今年は、僕の絵画のトップ2人である、
ロスコとゴーギャンの展覧会があり、本当に嬉しい。
そして、いよいよ本日から、ゴーギャン展が始まった。
そして、実は僕は、昨夜開かれた、レセプションである内覧会へ行き、一般公開に先駆け展覧会を堪能してきました。
招待状は、2名入れるとのことで、リンタロさんと池袋で待ち合わせ、竹橋の国立近代美術館へ。リンタロさんは、蝶ネクタイで現れるという素敵っぷり。
美術館のレセプションなんて初めてなので、全くどういうものか想像がつかない。受付開始まで駅のカフェで過ごし、いざ美術館へ。
着いてみると、けっこうな人出で混雑。
ロビーで開会式を行い、いざ入場。最初こそ、まとめて入るので、すごい混み具合だったが、人が流れると、ゆっくりと鑑賞することができた。
見習い水夫などを経験した後、株式仲買人として勤め、妻子も得るが、35歳の時に画家になる決意をし、会社を辞め、妻子と離れ、画業に専念する。
文明社会に強い嫌悪を持っており、文明に侵されていない世界をお求めタヒチにも2度行く。地上の楽園を求めさすらったが、ついに見つけられずに没した。
さて、約50点のゴーギャン作品のみで構成された展覧会は、ちょうどいい点数だし、全てゴーギャンとあって、本当に贅沢な空間。
作品は、大体時系列に並んでおり、ゴーギャンの変遷を追いながら鑑賞できる。
1つの展示室がこの作品のみに使われていた。
足を踏み入れる。
感動の対面。
どうしても観たかった絵画のうちの1つ…、いやもしかしたら1番観たかった作品かもしれない。
言葉を失い、じっと見入り、しばし立ち尽くす。
これが芸術か。
ふと後ろの壁には、この作品に関係するゴーギャンの手紙の文章が3つほど書かれていた。
それを読んだ瞬間、涙が込み上げた。
美術館で泣く程の感動を受けたのは、いつぶりだろう。
画集などで、なんども見ている作品だが、目の前のその実作は、多くのことを僕に語りかけてきた。
意味深なタイトルもさることながら、その作品は深い深い森のようだった。
これ以外の作品も、非常に良かったというのが、また素晴らしい。
良質な作品が沢山あったのだ。
鑑賞して思ったのは、一瞬のうちに尽くされる、という感じだろうか。
瞬間的に、言葉や感想を飛び越えて、迫ってくる。
あと、例えば、作品を鑑賞して、観ていれば自分なりの解釈とか感動とか、その作品を受け止めていくわけだけれど、ゴーギャンの作品に関して今回痛烈に感じたのは、ゴーギャンは理解を許さない、ということ。消化しきらせない、と言えば良いだろうか。
見ていると、ぐぐぐっと迫って来て、自分の中に取り込もうと思うんだけれど、かならず溢れてこぼれていく部分があるように思う。
ゴーギャンは、簡単にその全貌を理解させず、絶えずうごめき、「わかった!」なんて言わせてくれないのだ。
とてつもなく巨大な未知の現象に対峙している印象を持った。
しかし、本当に美しい色彩。どこまでも深い画面。
そして、圧倒的な強度。
久々に感動した、オススメの展覧会です。
展示室を出て、ロビーに戻ると、ワインやら軽食がわんさかとある。
ここぞとばかりに、我々2人組は貧乏根性で夕飯の勢いで食べ、再び展示室へ戻り、鑑賞。
そんなことを繰り返し、会場を後にして、池袋へ戻る。
居酒屋で、もうお腹はいっぱいだから(笑)、飲みながらリンタロさんと感想を語り合う。
彼も、やはり泣いていたらしい。帰り道、駅へ向かう途中、込み上げたそうだ。
曰く「感動できる人間で良かった」
↑ゴーギャン展のレセプション会場で、唯一蝶ネクタイだったリンタロ氏。
展示の感想から始まり、多くの深いトピックを、熱く語り合う。
本気で向き合って話す、至福の時。
魂が高揚する。
今日見たものは、一体なんだったのか。
僕はどうしたいのか。
心洗われ、ヴィジョンが明確になる、良い酒宴だった。
[メモ]
9月23日まで