アーティスト 加藤雄太 のブログ
展覧会のレヴュー、本の感想、その他制作の日々の模様など。
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◇11月の掲示板◇
作品 200811

急に寒くなってきました。今は、まだこの程度だけれど、下旬頃には、いよいよ冬って感じになるのでしょう。
でも、冷たい空気は、なぜかしゃんとなります。
しゃんとして、濃密月間っ。



[画像]
《記憶と時間を巡って》
2008/08/07
岩絵具、板
65.2×91.0cm
《Traveling Time and Memories》
Powdered mineral pigments on wood
『セザンヌ主義©』展
天気は晴れ。冬へ移り変わる境目の冷たい空気に、しゃんとなりながら駅へ向かい、電車で横浜へ向かう。
行くのが億劫ではあったが、是非とも観たかった展覧会なので、なるべく会期の早いうちに行きたかったのだ。
『セザンヌ主義』。
先日、封書が届いたので開けてみると、展覧会の招待券が入っていた。なんとも嬉しいサプライズだった。
送り主のヒデジ君とランドマークタワーで合流し、横浜美術館へ。

展覧会『セザンヌ主義』

ポール・セザンヌ(Paul Cézanne)[1839-1906]はフランスの画家。構成に多大な影響を与えた画家である。
印象主義から出発するが、印象派の絵画が一瞬の光を追い求めるあまり、画面から形態と構図を失ってしまったことなどに不満を覚え、印象派を離れて独自の絵画を追求した。事物の本質を見つめ、事物に永遠性を与えようとした。
絵画に“多視点”を導入し、この事が後にキュビスムの誕生につながる。
セザンヌはボンボン君だったので、経済的に困ったりはせずに、絵に専念できた。中学では、後にフランス自然主義文学の巨匠となるエミール・ゾラと出会い、親友であったのは有名な話。しかし、ゾラの『制作』の主人公である悲劇の画家があまりにセザンヌと酷似しているため絶交になったもの、これまた有名な話。
今でこそ巨匠であるセザンヌだが、当時は、サロン展に何度も挑戦するも全然入選せず、1882年にやっとこさ入選するが、それも友人であった審査員に頼み込んでの裏口入選だった。そしてそれが、生涯唯一の入選となる。
セザンヌの才能に時代が追いついてなかったのだ。

さて、このブログでも何度もセザンヌやゾラのことを書いているし、セザンヌは僕の大好きな画家の1人だとも言ってきた。なので、今更僕のセザンヌLoveっぷりを訴える必要はないでしょう。
故に期待を抱いて展示を観たのは言うまでもありません。
で、感想はというと、ぱっとしませんでした…。
『セザンヌ主義』というタイトルがなければ、それなりに感想も変わったかもしれないが、このタイトルであの展示はないだろう、と。

展示は、人物画→風景画→静物画、と進むのだけれど、セザンヌ作品はけっこう少ない。特に、最初の人物画はセザンヌ少なく、相当がっかりした。
そして、セザンヌに影響を受けたとされる画家たちの作品が大部分を占める訳だが、これが非常に強引な印象。作品からは全く関連も感じられない作品も多々あった。展覧会を成立させるために寄せ集めた感じを受ける。
もちろん中には、明らかにセザンヌから何かを学ぼうとする作品もちゃんとあるので、その辺は良いのですが。

特に、最後の静物画のエリアは、部屋に入った瞬間は、常設展かと思うくらいに「非セザンヌ空間」と化していた(苦笑)。
セザンヌ主義って、これモチーフだけじゃんっ!!と、ヒデジ君とぶつぶつ。

まぁ、そういう作品はもう置いといて、少なからずセザンヌっぽさを感じられる作品たち。多数の画家がやはり模倣するようにセザンヌ的な作品を描いていた。
これは取りも直さず、それだけセザンヌが当時革命的だったのであろうし、それだけ他の画家たちに新たなインスピレーションを与えた証拠。これだけ多くの画家たちがセザンヌに倣おうとしているのは、本当にすごい。やはりそれだけの何かが作品になければ、当然成立しない現象だろう。

