アーティスト 加藤雄太 のブログ
展覧会のレヴュー、本の感想、その他制作の日々の模様など。
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◇12月の掲示板◇
本当に早くて、もう12月!?と驚くべき光陰矢の如し(謎)。

個展 記憶と予感を通して 看板
個展もいよいよ終盤で、明日から最終週となります(執筆時現在)。

どうぞお越し下さい→

※終了しましたっ!どうもありがとうございました。




加藤 雄太 展 -記憶と予感を通して-
2007年11月12日から12月8日
9:00から19:00(日曜・祝日は休廊 最終日13:00まで)
ギャラリーひろばこころとからだの元氣プラザ内)



こんな作品も展示されています(いました)↓
《見えざるもののために》
※画像の無断転載・転用は禁止です
作品 200712

終盤か、とか、今年も終わりか、とは言っても、来年2月の個展が目の前に迫ってきていて、次なるプレッシャーを感じている最近です。DMのこと考えなきゃ。
師走の名に恥じない疾走ぶりを心がけようかと。

今月もよろしくお願いします。
オオツゴモリ
いやはや。28・29日、そして本日大晦日もアルバイトです。貧乏暇無し。
仕事が終わったら、びゅびゅんと仙台へ帰仙します。あぁ、帰りたい。ご飯が食べたい。

というわけで、おそらく年内最後の記事アップ。
本当はしっかり振り返って、反省や意気込みを語りたいのですが、いつも通り朝早いので寝たいです(苦笑)。
とりあえず、今年は早かった気がします。

それでは皆様、今年もお世話になりました。
良いお年を。




『居酒屋』
本 居酒屋
居酒屋』 1876年
著:ゾラ 訳:古賀照一 (新潮文庫) 940円
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エミール・ゾラ本や映画や美術の話で今まで何度も名前を出した、ゾラの代表的作品。
エミール・ゾラ(Emile Zola)[1840-1902]は、フランスの小説家。自然主義文学の作家である。つまり、身の周りの現実、社会の現実をそのまま作品に書いた。
書いて書いて書きまくった人とは以前も述べた通りで、全20巻からなる「ルーゴン=マッカール叢書」を完成させた。本作『居酒屋』はその第7巻である。「ルーゴン=マッカール叢書」は「第二帝政下における一家族の自然的・社会的歴史」。その登場人物の総数は約1200名にも及ぶ。
また、ドレフュス事件の際は、「私は告発する」という声明を新聞に発表し、被告人となった。このことは、以前の『ゾラの生涯』の記事に詳しく書いてあります。


さて、この『居酒屋』は洗濯女ジェルヴェーズとその夫クーポーを中心とした物語。
ジェルヴェーズは貧しいながらも健気に働き、良き妻として家庭を支え、ついには自分で洗濯屋を開業し、まさに幸せな生活の絶頂を迎える。しかし、その後贅沢や傲慢がたたり、どんどん転落していく、という話。
727ページのお厚い本。

この作品では洗濯女という階級にスポットを当て、ゾラの社会の真実を描くというスタイルで、とことん民衆の生活が描かれている。これが凄まじいのだ。
当時のパリの労働者の生活感、生活圏。それが、ゾラの筆力によって描き出される。
ごった返した町中。熱気で熱く湿った洗濯小屋。煙草の煙の立ちこめた居酒屋。貧しい生活をまざまざと浮き上がらせる集合住宅の描写。
裏返せば、人間のバイタリティーがもの凄く溢れていると言えよう。
兎に角、1つの時代を見ている気分になれるのは間違いないと思う。

ジェルヴェーズとクーポーを取り巻く人間関係も、なんとも面白い。その登場人物の個性的たるや。
コロコロと付き合いの態度を変える計算高い人間の一面。
まさに人間を見ている気がしてくる。

無分別よってどんどん転落していくクーポー夫妻には、酒がつきまとっていた。1杯がやめられない。それが2杯、3杯とすすみ。
作品中なんども出てくる酒の描写。人間の理性を失わせるし、生活を描く重要なアイテムにもなっている。
居酒屋は恐怖の場であったのに、現実逃避の場所へと変わっていく。

作品全体を通して思うのは“人間濃度の濃さ”だろうか。これは以前書いた『制作』にも通じるし、ゾラの特徴なのだろう。
ゾラ自身「真実の作品」と言う居酒屋。痛烈なまでに描かれた社会の姿。


