アーティスト 加藤雄太 のブログ
展覧会のレヴュー、本の感想、その他制作の日々の模様など。
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『忘れえぬロシア』展
今日は、大学時代の同級生で、共にアーティストとして羽ばたける日に向かって頑張る数少ない仲間である、砂川君と会う。家へ来て、Macの色々を教えるのがメインの目的だが、折角なので何か展覧会でも観よう、と昼過ぎに渋谷で会い、Bunkamuraへ。

展覧会『忘れえぬロシア』
『忘れえぬロシア』という展覧会。

今までこのBlogでも散々言ってきたが、最近のBunkamura ザ・ミュージアムでの展示は、非常に期待はずれが多く、ちょっと満足できない感じなので観るつもりはあまりなかったのだが、バイト先の社員が「良かった!」と言っていたのと諸々の事情により、行ってみた。

今回の展覧会は、国立トレチャコフ美術館所蔵による19世紀後半から20世紀初頭のロシアの画家たちの作品による展覧会。
作品は主に、レアリスムから徐々に印象主義の影響が見られる作品へ、という流れで展示されていた。

先入観を持ってはいけない!と、自分に言い聞かせ、展示を見始めると、なかなか良い。
最初の方は、非常に写実的にロシアの日常の光景を描いた作品たち。
僕はロシアに行ったこともないし、描かれているような状況に居た経験があるわけでもないが、不思議と気持ちが和み、郷愁を感じる。そんな心境にさせるどこか寂しげな作品が、数点あり良かった。
過ぎし日の時間を思い出させる作品。
たとえ時代の違う異国の情景でも、見ていると様々な物語を想像させる、見る側に鑑賞の幅を与える絵画だった。何点か、たまらないメランコリーを感じ、見入った。

ただ、哀しいかな。
中盤からガクッと展示の質が落ちる。
肖像画や習作のような風景画。

フランスの印象主義が、何十年か遅れてロシアの作家たちに影響を与え始めて、それにより作品に如実に影響が出る。そういった伝播の様子や関係性が分かるのは面白かったが、ただ、作品としてどうか、と言われると、それを踏襲した上で自分の個としての表現を打ち出していれば良いのだけれど、全体としてそうではなく、あれれなものが多かった。やはり、展覧会の質への疑問は拭えない結果に。
でも、ロシアで当時、こうしてこのような絵画が描かれていた、というのは不思議な感慨。

厭な感じの作品、とかそういうことはなので、非常に素朴に美術鑑賞ができる展覧会。
ただ、やっぱり途中で緊張の糸が解けたかのように崩れてしまうので、それを踏まえた上で出かけると良いと思います。



その後、画材やなどへ寄り、我が家へ。
Macを使って作業をした後、近所の居酒屋で語る。
やはり、こうして話が通じる友と酒を片手に語ると、やる気が出る。元気が出る。
つっこんだ美術界全体の話題から、切実な問題まで。
美味しい酒でした。



[メモ]
6月7日まで
素敵な感想
 昨日の日本絵画鑑賞講座について、Doblog時代からのブログ仲間であるasumi1727さんが、素敵な感想を書いてくれました。

asumiさん、本当にありがとうございます♪
『内藤礼』展
 『夏目麻麦展』を観て、様々なことを考えながら、もう1つの目的だった内藤礼の個展を観に、すぐ近くのギャラリー小柳へ。

内藤礼[1961-]は著名な現代美術家。過去にはヴェネツィア・ビエンナーレや横浜トリエンナーレに参加している。

広い会場をゆったりと使った展示。
壁面にはペイングィングがある。
始めはただの白い画面にほんのりピンク色がある、としか見えない。何も感じない人ならば、それだけで通り過ぎてしまうだろう。でも、ほとんど描かれてないが故に、見ようとするものだ。画面に注視していると、あるとき色彩が逆転して、白には見えなくなった。暖色の色彩が、画面の奥から滲み出てくる感じ。不思議だ。

作品は単体で見るというよりは、会場がインスタレーションとして1つの空間になっていて、中央には天井から吊るされた透明な糸に、本当に小さい透明な玉が付いたものが吊り下げてある。
その真下に電熱器があって、上昇する熱で、その小さい透明な玉が、ふわふわとホバリングしている。その様子が生き物みたいだった。海の中のクラゲのような。

耳を澄ますと、ちょろちょろと反対の壁にある蛇口からの水の音が聞こえる。
ちょろちょろ…ちょろちょろ…。

僕はあの短い時間で、全てを理解する高みには達していないようだが、でも宗教的なものを全く使っていないのに、1つのサンクチュアリのような空間に侵入した感覚を持った。
日常持っている感覚に、ブレを与えるような場。
何かが生まれているという、静かな胎動。
また1つ、新たな世界を見た。



[メモ]
ギャラリー小柳 (銀座)
5月16日まで
『夏目麻麦展』
今日も公民館へ行き、日本画木曜会を終えて、銀座へ向かう。
アート情報のフリーペーパー「art_icle」の最新号の表紙を飾っていた作品に非常に興味を抱き、開催中の個展を観に行った。

『夏目麻麦展』を観る。全く知らない画家なので、実作がどうなのか楽しみだった。
展覧会『夏目麻麦』

で、観てみると、良いっ!

