アーティスト 加藤雄太 のブログ
展覧会のレヴュー、本の感想、その他制作の日々の模様など。
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寄り道
最近、ブログが展覧会のことばっかだ。うーん。

こないだ『オブジェの方へ』を観に行った時、途中ちょっと道を入ってみたら、玉蔵院という立派なお寺があって、庭に有名らしい枝垂れ桜があった。
浦和 玉蔵院1

樹齢も相当なようで、枝が支えてありました。

その反対側には、小さな竜安寺を思わせる。
浦和 玉蔵院2

浦和 玉蔵院3

お寺の向かいの公園には、とても大きなイチョウの木。
浦和 銀杏

ちょっとした素敵な寄り道。
どれだけ多く寄り道できたか、ということは、人生において重要なことの1つではないのか、という気がしてます。

それはそうと、この日くらいから、どうも風邪を引いてしまった。
鼻と喉にきています。
『オブジェの方へ ―変貌する「本」の世界』展
午前は日本画木曜会。
ふと、公民館から歩いて一直線の浦和にある美術館で開かれている展覧会の招待券を持っていることを思い出し、足を運ぶことに。

うらわ美術館。『オブジェの方へ ―変貌する「本」の世界』という展覧会。
展覧会『オブジェの方へ』

初めて行く僕は全然知らなかったのだけれど、このうらわ美術館は、本をテーマにした作品収集を行っているらしい。なんとも珍しい話なので、驚いてしまった。

館内に入ると、人はいなくがらんと空いている。
そして、展示してある作品。
いやはや、本にテーマを絞って、美術館で展覧会が成り立つとは。しかも、これだけヴァリエーションに富むのかと驚く程、多様な作品たち。

日本の今や重鎮となっている作家たちや、海外の作家の作品。中には、マルセル・デュシャンや僕の好きなアンゼルム・キーファーの作品もあり感動。

蔵書家、という言葉が存在するように、書物には読むという行為は勿論だが、所有したいという思いを抱かせる力がある。この会場では、書物が読まれるという本来の用途ではなく、鑑賞の対象となっている。オブジェとしてあるわけだ。
どうしても読むという大前提が当然のように頭にあるので、作品として展示されている本を見ると、その意外性に揺り動かされる。リミッターのようなものが外れて、想像力が解放される感覚。
上手くどういう作品だったか文章にしづらいけれど、ページがアコーディオンのように織り込まれていて、でも1行だけ読めるようになっていた作品とか、僕は印象深い。
本当にその作品たちの多彩さに、楽しませてもらった。

しかし、よく考えてみると、オブジェとなった瞬間、読書されるための本が死んだとも言えるのではないか。それとも、オブジェとして新たな命を吹き込まれ再生したとも考えられるのだろうか。
意味の解体。
そう簡単にどちらかに決めるのは難しい。

個人的には、あんなふうに焚書のごとく燃やしたりタール漬けにしたり、…本に対してそんなことはできません(汗)。
予想外に僕には新鮮な展覧会で良かったです。ゆっくり観られたし。



[メモ]
オブジェの方へ ―変貌する「本」の世界
うらわ美術館 (浦和)
2010年1月24日まで
その後のギャラリー巡り
国立新美術館で『THE ハプスブルク』を観た後、地下鉄の駅へ行くために東京ミッドタウンの中を歩いていると、通路に東京ミッドタウンアワードの受賞作品が展示されていた。
東京ミッドタウンアワード 1

東京ミッドタウンアワード 2

誰も気に留めてないようだったけれど、街中にアートがあるとウレシイデース。


再び大江戸線に乗り込み赤羽橋へ。
YOKOI FINE ART。そして、GALLERY TERRA TOKYO へ行く。


また大江戸線で、両国へ。
GALLERY MoMo Ryogoku篠原愛さんの個展「少女たちへ」を観る。

展覧会『篠原愛』2009

ある時期から、非常に有名になった作家さんで、僕より若いし気になっていた。
こうしてまとめて個展形式で作品を見るのは初めてな気がします。
良い意味で想像を裏切らないというか、期待したクオリティがあって良かったです。
制作に対して、すっごい真面目な印象を受けた。
19日まで。


