アーティスト 加藤雄太 のブログ
展覧会のレヴュー、本の感想、その他制作の日々の模様など。
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◇5月の掲示板◇
作品 200805

あっと言う間に5月で、桜も疾うに散り去っている。
ぼーっとしている場合ではない、と思う。

何というか、今色々と進展期というか、そんな風を感じているので、頑張りたいです。

当blogのコメントですが、手落ちを防ぐため承認制を止め、画像に表示されている文字を入力するタイプにしてみました。宜しくお願いします。



[画像]
《見えざるもののために》
2008/01/22
岩絵具、板
53.0×72.7cm
《For an Invisible》
Powdered mineral pigments on wood
※画像の無断転載・転用は禁止です
一輪の花
何だかとても久しぶりの更新になってしまった。
ノア・ノアしたいんです。

戸田公園の寺ゴールデンウィークはほとんど書店へ。無論、アルバイトで。
連休後の休日は、近くのお寺へ行ってみた。以前、前を自転車で通った時、5月5日はお花祭り、みたいな看板があった気がしたのです。その記憶をたよりに、まだやっているだろうと思い、自転車で門をくぐる。
そう、最近、花をスケッチしたい衝動に駆られているのである。これはチャンスとばかりに、こんな近くにモチーフがあるのなら、と思ったのだけれど、5月5日のみのイベントだったらしい。しかも、僕は何か勘違いしていたようで、鉢植えの花に甘茶をかけて、お釈迦様のお祝いをする、というもので、当日に来ていたとしても、勘違い絵描き野郎だったわけです。
でも、住職の奥さんと思われる人によると、花はまだ残っているし、庭もなかなか広いので、鑑賞してスケッチさせてもらうことに。

晴れた日中、誰もいない静かな寺の中で、ぼーっと植物を見て歩くのもなかなか良い。
座り込んで鉛筆を走らせていると、とても贅沢な時間に思われた。
空虚なようでも、しっかり実がある感じ。こういう時間も、ちょくちょく見つけたい。


最近は、サリンジャーとカポーティに読み耽った。
むらはあるが、両者とも好きだ。


それにしても、今月は展覧会の魅力がない。いまいちどれもパッとせず、足を運ぶに至らず。


新たに、個展の誘いが来る。最初のギャラリー山口での初個展と、こないだのガレリア・グラフィカでの個展に来てくれたギャラリーの人から手紙が届いていた。
色々の事情により、悩み中。
とりあえず、どういう場所かと思い、ギャラリーへ行ってみた。なかなか面白い空間である。
誘ってくれたご本人がたまたま不在だったのが残念。


新世代への視点』は、こないだ連絡があり、枚数は2枚へ、サイズも若干大きくて大丈夫とのことでした。


フローリストとして新生したリンタロ氏より、花の無い花を頂く。
我が家には観葉植物がないので、なんとも新鮮。
逆光だけれど、いいじゃないか。
林太郎さんの花


それはそうと、来月からの日本画講座ですが、まだ応募が少ないとの話を耳にしました。
ばしばし受講してください。お待ちしてます。


何だかぼーっとしてしまいがちだけれど、気合いを入れねばな、と思う。
シャキシャキ動けば気持ちがいい。それはわかっているのだから。
『ノア・ノア』
ノア・ノア タヒチ紀行』 1893年
著:ポール・ゴーガン 訳:前川堅一 (岩波文庫) 483円
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本『ノア・ノア』

絵画における僕的ツートップの1人、ゴーギャンの著書。内容は、ゴーギャンのタヒチ滞在の模様を描いた紀行文である。

これがどーってこと無い。暇つぶしにどうぞ、という感じである。
故に、ゴーギャンについて、簡単に書いてみようかと思う。

ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin)[1848-1903]はフランスの画家。セザンヌ、ゴッホとともにポスト印象派を代表するアーティスト。しかし、分類としては象徴主義にするのが通である。
父は共和主義のジャーナリスト。そして、祖母はフローラ・トリスタン。彼女は女性初のフェミニストとして有名で、女性解放運動を行った。ちなみに名前の意味は“悲しみの花”。
17歳で学業をやめ、見習い水夫となり、リオ・デ・ジャネイロへ初航海。その後、海軍に入り、北極圏を航海した。
71年には、株式仲買人となり、証券会社に勤める。73年にメットと結婚。シュフネッケルのすすめで、絵画への関心を持ち、絵を描き始める(趣味として)。
この後、けっこう滅茶苦茶な人生に…。
76年にサロンに入選。その後、ピサロやドガと知り合い、印象派展に出品した。
83年、35歳の時に株式仲買人をやめ、画家になる決意をする。けっこうスタートは遅かったのだ。
しかし、貧乏で家族と別居。妻のメットはコペンハーゲンに。ゴーギャンは86年にポン=タヴァンへ行き、絵が変わる!この後、ポン=タヴァンとル・プリュドゥを行ったり来たり。アルルでゴッホとの有名な共同生活も。しかし、アルルへ行った理由は、生活費がかからないからという曲がった理由であった(生活費はゴッホの弟のテオ持ち)。
パリにも戻ったりしたが、文明生活を嫌う。