作品は、室内(のような所)に人がいる、という画面なのだけれど、フォルムはかなり曖昧で、顔だとか体の細部、状況の細部は描かれず、省略されている。
色調はどこか暗めのトーン。
それだけ。

でも、これが良いんだなぁ。
融解しそうなフォルム、どこか虚ろな感じの人物。なのでたしかに相当省略されているわけだけれど、そこには紛れもなく“いる”という感じがあって、逆に存在感があるのだ。
そして、誰か分からない、姿もはっきりしない、故に見ていると想像力が膨らみ、その不思議な存在感と相まって、独特の質感を受けた。

最初から抽象のシンプルな絵、というのではなく、あくまで具象の世界から省いていって残ったもの。
引き算を重ねていくと、強靭な強さになった、という1つの例を見た気がした。
余分なものは描かず、対象のエッセンスを画面に定着させるということ。

大変面白く拝見しました。



[メモ]
ギャラリー椿 (京橋)
4月25日まで
ぴょんと越えて
昨日は、日本絵画鑑賞講座の最終日。
天気も上々で、公民館へ向かった。

到着してみると、お腹が非常に調子が悪く、こなせるか不安になるも、始まってみると、そんなことどこへやら。忘れきって、120分喋りまくった。

大きな負荷をまたこなせたという充実感。
ぴょんとハードルを越える。

アンケートを読んでみると、今回もまた非常に好評で、続編を希望する声の多さに嬉しくなる。
すごい準備は大変だけれど、こういうのを読むと、全てが報われます。
公民館の方の話でも、次に繋がりそうです。

絵画それぞれと向き合って対峙し、魂で会話することはしょっちゅうだけれど、それぞれのしっかりした文脈を深く学ぶ機会は、こういう時でないとなかなかない。

こうして、どんどん僕という人間を深くしていきたい。


新たなる決意の1つの実践へ向け、ちょっとした雑務もこなした。
講座も終わったし、制作もピッチを上げようと思う。

今日は実技の木曜会の日。もうすぐ向かわねば。
その後、銀座のギャラリーをまわろうかと。
明日の講座へ向けて
日本絵画鑑賞講座の2回目の講義へ向け、追い込み中。

昨日も、朝の4時くらいまで準備をして、それからシャワーを浴びて寝て、早朝からアルバイト。
今日も朝方まで作業をして、寝て、そして今、ほぼ終わりをみました。
あと、ちょっとおまけ的なスライドの準備をすれば完了。

しかし、毎回思うけれど本当に大変なり。
でも、かなり勉強になるんだなぁ。

今回も妥協なくスキャンしてしまい、かなりのボリュームです(笑)。
参加される方、お楽しみに。
突破口を見つけること
新作が完成した。
ついについにである。

思えば、前回の個展が終了し、新年を迎え、企画グループ展の為に小品は描いたものの、その小品に新たなる課題を見出し、そこからもんもんとする日々が続きました。

なかなか完成に至らない日々で、熟成させたまま時は過ぎ…

でも、ロスコを見たり、色々と気づくことがあったりして、自らの内に蓄えたものが、形になった気がする。

・深さ―心理的な
・瞬間に与える強さ

ここからは、生み出す日々だと思う。
大河に至る一滴の如く。


ところで、どれだけすごい嗅覚なのか、夜に突然親しき友から電話が入る。
「今から荒川行きますから」
荒川の土手へ行ってみると、自転車でバテている人が2人。

早速、新作を見せて反応を観察する。

よし。大丈夫。
僕が信頼を置く友人の2人だ。


最近は、あることを決意した。
ぎゅっとフォーカスして、進むのだ。
『前田さつき展』
既に結構歩いて、色々と展示を見て回ったけれど、これまたせっかく六本木まで来たのだからと、前々から行きたかったギャラリーを目指して東麻布へ。

着いてみると普通のビルだが、入り口を見て、場所が間違っていないことを確信。
展覧会『前田さつき』
YOKOI FINE ART。
現在行われているのは『前田さつき展』。

6階にギャラリーがある。
入ってみると、女性のスタッフが出てきて迎えてくれた。
こないだのアートフェアの時に、このギャラリーのブースも見たのだけれど、非常にスタッフが親切で、すごく印象が良かった。
今日も、負けず劣らず感じが良くて、普段からこういう対応なのだな、と思った。


作品は、主にボールペンのハッチングで描ききってある絵画。
上の画像もそうです。
大作もあるのだけれど、本当に根気がいる作業だな…と頭が下がる思いの密度。
遠目に見ると、普通に陰影をつけているように見えるけれど、近づくと細かい網目状のハッチングがみっちりとある。

