『
生きて死ぬ私』 1998年
著:茂木健一郎 (ちくま文庫) 672円
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今までも何度かこのブログで名前を出している茂木健一郎の本です。
茂木健一郎[1962-]は脳科学者。ソニーコンピュータサイエンス研究所のシニアリサーチャーであり、東京工業大などで研究室を持ち、東京芸大でも教鞭をとっている。
芸大で教鞭からもわかるように“脳と創造性”は氏のテーマの1つであることによるアートへの言及、そしてそのハッとする言動、もうひとつ言えば、鬼恐ろしいほどの多忙さというか濃密な時間の使い方、という点によって、前から個人的に気になっている存在。
以前トークショーにも行きましたね。そんな茂木健一郎の『生きて死ぬ私』。簡単に言えばエッセイである。
理論書や科学書ではなく、エッセイである。文系の僕でも、
右回転にしか見えない僕でも読めた。
茂木さんと言えばクオリアだが、僕の理解した限りでクオリアを説明すると、質感らしい。例えば、赤という色を見て感じる「赤らしさ」。音楽を聴いて感じる感覚。長嶋茂雄という人を思い浮かべた時の長嶋茂雄という独特の質感。脳が感じるそういったそれぞれが持つそれぞれの質感がクオリアであり、つまり全てはクオリアである、という事ができるようだ。
余談だが、このクオリアの秘密が解ければ、ノーベル賞100個に相当するほど、それほど難しいらしい。
さて、本では最初に人生の転機として、過去のある出来事から始まる。
電車に乗っている時、何気なしに電車の音を聴いていたら、突然「ガタンゴトン」という音が生々しい質感をもって迫ってきたこと。また、夜にオレンジ色の街灯をぼんやりと見ていた時、そのオレンジ色がなぜオレンジ色とわかるのだろう、と急に思ったという。
この本で、茂木さんはある1つのことを宣言している。
つまり、
「人生のすべては、脳の中にある。」
ということだ。
これは、脳科学の立場から、純然たる事実らしい。
そして、
人間の心は、脳内現象にすぎない。
人間の喜びも、悲しみも、すべての感情は、脳の中にある。
だから、
物質である脳に、どうして心という精神現象が宿るのか?
と、科学的アプローチが生まれるし、
人間とは何か?
という普遍的な問いに脳科学者の立場から取り組んでいる。
それに、死後の世界も否定している。生きている間がすべてで、だからこそ生きている間を充実させるべきだ、と言っている。
こうして書いてみると、スピリチュアルなものが好きな人や、信心深い人は、この人に対して少なからず嫌悪感を持つと思う。
僕も、この本の出だしでこう言った事が述べられるので、けっこうショッキングだったというか、僕はオカルトっぽいの好きなので、なんというか色々信じたいのです。
そんな僕ですが、不思議と読み進めても嫌悪感が出ないのです。
なぜか。
この本はですね、そういった冷静というかそういう立場から書かれているけれど、にもかかわらず、優しさとあたたかさがあるんだよね。不思議な事に。
何故かは分からないのだけれど、大きな何かの中にゆらゆらと浮かんでいる感覚というか、そういった独特の温度がある。
だから、読む事が出来るのかなぁ、と思った。
それに、僕が常に心がけている1つの事がある。
とりあえず話を聞いて、一旦咀嚼するということだ。頭ごなしに否定したり決めつけてはいけない。話を聞かないやつ程、浅薄だと思っている。
氏のいう多様性ということを借りるならば、まさに多様性を受け入れること。
茂木さんが冷たい人間ではない、ということは、そうやってしっかり向き合って本を読めばわかる。
それに、アートに対して語っていることとか聞いていれば、それは充分わかるでしょう。本当に人間と向き合っているというか、見つめているというか。
本自体は、エッセイと言った事からも分かるように、哲学的な話や、過去の出来事など、色んなことが話されています。
1回くらいは読んでみてもいいんじゃないかな、と思う本。