そして、セザンヌ主義とうたっているのだから、セザンヌ風の作品が並ぶのは当たり前で、だからと言ってその画家がただの物真似画家ということではない。今や巨匠として名があがる有名画家のセザンヌ風の作品が様々にあるが、重要なのは、その画家にそういう事をした時期があって、それを経て今の画家のイメージがある、ということだろう。

セザンヌ自身の作品は、意外な作品もあって、そういう発見はあり面白かった。
そして、やはり抜群に良い。やっぱすごいです…。
見て、感じれば、それでオッケー。

セザンヌの影響を感じさせる作品は多い。だが、セザンヌの絵画哲学というか思想と、単にモチーフや筆触がセザンヌっぽいというのは明らかに違う。
ピカソ、ブラックのキュビスムと、その他のキュビスムの画家たちの違いのように。
ここはやっぱり見極めなければいけない大切な点でしょう。


全体を通して、セザンヌの偉大さはわかります。
そして、なんだかんだ言っても、まとめてセザンヌを見る機会はなかなかないですね。ただ、もっと質の高いセザンヌ作品が見たかったので、そういう不満も残る。
楽しみにしていただけに残念な印象が強いが、作品を見る機会ではあるかな、という感じ。



[メモ]
セザンヌ主義© ---父と呼ばれる画家への礼讃---
横浜美術館 (横浜)
2009年1月25日まで
『東京コンテンポラリーアートフェア2008』
日曜日。色々とまわった1日だった。

東京コンテンポラリーアートフェア2008-1

まずは、アートフェア。
ちょっと前に、ガレリア・グラフィカへ遊びにいった時に、招待券をもらっていた。そんなきっかけがあったので、このアートフェアは初めてだったのだけれど、行ってみた。
池袋で電気屋へ行き、再び電車に乗り新橋へ。会場となる東京美術倶楽部へ行く。
初めて行ったけれど、ずいぶんと駅から遠く、訪れにくい印象。迷いつつも辿り着き、早速アートフェアへ。

東京コンテンポラリーアートフェア2008-2

集まっているギャラリーは40。
今年の春に『アートフェア東京2008』に行ったけれど、あれに比べると、規模は小さく、会場もあまり開かれている感じではない。でも、中に入ってしまえば、居辛い感じはなく、まったりと鑑賞できた。

やっぱりアートフェアは独特の場所で面白い。
何が面白いかと言えば、有名画廊が集まっているので、その場で沢山の画廊の作品を見られる事だろう。しかも、それぞれが今旬なおすすめの作家の作品を持って来ているわけで、会場を歩いているだけで、様々な作品を鑑賞できる。

そういえば、またしても「IZUBI」で一緒に受賞した作家の方が大阪のとある画廊から出展されていて、偶然ご本人にも会った。
こうして、活躍されている姿を見ると、燃えてくるし、単純に嬉しい。

そんなわけで、色んな情報収集になるし、刺激を受ける所でありました。
様々な思いを胸に、会場を後にする。

再び駅へ向かうが、この頃には腹減りと喉の渇きが、かなり限界に来ているのであった。
本当は、他に美術展を1つと、とある場所へ行きたかったのだが、時間的に取りやめ、電車に乗り表参道へ向かう。
『阪本トクロウ展 -エンドレスホリデイ-』
続いて表参道へ。
阪本トクロウさんの個展を観に、前々から気になっていたギャラリーである「新生堂」へ行く。
新生堂は、かなり有名なギャラリーで、完全な企画画廊だ。

阪本トクロウ0811

阪本さんは、このブログでも何度か書いたので、もうあえて紹介もしないが、今や売れっ子作家となった若手の画家だ。
僕は前々から知っていたし、向こうも僕を知っていたようで、という話は、以前書いた。こないだの僕の個展にも、わざわざ来てくれた。

今回は公園の遊具がモチーフになったシリーズ。タイトルは「エンドレスホリデイ」。
毎日が永遠に続く休日のようなもの、という阪本さんの日常から来ているタイトルらしい。
今までの作品は風景などであったが、今回、人間が使用する具体的なもの(遊具)が描かれていて、これまでとは違った印象を受けた。
僕はこっちの方が、何となく好きかもしれない。