そんなこんなで、1891年に、タヒチへ。第1回目のタヒチ滞在だ。本書『ノア・ノア』はこの第1回タヒチ滞在の模様を描いたものである。
タヒチでは文明に侵されていない文化に感銘を受け、自身の楽園を求めた。
2度目のタヒチ滞在では14歳の愛人を持ったり子供が生まれたりと、なかなかの奔放っぷりを発揮しながら制作したゴーギャン。

タヒチに何を求めたのか…。
ヨーロッパの息吹が、文明が、浸透していない世界。生命の輝き。そういった楽園を求めてゴーギャンはタヒチに滞在した。しかし、ついに見つけられずに、絶望のうちにゴーギャンは死ぬ。
97年には、自殺を決意し、大作《我々はどこから来たか?我々は何者か?我々はどこへ行くのか?》を制作。その後、砒素を飲み死のうとしたが、あまりに多く服飲したため、嘔吐しすんでのところで生き残った。
1903年に心臓発作で死んだ。

地上に楽園を見出そうとしたが、それが出来なったゴーギャン。苦悩のうちにも、眩い生命の筆跡は掴んだ。
ゴーギャンの作品は、輪郭をはっきり描いて、内部を平面的に塗った絵ではあるが、そこには見事な調和がある。「抽象」はゴーギャンがこだわり続けたことであり、故にゴーギャンの絵には、対象のエッセンス、つまり本質が濃く、しかし不可視に定着されているのだろう。
写実の無意味性を説き続けたゴーギャン。己のうちで昇華させ定着させたタッチは、精神によってより澄んだものとなり、タヒチで触れた原色の世界によってより輝きを増したのだと思う。

「助言を1つ。あまり自然に即して描いてはいけない。芸術とは1つの抽象なのだ。自然を前に夢見つつ、自然から抽象を取り出したまえ。そしてその結果として生じる創造のことをより多く考えたまえ。」

しばしば目にするカッコいいフレーズがある。誰の言葉か忘れたが、
「絵画は無声の音楽であり、音楽は有声の絵画である」
というものだ。レッシングは『ラオコオン』の最初でこれを否定している。ゴーギャンもまたそうなのである。つまり、時間である。一目見れば、絵画や彫刻は全体を把握できるということである。絵画の力を信じたゴーギャンは、絵画はあらゆる芸術の中でもっとも美しいものだ、と言った上でこう言っている。
「すべては一瞬のうちに尽くされるのだ」

「なぜ枝を垂らした柳が“泣いている”と呼ばれるのか。それは下降する線が悲しいからだろうか。大カエデが悲しいのは、墓地に植えられているからだろうか。いや、悲しいのは色なのだ。」
こっそり宣伝
来月、6月12日から、日本画の講師をすることになったのです。とてもひょんな経緯から。人生、何がどう繋がるかわからない。

埼玉の浦和にある岸町公民館にて。
講座名はたぶん「はじめての日本画」だと思います。
木曜の10:00から12:00で、全5回。

えー、つまりは、奮ってご参加をお願いしたいでございます。
全5回が終了後、希望者を募ってクラブ化して、断続的に続く講座になればと思っています。
内容は本当に初歩です。そもそも5回でやり尽くすのは不可能なので、とりあえず日本画の画材に触れてみる程度の気持ちでどうぞ。

一体どうなるのか分からないので、とても緊張しています。
画材や準備や、日本画は描く以前に色々とプロセスがあるので、教える側としては困ることが多いです。
なんとかします。




『茂木健一郎×白洲信哉 トークショー』
茂木健一郎×白洲信哉14月30日の夜、茂木健一郎と白洲信哉(白洲次郎白洲正子小林秀雄の孫)のトークショーがあると知って、アクティブ魂で行ってみた。
場所は東京ミッドタウン。六本木で花の稽古が終わったばかりのリンタロ氏と合流。

着いてみると会場が何処なのか良くわからなかったが、なんだかんだと最前列で見れた。まぁ、屋外だったんですが…。
「男の遊日」というテーマ。


茂木健一郎×白洲信哉2始まるとけっこう笑えるやり取りが続く。
いつ本気モードに入るのか?と思っていたら、終了。30分。
とても予想外の内容の無さにあっけにとられる。
以前のように、メモを大量にとる戦闘態勢だった僕ですが、1文字も書くこと無く終了。
家を出て、アクティブにお出かけするきっかけになった、くらいでした。

ミッドタウンのカフェは大変気に入りましたが。冷房がもっと弱ければ最高です。