最後は、銀座へ移動し、巷房へ。
田口賢治さんの個展『Sn Nachatmusik Op.2 -2つの記憶と3番目の空洞-』を観る。
DMを頂いていて、そのDMのあまりの素敵さというか、もう観ないわけにはいかなかったのです。
会場は、巷房の3F。小さな作品が3点だけ展示してあった。
洗練された空間。ここまで「個展」ということに対してトータルでこだわった展示って初めて見たかもしれない。とても良かったです。
作品は“一応”写真なのだけれど、空間自体が作品でした。
28日まで。


新宿のジュンク堂へまた行くという変人っぷりを発揮し、帰宅。
ハプスブルクとギャラリーを両方こなせた、充実した日となりました。
『THE ハプスブルク』展
今週は、色々と観る展示が重なっている。砂を誘って、繰り出してきました。
いつも通り、待ち合わせは新宿のジュンク堂。今日は大江戸線dayということで(笑)、六本木、赤羽橋、両国と大江戸線の駅を巡って、その後銀座へというルートだった。

ではまず六本木。国立新美術館へ向かう道の途中にある Shonandai MY Gallery に初めて寄ってみて、そのまま美術館へ。

展覧会『THE ハプスブルク』
『THE ハプスブルク』
どうしても、会場と内容からいって混んでいるだろうと思い、足が億劫になっていた展覧会。しかし、名だたる西洋の巨匠の作品が来ている。行かねば。今日行ってしまえ、と乗り込む。

入ってみると会場はさほど混雑もしておらず、充分鑑賞できる状況だった。
展示も、非常にゆったりと作品が並んでおり、ゆとりを持って鑑賞できる。広く感じたし、かなりの好印象。

ハプスブルク家といえば、名前くらいは聞いたことがあるであろう名門貴族。13世紀から20世紀まで、政略結婚によって領土を拡大し続け、ヨーロッパの多くの王国の国王を輩出。特に、神聖ローマ帝国の皇帝を輩出し続け、随一の名門王家となる。芸術を庇護し、多くの優れた芸術作品が生み出された。
なんかこういう話とか大好きなのだけれど、僕の不勉強で全然知識が足りない。メディチ家とかもすっごい興味あるし、これを機にちゃんと勉強してみないとな、と思います。なので、ハプスブルク家自体についてはあまり語れません。

今年は、オーストリア=ハンガリー二重帝国と日本の国交が結ばれてから140周年らしく、それを記念して、こうして展覧会が開催されている。

肝心の展示ですが、良かったです。
イタリアからは、ラファエロ、ジョルジョーネ、ティツィアーノ、ティントレット。
ドイツからは、デューラーにクラナッハ。
スペインからは、エル・グレコにベラスケス、ムリーリョ。
フランドル・オランダからは、ルーベンス、レンブラント、ブリューゲル。
などなど。そうそうたるメンバー!!

いやぁ、本当に豪華だった。
500年近い時を経ても、まだこうして残り続ける作品たち。
長い時間による選別という、厳しい試練を乗り越えたもの。
それらには、そうなっただけの理由がある。
保守的な意味で言うのではなく、やっぱり昔の良い作品は良いのだ。それを改めて思った。

特に僕が良いと思ったのは、ラファエロの《若い男の肖像》とジョルジョーネの《矢を持った少年》。
なんというか、こういう表現って今の画家はできないよな、という不思議な魅力を持った2点だった。
他の出品作に比べれば、明らかに描き込みが少なく緻密な感じではないのに、それでも視線が留まり、注視に耐えうる。そんな強さがある。

各部屋を抜ける毎に、それぞれ表情を変える作品たち。
隣合った作品でも、作者毎に明確に特徴というか個性があり、そういったものをこうした似た主題の作品同士の中で比較しながら観るのも面白かった。

純粋に、絵画鑑賞の場として質も良く、見応えがありました。



[メモ]
国立新美術館 (六本木)
12月14日まで
『東京コンテンポラリーアートフェア2009』
日曜日の話。

先日の『ULTRA002』に続き、楽しみにしていた『東京コンテンポラリーアートフェア』の日だった。昨年も行ったアートフェアである。

新宿のジュンク堂(僕らの待ち合わせのお決まりの場所その1と化した)で待ち合わせ。
リンタロさん、砂、不思議娘メリッサ、僕の4人。集団で乗り込むことに。

会場の東京美術倶楽部へ。
東京コンテンポラリーアートフェア2009

入り口で謎のおじさんが招待券を3枚くれる。僕は招待券を持っていたので、全員無料で入ることができた。おじさんありがとう!