ご本人もいらっしゃったのでお話ししたかったが、取材中の様で、謎のおばさまがずーっとインタヴューしていた。
僕もこの後予定があったので、特にお話しする事なく画廊を去る。ちょっと残念。

ABCの本店へ向かう。



[メモ]
阪本トクロウ展 「エンドレスホリデイ」
新生堂 (南青山)
11月29日まで
『港千尋×永原康史 情報デザイン ブックガイドトーク』
さあ、そして日曜日の色々巡りのラストを飾るのは、このトークイベント。
青山ブックセンターへ向かう。
あまりの空腹と疲労に、マクドナルドでぱくぱく。しかし、時間が迫っているので、10分くらいで脱出。会場へ。

港千尋 ブックガイドトーク

1度展覧会の記事も書いたけれど、港千尋は写真家・著述家。
うちの大学の先生なので、授業も取っていた。僕が受講していたのは「写真デザイン論」という授業だったけれど、本当に面白かったなぁー。
港先生が写真家になった経緯を話してくれた事がある。もともとは政治を大学時代勉強していたのだが、奨学金で南米へ行く事になる。当時、大学生が1人で南米を旅するなんていうのは非常に珍しかったので、どっかのカメラメーカーが、カメラとレンズ一式を「なんでも良いから撮って来てくれ」と港先生にプレゼントしてくれたそうだ。それを携え南米へ行く。写真なんてそれまで全くやっていなかったが、撮り始めると面白い。いつしか、本来の政治状況を視察するという目的を忘れ、写真を撮りまくり、完全に目的が変わっていたらしい。もう日本へ帰っても、政治方面でやっていくつもりはなく、写真でやっていこう、と決意した。南米では、赤道付近の北側から、時計回りにグルリと1年をかけて1周。さまざまなことを観て来たようだ。
ちなみに、このとき撮った写真を授業で見せてくれたことがある。良かったです。
それ以降、本当に驚くべき海外訪問を重ね(実際すさまじい)、写真家としても著述家としても、今や一流。昨年のヴェネチア・ビエンナーレでは、日本間のコミッショナーを務めた。
僕が実際に見てきた人々の中で、最大の知の巨人です。話が面白くて面白くて、大変刺激を受ける。

そんな港氏と同僚の永原さんが、「情報デザイン」を考える上で書かせない本たちを紹介するトークイベント。
本の紹介をしつつ、さまざまな話が聞けて、充実したひと時を過ごす。
わざわざ聞きにきた甲斐があった。

フランスの国立印刷所の話、文字の話、星の話、宇宙を“はかる”ということ…。などなど。
レヴィ=ストロースに誕生日プレゼントの写真集を作ったなど、一体この人は何者なのだろう…。(『レヴィ=ストロースの庭』)

そうか、グラフィックの「グラフ」は「刻み目をつける」という意味なのか。
そう考えると、家畜などの数を物に刻み目をつけて数えていた太古の人々の行動も、違った視点で見えてくる。
無知を恥じるとともに、目から鱗。

紹介された本は、どれもこれもけっこう高いのが多かったけれど(苦笑)、少しずつでも手に入れていきたい。

知は、望んだのなら、それだけのものを返してくれる。

好奇心の幅を拡げられた、そんな夜でした。
ピカソの生涯が日本語になって蘇る
ピカソの世紀 キュビスム誕生から変容の時代へ 1881-1937
著:ピエール・カバンヌ 訳:中村隆夫 (西村書店) 5775円
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本『ピカソの世紀』

ついに出ました…。
まだかまだかと思っていた、この本が…。
『ピカソの世紀』
N先生こと中村先生翻訳のピカソの伝記です。

僕がまだ大学在学中、そう3年生頃からだったかなぁ、ずっとこつこつと翻訳をされて、出るぞ出るぞとは言われながら、様々なオトナの事情で出版が延びに延び…。当初に聞いた予定からは2年ぐらい遅くなったのじゃないだろうか。
そんな、思い出深き本が、この程ついに出版となりました!!

