充電される。
そして、ああやって切々と語る事で、なにかを見つけられるし確かめられるのです。改めて思考は巡り、着地するのだ。
僕は色々と statement してしまった気がするので、頑張らなければ。
いけるね。やるだけだよ。


なんだかまだ一ヶ月あるというのが漠然とした感覚である。
素敵な出会いと繋がりがあることを期待して。

展示は、画廊として設計された空間ではないとしても、その与えられた状況としては最高の展示をしていると思います。
どうぞ、ご高覧ください。

追伸:明日(14日)は会場にいますよ♪