作品を観ながら、スタッフの方が解説してくれる。
過去と未来の戦いがテーマとのこと。

ギャラリーを後にする時、閉まっていく扉の向こうで、お辞儀をして送り出してくれている姿が見えた。

ちなみに、このギャラリーは目の前が東京タワー。
東京タワー YOKOI FINE ARTから


今日は現代アート三昧な日となった。
まだ次の講座の準備は全然だ。
自分の作品も描きたい。
足を運んで、実作を沢山観ると、それだけ自分の中に新たな深みが生まれる感覚がある。行動は、それだけ何かを返してくれる。
また1つ頭のギアが切り替わった僕は、世界の見え方が変わった気がする。



[メモ]
YOKOI FINE ART (東麻布)
4月18日まで
『inochi』展
森美術館の次は、六本木まで来ていることだし、元麻布にあるカイカイキキギャラリーへ行ってみようと思い、歩き始めた。
初めて行くので、携帯の液晶のマップのみが頼り。

現在、村上隆の個展『inochi』が開催中なのです。
展覧会『inochi』

歩いていけるだろうとてくてくするも、ちょうど雨が降ってきたり、やはり行くことをやめようかと思うが、意地(笑)。
付近まで来ているはずなのに、一向にそれらしい建物が見えてこない。
それもそのはず。
建物の前には看板も何も、一切出ていない。そのビルは、1階が保育園なので、それ以外の何物にも見えないのだ。
地下へ潜ると、ギャラリーはあった。
この分かりづらさが1番の驚きである。ほんっっとうに分かりづらい。


村上隆[1962-]といえば、アートに興味のある人なら耳にしたことがあるだろうし、作品だけなら、きっとどこかで目にしているのではないだろうか。
彼については『芸術起業論』の記事である程度書いたので、そちらを参照して下さい。

キューブリックの「A.I.」に影響を受け誕生した、人造人間のようなフィギュア、inochi君。
今回の展覧会は、そのinochi君に関する資料なども展示されている。

1番目がいくのは、この目かなぁ。左右で色が違うのだけれど、覗き込むと、写真で見るよりずっと綺麗。

あとは、作業の指示書きが書き込まれた、スケッチや資料写真が印象的。
どこまでも妥協を許さない感じが、ひしひしと伝わる。
共同で作業することの難しさが垣間見える。

作品をどう思っているかとか、僕的な評価は置いておいて、何にしても世界を舞台に日本のトップアーティストとして活動している氏が、一体何を作っているのか、それをこの目で見てみることは大事だろうと思い、足を運んだのだ。
同時代を生きるアーティストとして、そこはチェックしておきたい。

和室にあるミニサイズの販売用inochi君も見れて、単純に面白かったし、足を伸ばして良かった。

僕のアンテナとか、見据える先は全然違っても、多様な表現のある世界なのだなぁ。
それを確認して、改めて大航海を続けるのだ。
僕には僕の表現があるのだから。



[メモ]
@カイカイキキギャラリー (元麻布)
4月16日まで
『万華鏡の視覚』展
講座の準備とかで、ちょっと展覧会にご無沙汰だったので、何に行くか迷いながらもアート探訪な日にした。

久々の六本木ヒルズ。ミッドタウンや国立新美術館には来ていたが、六本木ヒルズにはここ最近来ていなかった。森美術館へ。

『万華鏡の視覚』という展覧会。
展覧会『万華鏡の視覚』

視覚だけでなく、聴覚や触覚など、人間の様々な感覚を刺激する、と謳われているこの展覧会は、現代美術の様々な作家の作品による展覧会。
作品の形態は多種多様で、空間を活かしたインスタレーションが多い。

こうした作品の多くは、鑑賞者がその“空間”にいることによって、初めて成り立つ。
身体を通した体験は、目だけ耳だけの鑑賞とは違い、もっと直接的なリアリティを持つ。

我々が如何に日常に慣れてしまっているかが、徐々に分かってくる。
アーティストたちが作った場は、今までの世界はあくまで1つの見え方であって、日常にはもっと様々な世界のあり方があるという可能性を示しているようだ。

イマジネーションによって生じた、空間の歪み、ぶれ。
体感した後は、もっと世界は別な形で、僕の目に映るのではないかと思えてくる。

現代美術はわからない、と頭ごなしに決めつける人も多いかと思うが、やはりこうして体験することによって、初めて見えてくることは多い。
僕自身は、コンセプチュアルな作品はあまり好きではないが、それでも本当に優れたアート作品というのは、価値観などをシフトさせるような強烈な印象とともに、なんとも言えない感触を残す。

価値が多様化する現代。
同時に、既存の価値観に疑いを持たずにいる人々。
しかし、アーティストの視点は違う。
常識に疑問を持つことによって、世界は生き生きと豊かさを増す。


東京タワー 六本木ヒルズ 200904
今日は空模様がぱっとしない。
傘を持ってきた。
これは、森タワーの展望台からの眺望。
このあと、あそこの東京タワーの付近へと行くことに。



[メモ]
森美術館 (六本木)
7月5日まで