内容は、世界一詳しいとされるピカソの伝記です。
全2冊なのですが、まず今回はその最初の1冊。ピカソの前半生編とでもいいましょうか。それにも関わらず、1000ページ近いヴォリューム!!
世界一詳しいだけあります。

「今の時期のUT君だからこそ、ピカソの言葉とか、読むとすごく得るところがあると思うよ」と前から言われていたので、心待ちにしていた僕。何に出会えるか、今から楽しみであります。

「間違いなく僕の代表作の1つになる」と先生自ら言う程の内容ですし、それだけ気合いも入っているのだと思います。
後半の翻訳も頑張っていただきたい!

長い間苦労して翻訳をしている姿をずっと見て来たので、こうして実際に書籍という形になって書店に並んだことが、自分の事ように嬉しく、こうして応援紹介記事を書いている次第です。
悪い本なわけがないので、見かけたら手に取ってみてくださいね♪
『レオナール・フジタ展』
久々の上野の森美術館。藤田嗣治の展覧会が始まったので行ってきた。
酔っぱらいの翌日だし、家でゆっくりしようかとも思ったが、天気は晴れ。部屋の掃除をして、アクティヴにGO。

展覧会『レオナール・フジタ展』

レオナール・フジタ(Lèonard Foujita)(藤田嗣治(つぐはる))[1886-1968]は画家。
東京美術学校に入学し黒田清輝(せいき)のもとで油画を学ぶが、まったく馬が合わず、結構嫌われたようだ。その後、当時の文展に3度出品も全回落選。嫌気がさして、1913年パリの地を踏む。
ピカソのアトリエでルソーの作品を見て、脳天を揺さぶられるような強い衝撃を受けた。今まで学んできたアカデミックな教育は何の役にも立たない、と思い知らされ、芸術とはかくも自由なものなのか、と藤田芸術の本当のスタートが切られた。
日本へ帰国し例の「戦争画」を描きまくる時代がくる。圧倒的な筆力で描かれた戦争画はプロパガンダとして多いに力を発揮したが、終戦後、藤田に戦犯の容疑がかけられる事件が起こり、日本との決別。再びフランスへ渡った。
フランス国籍を獲得し、洗礼を受け、改名をし、藤田嗣治からレオナール・フジタとなったのである

1913年にパリへ渡って、エコール・ド・パリの中心人物の1人として、モディリアーニやシャガール、ピカソらと同じレベルで活躍した、なんとも素晴らしい日本の画家。本格的にフランスで成功した初めての日本人だろう。
実際とても成功した画家で、作品もどんどん売れ、注文も凄まじかったらしい。レジョン・ド・ヌール勲章も授章しているし、フランス大統領にも謁見している。洗礼の儀式には、多数のメディアが殺到した。

藤田嗣治は記述するのが大変な画家の一人で、本気で書こうとすると、レビューにならない。
以前書いた記事を参照してください。
・かなり長めの以前の展覧会は『藤田嗣治展』
・戦争画にまつわる話は、中村先生の講演会『藤田嗣治の生涯と作品』で。
両記事を参照して、補完していただければと。


さて、展覧会ですが、すごく良かったです。
会場へ入ると、初期の水彩画や油彩などがある。最初の渡仏で刺激を受けまくっていた頃の作品。
良い!あの色。この段階で、本当に味のある色彩が水彩で描かれていて、見入ってしまった。
他の画家の影響も顕著に感じられ、それも面白い。モディリアーニ風の人物像。ルソー風の風景画。知っていれば、ははん、となる。こういった作品も充分に素敵でした。

あとは、おなじみの女性像だろう。フジタの作品は、何度見ても、線が本当に美しい。ほっっそいですよ。この辺は逆にパリを驚かせたことだろう。
そして、フジタの代名詞である「素晴らしき乳白色」。深い深い白の世界が展開される。

今回の展覧会の目玉は、1928年に制作された4枚の大作だ。
これは、1929年の最後の展示から行方不明になり、1992年に発見された。フランス郊外の倉庫に、丸めてロール状に保管されてあるのが発見され、広げてみると、カビ、剥落、などで、本当に悲惨な状態だったらしい。フランスの国家財産に認定され、国を挙げて6年がかりで修復、80年経ってに今回の展示に至っている。
3メートル×3メートルの大作が2枚1組で計2組。つまり4枚。《構図》と呼ばれる1組と《闘争》と呼ばれる1組。
大迫力というと、馬鹿っぽい感想だが、実際大迫力。