このアートフェアは、建物の3階と4階が会場になっている。
それぞれそんなに広くないのだけれど、所狭しとパーテーションで区切って、ギャラリーが参加している。

このアートフェアは若手の作品に焦点を当てていることと、コンテンポラリーアートのみなのが特徴。だから未知の作家の作品に出会える場ともなっているのだ。
もう1つ、貸し画廊も参加しているのが特徴。アートフェア東京とかは、一切ギャラリーのレンタルをしていない画廊しか参加できない。それが普通だ。海外も、というか、海外では貸し画廊という概念がほぼ存在していない。日本独特のシステムである。
アートフェアは作品がバシバシ売れる、というイメージがあってなのか、貸し画廊も多く出展していたように思う。

観て回ってまず思ったのは、不況だ、ということ。ほとんどのギャラリーが売れていない状況だったように映った。
まぁ、そんなことは言っても、僕らとしては、こうして1つの場所で、これだけ沢山のギャラリーの作家の作品を見られるのは嬉しい機会。今の日本のアート界の傾向も分かるし、本当に楽しい。
観たかった作品も見れて、満足。やはり足を運ばなくちゃいけないイヴェントだ。

会場やブースが極端に狭いこと、薄暗いこと、などが気になった。そのせいか、あまり元氣がない印象に。


観終わった後は、まだ早い時間だったけれど、新宿へ行って大衆居酒屋に吸い込まれる。

リンタロさんは写真家のアシスタントをしているけれど、たった1枚の為に30000枚から写真を絞り込んでいったりする、という話に驚く。まさか、そんなに多い中から選ぶとは。
夜通し、朝まであーだこーだと選ぶらしい。

そこで僕は、港先生の言葉を伝えた。
「写真のシャッタースピードは、平均すれば125分の1秒。1人の写真家が一生に残せる写真の枚数は、良くてせいぜい100枚とか。まぁ125枚だとすれば、つまり自分の一生のたった1秒しか残せないということになる。自分の人生の1秒しか残せないのに、その1秒を死ぬ気で選ばないでどうする。」
と話したら、リンタロさんが握手を求めてきた。

その他、アートフェアを観ての感想とかで盛り上がる。
5時間くらい同じ店にいた気が(笑)。

砂とリンリン
画家の砂(左)と知性在りし変態リンタロ(右)。エンジンがかかってしまってます。

彩1
リンタロさんの挙動を撮影する不思議娘メリッサ

もっと色んな作品をどんどん見たいね。
いつかは観られる側になりたいね。
『ロートレック・コネクション』展
晴れているし、どこかへ行きたくなった。
ので、渋谷のBunkamuraへ。今までもこのブログで散々最近のBunkamuraの展示に関して苦言を呈してきているのに、でも行ってしまうのです(笑)。

展覧会『ロートレック・コネクション』
『ロートレック・コネクション』という展覧会。
ロートレックをメインに、同時代のフランスの画家たちの作品が展示されていた。

アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック(Henri de Toulouse-Lautrec)[1864-1901]は、フランスの画家。名前に「ド」とあるように、貴族(伯爵家)の出身である。
成長期である13〜14歳の時に両足を骨折してしまい、以来足の成長が止まってしまう。そのため、普通に成長した上半身に対して足が短い状態になり、身長は低かった。
ロートレックといえば、ポスターが有名であり、パリの大衆文化、ことにムーラン・ルージュを描いた作品は数多くある。彼自身も酒場や娼館に入り浸り、退廃的な生活を送ったようだが、逆に娼婦たちからの信頼も厚かったようで、彼女らをモデルにした作品も多い。ポスターを芸術の域に高めたアーティストである。
ピカソが町に貼ってあるロートレックのポスターを、剥がして持ち帰ったというエピソードもあるくらい、その作品は魅力的だ。
モンマルトルの画塾で学び、そこでゴッホなど後に著名なアーティストと出会っている。ロートレック自身もモンマルトルを活動の拠点とし、モンマルトルを代表する画家となった。
脳出血で37歳の若さで死んでしまう。