しかし、これを読んでも、やはり酒は飲みたい(笑)。
だってあなた、お熱ーい熱燗と、お厚ーい本が、お好きでしょ?(「お厚いのがお好き?」風)
スケジュールは把握すべし
年末年始に入ってしまう事を思い、急に印刷会社のスケジュールなどを確認。
かなりギリギリのところにいることを知る。
すると、ギャラリーとの色々な確認もしなきゃと思い立ち、調べてみると今日が年内最終日。慌てる。どうも最初にファイルを持ち込んだとき、資料をもらったはずなのだけれどなくしてしまったようで、色々わからなかったのだ。

そんなこんなで、昨夜から突然DMを作り始めたり、ギャラリーに電話をしたり、銀行に用があり赤羽にも行ったりな日でした。

先程なんとか入稿。
……先日お礼状を発送したばかりなのに。

なんとも慌ただしいです。
新作もどんどん描かなきゃだし、明日届くだろう大量のパネルも、年が明けたら制作に入れるように下地の準備をしなきゃ。

とりあえずDMが終わったので、突然思い立ち、久々にパスタを作って食べました。



『カフカ 田舎医者』
映画 田舎医者
カフカ 田舎医者
(2007年 日本 20分くらいだったかな)
監督:山村浩二
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そして銀座へ行き、居酒屋へ潜る。
いやはや、最近お酒を飲んでなかったせいか、まわるまわる(苦笑)。
もういっかー、的な気分にもなってくるが、次がメインなので行かなきゃだ。ということで、店を出て有楽町駅の方へ歩き、映画館「シネカノン有楽町2丁目」へ。
アニメーション映画『カフカ 田舎医者』を観るのである。
1日1回レイトショーしかなのだっ。

さてさて、カフカとはもちろんあのフランツ・カフカ。ドイツの小説家ですね。
僕は、『変身』『城』は読んだけれど、『田舎医者』って読んだ事ない。でもカフカだ。一体カフカの作品をどうやってアニメにしたんだ。そんな馬鹿な。どういうことだー。
ということで、興味津々で観た。

いやはや。原作を読んでないので比較とかそういったことはできないけれど、カフカ作品のあのわけのわからない迷宮っぷりはバッチリでした。
そして、アニメーション特有の表現によって、不思議さというか、ミステリアスな怖さが演出されていた。

吹雪の天候や夜の様子など、『城』っぽい世界観の印象を受ける。
もはや把握できないというか、そもそも把握する事が可能なのかというあの世界を、山村タッチで描いている。
有無を言わさぬ設定や、意味不明の現象も、そこはカフカ。どういうわけか、人間の真理に突き刺さってくるのだ。
今書いてて思ったのだが、カフカ作品って、もう言語とかそういうことではなくて、もっと人間の底の方にある何かうごめいているものが、実はそこにはあるのではないか。

この作品自体は短いのだが、上映自体は1時間くらいあり、山村作品が数本上映される。知る人ぞ知る『頭山』ももちろん。カフカファンも山村ファンも、観て損はないでしょう。

ただ、酒も入り、お腹もふくれ、UTさんは頭山の途中で一瞬zzz...(笑)。
マグナムに続きまたしても…(笑)。


そんな感じで昨日はアクティヴに過ごし、でも今日24日は、バッチリ朝からバイトだったぜ!イェイ!
バイト帰りの電車が異常に空いてました。

でも、最近晴れが多い。冬の冷たい空気を通して見る青空好きだ。
朝、バイトのお店に入る前、外で煙草を1本吸っている時に顔を上げると、ビルに切り取られた空が見える。何故かその場所から見る青も好きだ。
寒さが空に凍みる。
こないだは、地元の駅のホームから、富士山が見えた。


---栗坊さんの記事にTB---


[メモ]
カフカ 田舎医者
シネカノン有楽町2丁目 (有楽町)
レイトショーで上映中
『SPACE FOR YOUR FUTURE』展
その後、清澄白河へ。
東京都現代美術館で、現代美術の展覧会を見る。

展覧会『SPACE FOR YOUR FUTURE』

先日、「プロフェッショナル仕事の流儀」でも、この美術館のチーフ・キュレーターである長谷川裕子さんが特集で、まさにこの展覧会を取り上げてましたね。

数多くの作家が出展していて、本当に様々な作品があって、インタラクティヴなのもあったりで、にぎやかにぎやか。
スポッと服を着るようにして背中にクッション椅子を背負う感じのものは僕も試して、コロコロふかふかしてみたりしました(笑)。でも、1人じゃ起き上がれなかった…(笑)。

でもやはり、4階建てのビルの大きさの四角い鉄のかたまりが、注入されたヘリウムでふわふわ浮いているという、石上純也の作品《四角い風船》が最大インパクトでしょう。
たしか、数トンの重さがあるってテレビで言ってた気がする。それが浮くって…。しかも屋内で。全く吊ってなかったし…。

