昨日、へとへとにギャラリー巡りをしたのは
前の記事の通りですが、今日は今日で美術館へ。
上野の東京国立博物館。『皇室の名宝』の1期目の展示を観る。
場所も場所だし、内容も内容なので、混んでいるのは覚悟の上、乗り込みました。
混んではいたけど、やっぱりこれは見ておかなきゃな〜、という内容でした。
この展覧会は1期と2期と分かれているのだけれど、現在の1期の目玉は上の画像左側の《唐獅子図屏風》(狩野永徳)と《動植綵絵》(伊藤若冲)の全30幅。
今回も、良いと思ったものは注視し、それ以外の引っかからないものはさらっと流す。
最初の部屋の奥に《唐獅子図屏風》。流石に一双(屏風の右側である右隻と左側である左隻を合わせてこう呼ぶ)並ぶとでかい!
様々な本やら何やらで良く知っていたし、何より自分の講座でも紹介した作品だけれど、生で見る質感でわかること。
近寄ると、おろおろぼそぼその汚い線。超綺麗な神業みたいな線とは全く違う。が、何て言うのかなぁ。大したことないようでいて、その線たちが唐獅子に生命を与えているような、そういった力がその一見酷い線に宿っている。迫ってくるのです。
ああいう筆の動きは、今の人出来ないんじゃないだろうか。
永徳のそれ以外の作品は、特にグッとこなかった。
そして、次の部屋は伊藤若冲《動植綵絵》の部屋。
いやー、世間ではすっかり人気が 若冲>永徳 となったようで、すごい人でした(作品が比較的小さくて多いので混み易いのもあるだろうけど)。
伊藤若冲(じゃくちゅう)[1716-1800]は江戸期の京都の画家。青物問屋の息子なのに、絵以外に興味を全く示さず、ひたすら絵を描いた。一時期、歴史から忘れ去られていたのだが、近年『奇想の系譜』などで再評価され、特に最近は人気画家の1人となっている。
《動植綵絵》がずらーっとならんだ贅沢な空間。
いやぁ、若冲さん本当に変態。
画面を埋め尽くすモチーフ。
対峙したとき、視線が戸惑い、撹乱されるかのよう。
どこを焦点にすれば良いのか、絵の入り口はどこか、驚きとともに僕の視線は踊る。
今までもこのブログで散々日本絵画の展覧会について書いてきて、日本的美意識とか余白の美とか言ってきたけれど、この作品群に関しては、完全にそういった見方ではなく、若冲の独自の美意識の世界。それがすごい。超孤独の中で制作を続け、至った世界なのだろうか。
それから、この《動植綵絵》は、身近な生物たちが描かれた作品群なのだけれど、見ていると本当に生物界なのだと気づいた。
つまり、人間のいない世界というか、その生き物たちの世界を覗き見させてもらっているかのような作品。
その生き物たちのユートピア。のびのびと暮らしている。
これは、若冲ゆえの視線だろう。食用に売られていた雀を全部買い取り、放してやったりする優しい心の持ち主の若冲。
生きとし生けるものへの慈しみが感じられた。
あと、やっぱり色や作品自体が綺麗。狩野派の作品とかはかなり状態が良くないのが多いけれど、若冲はその辺がすごく綺麗。
それ以外にも、岩佐又兵衛の《小栗判官絵巻》もあり酒井抱一の《花鳥十二ヶ月図》もあり、後半には工芸品がメインで展示されていた。
美しい陶器は美しい。
中でも気に入ったのは高村光雲の彫刻、そして光雲の弟子である山崎朝雲の《みなかみ》。良い木彫を見ると、本当にうっとりします。
一方、近代の画家のほとんどの作品は全然良くなかったな。なんか府抜けた感じ。橋本雅邦とか。
ちょっとこの辺は、芸術としての雲泥の差を感じます。まさに外してはいけない所。
これだけの作家の名品を見られるので、見ておく価値は充分にあると思う、おすすめの展覧会。
堪能しました♪
その後、上野周辺のギャラリーに足を運ぶ。
言わずと知れた超有名ギャラリー。現在は『ジュリアン・オピー展』を開催中だった。
ちなみに、このギャラリーは元々銭湯だった建物を改装したもの。
なのでこんな外観です。
結局、今日もかなり歩いた気がします。
[メモ]
1期は11月3日まで