ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)[1632-1675]は、オランダの画家。17世紀を代表する画家の一人。
現存する作品は30点少々と、極めて少ない。この作品数でこの巨匠っぷりというのは、すごいことだ。
《真珠の耳飾りの少女》で有名な、あの画家です。
生涯のほとんどをデルフトで過ごし、
《デルフトの眺望》という作品も残している。UTさんが大好きな作品の一つです。
フェルメールは謎が多い画家でもあり、彼のことについては資料によってまちまちである。
生前は無名であり、死後評価された。と記述するものもあれば、生前もそれなりに有名で、死後、美術史から一度消えるが、その後再評価された、とするものもある。
いずれにしても、一度人々の記憶から忘れられてしまったことがあるが、19世紀になって現在の評価が確立したようだ。
その為なのか、作品は世界中に分散し、なかなか一堂に観る機会はない。
信用していいのかよくわからないが、フェルメール自身は画家としてではなく、画商として生計を立てていたらしい。
フェルメールと言えば、以前記事にした
「カメラ・オブスクーラ」を制作に用いたことが有名で、ちょっと前に随分話題になった。
また、フェルメールの使う青は、宝石ラピス・ラズリを粉末にしたものである。当時、金よりも高価だったため、この青は非常に貴重なものだった。このことがよく話題にされるが、今UTが使っている岩絵具の「群青」はラピス・ラズリである。別に、際立って特別なことではないと、ここで言っておきたい。天然岩絵具が高い理由が分かっていただけるでしょうか。
話が逸れてしまいましたが、フェルメールは43歳で死去。なんとも惜しいです。
今回の展覧会は、超寡作のフェルメールの作品が、7作一気に展示されるという貴重な機会。うち、5作は日本初公開だ。
7作フェルメールの作品が一度に展示されるというのは稀で、今後日本ではもうないだろうし、世界的に見ても、本当に数少ない企画である。
絶対混んでいるとは思ったが、今行かなきゃ今後ますます混むだろうし、個展も近づいてくるので、行ってきた。アーティストUTさんにとって、描くこともだけれど、観ることも仕事なのである。
フェルメール作品の他、同時代のデルフト周辺の画家たちの作品も含め、全部で39点が出品されている。極めて数が少ないが、混雑を考えれば、これぐらいがちょうど良い。
美術館に着くと、10分待ち。なんとか入場すると、入り口付近は人がすごい。
フェルメール以外の画家たちの作品は、はっきり言って取るに足らない。列の後ろからさらーっと観てどんどん進んだ。
茂木健一郎氏が「雑魚に用はない」と言っていたが、まさにそのように展覧会は上手く観ないと。
全てを等質に観る必要はないと僕は思っている。自分の心に引っかかってくるものに向き合うこと。
さて、いよいよフェルメール連続7作。
最初の2作品を観て、あれっとなる。オーラがないのだ。
フェルメールの作品に感動できないとは、僕の感覚は腐っているのだろうか…、などと不安になった(笑)。
なんというか、この程度の作品なら、今まで足繁く通った展覧会で、色んな無名の画家たちが描いていただろう。
が、4作目以降!!まさに別人!!
特に《ワイングラスを持つ娘》と《リュートを調弦する女》。群を抜いてました。圧倒的。
そもそも、画風自体それまでの作品と全然違う印象を受けた。
けれど、この場合、技法云々よりも、作品に漂う妖しさがすごいのである。
絵画という静止した画面から、人間関係や描かれた人物の内に秘める思いが出ている。
思うに、フェルメールは、人間の心情を描く画家。
《ワイングラスを持つ娘》も《リュートを調弦する女》も、どこか妖しい艶やかさがあり、エロティックだ。
それは絶妙の配置や人物の仕草や表情から生み出される質感。何かこの人物にはあるな、と思わされるのだ。
あるいは、描かれた女性を通して、描かれない人物の存在を感じさせる。そういった凄さがあった。
結局、滞在時間のほとんどをフェルメールに費やしました。
ちなみに、滅茶苦茶混んでいるのは入り口付近で、フェルメールの作品は、結構見られます。
僕は、至近距離で好きなだけ眺めている余裕がありました。本当に贅沢な時間だったなぁ。
というように、上手く観るようにすれば、充分フェルメールを見ていられるので、またと無いであろう機会だし、オススメの展覧会と言って良いでしょう。
ちなみに、
展覧会のサイトにあるように、直前の貸し出し拒否があり、最初の予定と展示内容が変わったらしい。
(
以前の『フェルメール 「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展』の記事はこちら)
[メモ]
フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち
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東京都美術館 (上野)
12月14日まで