作品っぽいのの他にも、未来のデザインや様々な提案のようなものがあり、展覧会のタイトルを想起させた。

何にしても、現代美術をこうしてたまに観ておくって、大事なんだよ。と思う。
そうして考えなきゃね。



[メモ]
SPACE FOR YOUR FUTURE --アートとデザインの遺伝子を組み替える
東京都現代美術館 (江東区)
2008年1月20日まで
『マグナム・フォト 世界を変える写真家たち』
映画 マグナム・フォト 世界を変える写真家たち
MAGNUM PHOTOS マグナム・フォト 世界を変える写真家たち
(1999年 ドイツ 89分)
監督:ライナー・ホルツマー 出演:マグナムのみなさん
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もう年内は(金欠だから)展覧会とか行かないぞ。と思っていたのだけれど、Fさんからお誘いを受け、昨日は色々行ってきました。

新宿で待ち合わせ、恵比寿の東京都写真美術館へ。
マグナムのドキュメンタリーを見る。

マグナム・フォト」とは、ニューヨーク、パリ、ロンドン、東京に組織を置く集団写真家集団。多くの有名写真家が在籍。
もともとは、写真家の権利を守り、自由に活動するために、ロバート・キャパ(Robert Capa)、アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)、ジョージ・ロジャー(George Rodger)、デヴィッド・シーモア(David Seymour)、らが1947年に創設。
以来、フォト・ジャーナリズムの第一線集団として、世界に名を轟かせ、現在ももちろんマグナムブランドは健在。20世紀の重要な場面、重要な人物を、本当に数多く撮影し、世界へと伝えてきた。

そんなマグナムの、現在を映したドキュメンタリー。今は約50人の会員がいるが、そのうちの何人かにインタビューしたり、実際の撮影現場に密着したりした映画。
そういった意味で、とても興味深いものです。

候補生→準会員→会員、というステップを経て、会員になるんだぁ。年に1回、全会員が集って周回が行われ、そこで会員希望者から送られてきた作品を見て、無記名投票によって新しい会員が選出される、ということも初めて知った。

やっぱりキャパブレッソン、が好きだけれど、現在の会員が何を考えているかとかが、本人の口から語られたりする。
それぞれがそれぞれの考えを持っていて、なんというか意外な感じを受けるところもあり、現在のマグナムをチラリと見れる。

撮影に同行している場面も多くあるのだけれど、各自本当に自由に足を運んで、自由にシャッターを切って。写真が好きなんだなぁ、という1番大切なところが見れて良かった。生活の延長に仕事がある感じを受けて、素敵だなと思った。

UTさんは、途中でちょっぴり居眠りしちゃったけど(笑)。



[メモ]
MAGNUM PHOTOS マグナム・フォト 世界を変える写真家たち
東京都写真美術館 (恵比寿)
2008年1月18日まで
以後、名古屋、大阪で上映。
『生きて死ぬ私』
本『生きて死ぬ私』
生きて死ぬ私』 1998年
著:茂木健一郎 (ちくま文庫) 672円
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今までも何度かこのブログで名前を出している茂木健一郎の本です。

茂木健一郎[1962-]は脳科学者。ソニーコンピュータサイエンス研究所のシニアリサーチャーであり、東京工業大などで研究室を持ち、東京芸大でも教鞭をとっている。
芸大で教鞭からもわかるように“脳と創造性”は氏のテーマの1つであることによるアートへの言及、そしてそのハッとする言動、もうひとつ言えば、鬼恐ろしいほどの多忙さというか濃密な時間の使い方、という点によって、前から個人的に気になっている存在。
以前トークショーにも行きましたね。

そんな茂木健一郎の『生きて死ぬ私』。簡単に言えばエッセイである。
理論書や科学書ではなく、エッセイである。文系の僕でも、右回転にしか見えない僕でも読めた。

茂木さんと言えばクオリアだが、僕の理解した限りでクオリアを説明すると、質感らしい。例えば、赤という色を見て感じる「赤らしさ」。音楽を聴いて感じる感覚。長嶋茂雄という人を思い浮かべた時の長嶋茂雄という独特の質感。脳が感じるそういったそれぞれが持つそれぞれの質感がクオリアであり、つまり全てはクオリアである、という事ができるようだ。
余談だが、このクオリアの秘密が解ければ、ノーベル賞100個に相当するほど、それほど難しいらしい。