今回は、下絵も多く出ていて、完成前の準備段階を見られる。このデッサンもなかなか見応えがあり、良かった。

他には、最晩年に取り組んだ礼拝堂に関する展示。
フジタは教会の設計段階から、内部の壁画まで、すべてを1人で作り、完成とともに、まるで精根尽き果てたかのように死んでいく。
この教会が、「ノートル=ダム・ド・ラ・ペ(平和の聖母礼拝堂)」。
設計のための、ちっちゃな模型なども展示されていて、とても可愛かった。
ステンドグラスなども、再現されている。

晩年の宗教画も良い。色んな時代を駆け抜けて、最終的にフランス人になり、辿り着いた境地。
人を惹き付けるに充分です。

フジタの絵は、日本特有の余白だったり、一方で西洋的な“密”だったりと、両方があるのだなと、今回気づく。
両方の意味で、視線をすら楽しませる。

田舎の捨てられていた農家を改装し、終の住処となった「メゾン=アトリエ・フジタ」の内部の再現などもあり、展覧会自体が魅力的で、とても面白い構成になっている。

正直、見に行く前は、以前のあの大展覧会を見ているので、それと比べたらどうってことない展覧会なのだろう、と思っていたのだけれど、全然そんなことはない。
今回は、戦争画が云々されず(ほぼ全く触れられていない)、肩の力を抜いて観ることが出来る。
展示の構成も、作品も、とても楽しめて、僕としては大ヒットとなった。
まずは見に行きたまえ!!と言いたいくらいにオススメです。

ピカソらと同時代を生き、同時代の空気を吸い、遠いフランスで活躍した画家。国や時代に翻弄されながらも、本当に良い作品を沢山残して…。
思うに、没している画家で、しっかりと海外での評価があり、所謂“巨匠”たる数少ない日本の画家なのではないかと思う(フランス人だけど)。これこそ、本当の評価だろう。
またしても、良いエネルギーをもらいました。
それぞれの時代の作風が、それぞれ素晴らしい。ユーモアもある描写があったりと、本当に飽きない。
今作品を前にして、国や時代を超え、様々な思いを感じながら広大などこかへと魂が飛翔するような、不思議な感覚。
ある時は裸婦、ある時は猫、ある時は祈り、と、人間レオナール・フジタを作品を通して見た。



[メモ]
没後40年 レオナール・フジタ展
上野の森美術館 (上野)
2009年1月18日まで

巡回:
→福岡市美術館→せんだいメディアテーク(おお!仙台でも観よっと♪)
ダダジ
僕も泉田法師君も、誕生日は8月だ。
今日は、個展を除けば、7月以来久し振りに泉田に会った。
アルバイト終了後、突然の電話をし、2時間後くらいに池袋で落ち合う。

ところで、雑誌『東京人』の12月号の増刊号は太宰治特集だ。太宰治ツアーに行った仲である我々としては、無視し難い。
当然、僕は購入していたので、法師君も即購入。

焼き鳥を頬張りながら、四方山話四方山話。
大幅に遅れた生誕祝賀会を行う。
泉田


こちら一心不乱に『東京人』に読みふける泉田氏→



いや、しかし、幼稚園以来の付き合いである我々が、ここ最近数ヶ月会わなかったのは久しぶりである。
これからの5年間を、如何に生きるか、について話す。
僕らも25歳だ。過ぎ行く20代を、濃く充実した生として生きたい。

今宵の熱燗は利きました。
『アンドリュー・ワイエス』展
展覧会『アンドリュー・ワイエス展』

アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth)[1917-]はアメリカの画家。ペンシルヴァニア州チャッズ・フォード生まれ。生まれつき身体が弱く、父親から絵の手ほどきを受け、絵画制作をした。
91歳の現在も現役で描き続けるアメリカ合衆国の国民的画家であり、モチーフは自分の暮らす周囲の風景や身近な人々など、極めて素朴。そして、画風は緻密でとても写実的な絵で、水彩やテンペラによって描かれる。
幼い頃からペンシルヴァニアとメイン州を行き来しており、この2つの土地がモチーフの舞台となっている。

