千葉っ。佐倉っ。行ってきましたっ!また。
川村記念美術館!!
以前、満を持して行ってきて以来2度目。
行ったのは日曜。11時に東京駅でリンタロさんと待ち合わせ、エアポート成田で佐倉へ。佐倉駅からさらに送迎バスで美術館へ。
美術館でランチを食べ、美味しくて満足し、もう帰ろうかー、などと冗談を言いながらも当然観る。
いや、帰らなくて良かった(笑)。
川村記念美術館は前回行った後、改装したため、先月まで休館だった。今回、改装し新しくなっての最初の展覧会。
まずは、企画展の『マティスとボナール』。
アンリ・マティス(Henri Matisse)[1869-1954]はフランスの画家。20世紀を代表する画家。荒々しい色彩による野獣(フォーヴ)のような表現を
フォーヴィスムと呼ぶが、そのフォーヴィスムのリーダー的存在であった。エコール・デ・ボザール(国立美術学校)では、受験に失敗するが、
モローに絵を見てもらいたい一心で敷地に通い、彫刻をデッサンしたりする。その甲斐あって、ある時モローに声をかけてもらい、聴講生としてモローのクラスに参加させてもらった。
色彩とフォルム、そして制作の“過程”に多大な興味を抱き描いた。晩年は色紙を切った切り絵による作品が有名であり、その色彩と軽やかな形は評価が高い。また、セザンヌの絵画を生涯所蔵し手放さず、セザンヌを尊敬していたのが分かる。
ピエール・ボナール(Pierre Bonnard)[1867-1947]もフランスの画家。象徴主義やゴーギャン等の影響の元に、装飾性と平面性を特徴としたナビ派の中心メンバーだった。エコール・デ・ボザールで、同じくモローに師事。
鮮やかな柔らかい色彩に溢れた画面が特徴。
さてさて、僕はマティスは以前から気になっていて、最近もっとマティスを知りたいと思っていたのでちょうど良かった。一方、ボナールは然程興味を持っている画家ではなかった。
が。
……やられました。完全に。
あまりに素晴らしい作品に、もうここで何を書けば良いかわかりません。
「絵画、それは視神経の冒険の転写である」
ボナールの描く形と、そして何より、画面を構成している色。オーラというか、そういった力が作品からもわっと妖しく溢れ出している。
一見すると緑、それに調和する青。或いは、赤と紫。一気に精神に語りかけてくる色彩であり、釘付けにならざるを得ない。
僕は、どこかゴーギャンに近いものを感じる。
大胆にデフォルメされた形も構図ももちろん良い。
全てが上手く相まって、ボナールの絵画が語りかけてくる…というよりも、観ているこっちが絵画へと没入していく。
マティスはやはり興味深い画家だ。
マティスが一体何を見ていたのだろう、ととても気になる。
恐ろしく単純化された形を示す線。そして、補色によって引き立てあう色。とてもとても平面的で、色彩同士の兼ね合いで勝負しているような、それぐらい大胆な省略。
画面全体をリズムとしてとらえたくなった。
画面の中の奥行きとかとは無縁。形と色があるだけ。ただし、その形と色は、興味が尽きない。どこまで自由になれるのだろう。
兎に角良いです。
さぁ、そして、常設展。
僕の2大頂点の1人、
マーク・ロスコへの再会。
ロスコは20世紀のアメリカの画家である。バーネット・ニューマンらと共に活躍し、抽象表現主義に分類されたりする。
ロスコにしてもニューマンにしても、作品に大きな特徴があり、またそれはとても大事なことである。それは、大きさ。
圧倒的に、でかい。作品の前に立った時、近づいていると視界に入りきらない。作品に包まれるような、そんな感覚が重要なのだ。
ロスコの描く絵は、本当に少ない色彩で、平らな色面があるだけである。しかし、それが無限に深い。
all over という言葉がある。つまり、中心がないのだ。全体が中心であり、全体が部分である。
ロスコは、人間の怒りや悲しみ、絶望や喜びと言った感情にしか興味が無く、ただそれを描くだけだと言っている。それを描いたのが、それらのシンプルかつ大きな作品なわけだ。
そして、絵画と鑑賞者の間に生まれる至高の経験にこだわった。つまり、作品の前に立った時、もうそれは作品と鑑賞者だけの関係であって、他の何者も介入させない、と言っている。
それほどの崇高な体験が、この日本で出来るのです!!
ロスコの作品だけのための部屋。ロスコ・ルームへ。
ここには7枚の作品が展示されている。
一気に空気が変わる。薄暗いその部屋は、空気すらも遠慮して、じっとしているかのようだ。
この部屋こそ、体験しないことには、共有できないでしょう。解説はしないです。
ひたすら瞑想へと誘われ、作品と向き合う。
もはや…絵じゃない。そこにあるのは、人間の精神の大いなる秘密とでも言えば良いのだろうか。それに、触れられる。
以前来た時、初めて視て、持った印象の1つに「子宮のようだ」というのがあった。
しかし、これは僕だけの特異な意見であろうと思っていた。
ロスコ・ルームを出て、リンタロさんが「子宮みたいでした」と言ったことに、衝撃を受けた。
さて、ロスコの記述ばっかしですが、他の常設展示も良かったです。
ニューマンも良かった。相変わらず大きくて、素晴らしい体験が出来た。
企画展、常設展、2つを通して言えるのは、紛れもない“芸術”というものが、確かに存在しているということ。
陳腐な議論な思想を超越した、人間の紡ぐ極みの1つにがそこにはあり、触れられる。
そして僕は、自分でもワクワクしてしまうくらい、大きなヒントを得た。次の個展が自分で楽しみなくらい、それくらいに飛躍できる展示が出来そうだし、作品を創れそうな感触を得た。
ボナール、マティス、ロスコに感謝である。
[メモ]
マティスとボナール 地中海の光の中へ@
川村記念美術館 (千葉県佐倉市)
5月25日まで
巡回:
→神奈川県立近代美術館 葉山