さて、本では最初に人生の転機として、過去のある出来事から始まる。
電車に乗っている時、何気なしに電車の音を聴いていたら、突然「ガタンゴトン」という音が生々しい質感をもって迫ってきたこと。また、夜にオレンジ色の街灯をぼんやりと見ていた時、そのオレンジ色がなぜオレンジ色とわかるのだろう、と急に思ったという。

この本で、茂木さんはある1つのことを宣言している。
つまり、
「人生のすべては、脳の中にある。」
ということだ。
これは、脳科学の立場から、純然たる事実らしい。
そして、
人間の心は、脳内現象にすぎない。
人間の喜びも、悲しみも、すべての感情は、脳の中にある。
だから、
物質である脳に、どうして心という精神現象が宿るのか?
と、科学的アプローチが生まれるし、
人間とは何か?
という普遍的な問いに脳科学者の立場から取り組んでいる。

それに、死後の世界も否定している。生きている間がすべてで、だからこそ生きている間を充実させるべきだ、と言っている。

こうして書いてみると、スピリチュアルなものが好きな人や、信心深い人は、この人に対して少なからず嫌悪感を持つと思う。
僕も、この本の出だしでこう言った事が述べられるので、けっこうショッキングだったというか、僕はオカルトっぽいの好きなので、なんというか色々信じたいのです。
そんな僕ですが、不思議と読み進めても嫌悪感が出ないのです。
なぜか。
この本はですね、そういった冷静というかそういう立場から書かれているけれど、にもかかわらず、優しさとあたたかさがあるんだよね。不思議な事に。
何故かは分からないのだけれど、大きな何かの中にゆらゆらと浮かんでいる感覚というか、そういった独特の温度がある。
だから、読む事が出来るのかなぁ、と思った。

それに、僕が常に心がけている1つの事がある。
とりあえず話を聞いて、一旦咀嚼するということだ。頭ごなしに否定したり決めつけてはいけない。話を聞かないやつ程、浅薄だと思っている。
氏のいう多様性ということを借りるならば、まさに多様性を受け入れること。

茂木さんが冷たい人間ではない、ということは、そうやってしっかり向き合って本を読めばわかる。
それに、アートに対して語っていることとか聞いていれば、それは充分わかるでしょう。本当に人間と向き合っているというか、見つめているというか。

本自体は、エッセイと言った事からも分かるように、哲学的な話や、過去の出来事など、色んなことが話されています。
1回くらいは読んでみてもいいんじゃないかな、と思う本。
『海に住む少女』
本『海に住む少女』
海に住む少女』 1931年
著:シュペルヴィエル 訳:永田千奈 (光文社古典新訳文庫) 500円
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ジュール・シュペルヴィエル(Jules Supervielle)[1884-1960]はウルグアイ出身のフランスの小説家。両親はフランス人。
生後8ヶ月でフランスに帰国するが、相次いで両親が死去し、祖母に引き取られる。2歳でウルグアイの伯父夫妻に引き取られ、10歳でこの伯父夫妻と共にフランスへ帰国した。

童話のような優しい語り口の、幻想的な短篇集。全部で10篇が収録されている。
読んでいると、想像力をかき立てられる。現実から飛躍した空間へと思考を誘うような作品たちだった。
静かな、ゆっくりとしたオルゴールの音色が似合いそうな、そんな雰囲気。

でも、最初の3編くらいを読んでいる段階で、だいぶつらかった。ぎゅっと締め付けられるような哀しみ。苦しい。
それが原因か、あまり好きになれないのだ。
中盤過ぎれば、ちょっとは和らいできたのだけれど。たしか。

でも、好まれる感じなのかな。
様々な絵が浮かぶ、静かで、幻想的な、それだけに一層哀しみが引き立つ物語。


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空の秘密を隠すため、星が見張りに出かけて不在の場所には、必ず雲が浮かぶのでした。

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モチベーションを上げて
個展が終わって、のんびりする間もなく、新作の制作に全力投球中。
次の個展までの期間は短いけれど、前回と比べなんら新鮮さがなく…、などとなるつもりはない。何かしらの変化を見せたい。
そんな風に思いながら、描き描きしております。

ただ、新作を描く資金が切実に…(爆)。
欠かせなかった発泡酒を、こんなに長い間買わないなんて、近年稀に見る現象!

しかし、こうしてガーッと集中して描いている時って、どういうわけか、色々美術書を読んで勉強したくなって、タイミングが。
知りたい事や描きたい事で爆発しそう。

でも、かなり今、脳みそシフト中ですね。確実に意識が上がっているという実感がある。
すごく集中できている。
深く深く、真実を語ろうと思います。