ワイエスは、僕にとってけっこう懐かしい画家で、というのも、確か高校の頃だっただろうか、朝のホームルームで美術展のチケットが配られた。それがワイエスの展覧会のものだった。当時僕は仙台にいたわけだが、会場は福島県立美術館。なのに、なぜかクラスメイトの泉田法師君と「行こう」と盛り上がり、鈍行電車ではるばる見に行った記憶がある。その頃は美術館なんて滅多に行かなかっただろうに、なぜこの時に限って県を超えて見に行ったのか、今でも不思議だ。ねぇ、泉田くん。

その時の展覧会は大変素晴らしいもので、沢山のタブローが、本当にへとへとになるくらいの量があった気がする。
今回の展覧会は、それに比べるとタブローは圧倒的に少ない。というのも、展覧会の副題が「創造への道程(みち)」なのだが、創作の過程を見せる、というコンセプトらしく、タブローに至るまでのデッサンや素描など、習作がほとんどを占めていた。
そして、完成作に関しては、写真で展示されているのが結構多かった。

まぁ、その点については確かに残念ではあるが、ただワイエスの場合は、習作すらも素敵なので許せるのだ。
さささっと塗られた水彩絵の具。画用紙の上に、寂しげな風景が浮かび上がっているのだ。
印象としては、周りを筆で塗って、モチーフを別な次元から「彫り起こす」感じ。

何もない荒涼とした丘の上に、ぽつんと家がある。
ただただ木が生えている。
古さを感じさせる、木造の家の内部が静かな時間とともに描かれている。
そんな、静寂に包まれた作品には、ノスタルジーが漂う。
押さえられた色彩は、そのことをますます効果的にしているように思う。題材と色彩がうまく融合して、時間と儚さと郷愁を生み出していた。
でもそれは、紛れもない生活の一断片なのだ。

不思議と、そんな時間に恋い焦がれた。

それ故、選ぶモチーフにも共感をできる。

何でもない風景も、何でもない室内も、そして身近な人々も、しっかりと絵として成立させる力量。
単なる写実には終わらない、感情にしみ込む作品。


タブローが少なすぎて、習作ばっかなのは、ずるいというか作品を集められなかっただろう苦しさが浮き彫りだけれど、ワイエスはとても良いです。
が、Bunkamuraは、ワイエスにしてもミレイにしても、ネームヴァリューに頼っている印象で、最近展示があまい気がするから、ぜひ頑張ってほしいです。



[メモ]
アンドリュー・ワイエス 創造への道程(みち)
Bunkamura ザ・ミュージアム (渋谷)
12月23日まで
講座を終えて
晴天。
駅へ向かうと、ホームから今シーズン初めて富士山が見えた。
おお。今日は大丈夫だ。と思い公民館へ向かう。

今回は、キュビスムをメインに、その後僕のお薦めしたい画家数人の作品を見て、質疑応答。
いやはや、無事閉幕しました。
準備はすごく大変だけれど、やっていて楽しかったです。自分の勉強にもなるし。

公民館というのは、講座の感想アンケートを必ずとるのだけれど、これを読んで本当にホッとした。
内容について「わかりやすかった」を選択している人が多くて、難しい話をわかってもらえるかなー、と心配していたけれど、良かった良かった。
あとは、先生の一生懸命さが伝わってきた、という感想も結構多く、どうやら僕は熱い講師だったらしいです(笑)。

何となく、僕の言いたかったことや、新たな絵画の見方がわかってもらえたようで、大変良い講義にすることが出来たと思います。伝わっていれば、やった甲斐があります。
そして、勝手な推測ですが、また第2弾、第3弾、と出来そうな気が…。そうなると嬉しいなぁ。

最近は、準備とか諸々で、アルバイト無い日も休日って感じの日がなかったので、ちょっとゆっくりしたいな。
と、思い、アート系ドキュメンタリーDVDを見たり、部屋の整理をしたりしている、今現在。