さて、展覧会だけれど、これが良かった!
約半数がロートレックだろうか。残りの半分も、ゴーギャンボナールなど僕が好きな画家たち、それからもう1人のポスターの巨匠スタンランなど、なかなかの見応え。ポール・セリュジエの作品もあったのは、彼に興味を持っている僕としては嬉しかった。

こうしてロートレックの作品と他のポスターや挿絵の作品が並んでいるのを改めて見ると、ロートレックの作品の質の高さがよくわかる。やっぱり抜き出ているというか。
日本美術から影響を受けたという平面的な処理。配色も線も、キャバレーなど当時の文化の匂いを良く伝えてくれている。
観ていると、パリの活気が伝わってくるようだ。思わずゾラとか読みたくなってます。
よく考えると、デザイン的な要素として高い質を保ちつつ、かつ当時の雰囲気を伝えるって、その両立はすごい。

あと面白かったのは、20歳の作品はまだなんか垢抜けない感じで、でもすぐ近くに展示してあった24歳の作品は、もうセンス抜群!その4年で覚醒したんだなぁ、と。

展示の最後のほうは、ちょっと雑な構成。息切れのようで、最後の最後でがっかりさせられる。なんでああなんだろう。最後までピリッと締めて欲しい。
まあ、でもそれも些細なことだ。全体としては非常に楽しめる展覧会だった。
トゥルーズ=ロートレック美術館の館長が監修ということもあってなのか、良かったです。
ロートレックと言えば、以前サントリー美術館でのロートレック展を観たけれど、それよりも良かったと思います。
空いていたし、好きな作品の前で、いくらでも眺め入ることができました。
Bunkamuraよ、この調子で♪



[メモ]
12月23日
『冨谷悦子展』などギャラリー色々
今日は、前々から予定していたリンタロさんとの画廊巡りの日。
天候は生憎だったが、雨でもアクティヴな自分が好き(笑)。

池袋で待ち合わせて、白金高輪へ。

児玉画廊|東京山本現代London GalleryNANZUKA UNDERGROUND。などが入っているギャラリービルへ。

それぞれに様々な展示をしていたが、ここで1番良かったのは、山本現代の『冨谷悦子 風蝕』という展覧会。
超緻密な銅版画の作品で、全て小品だけれど、完成度が高かった。
この人は、何年か前の「美術の窓」の新人特集号に出ていて、印象に残っていたので実作を観てみたかったのだ。
細かい描写で、森や静物たちが描かれている。僕は版画の技法とか詳しくないけれど、明らかに大変だろうという細かさ。
小品の中に詰まった小宇宙。
後半に展示してあった作品は、ガタッと完成度が落ちてしまっていて残念。
でも、思わず欲しくなってしまうような作品でした。
12月5日まで。

そのまま歩いて、TOKIO OUT of PLACE へ行ったが、今日は休廊日…。残念。

気を取り直して、広尾へ歩いて移動。
日比谷線で銀座方面へ。

ARATANIURANO で『山と渓谷』という展覧会を観る。
これはグループ展。
僕は全然ピンと来なかったです。
12月12日まで。

他にも、途中リンタロさんを何カ所かギャラリーに案内。
特に、最後に行ったギャラリーでは、彼はミラクルを起こし、何かが起った模様。期待です。

PC関係で渡すものがあるので、僕の家へと移動し、その後近くの居酒屋でアルコホリック。
やっぱり彼は素敵な友人。
いつも僕を前向きにさせてくれる。

傘をさしながら散策した良い日。
こうして歩いた成果が、しとしとと降り溜まって、今後の画家生活に活かされることだろう。
『ライアン・ラーキン 路上に咲いたアニメーション』
シェル美術賞を観た後は、六本木へ移動。

シネマート六本木という映画館へ。
僕は全然知らない作家だったのだけれど、お誘いを受けた。
映画『ライアン・ラーキン』

アニメーション作家アイアン・ラーキンの映画。
ライアン・ラーキン(Ryan Larkin)[1943-2007]は、カナダのアニメーション作家。
25歳でアカデミー賞にノミネートされるなど、天才と言われたアニメーション作家なのだけれど、その後突如、あらゆる名声を捨てホームレスとなる。以後、路上で物乞いをして生きた。
4本の短編映画で世界に知られる作家となったのである。
僕も詳しいことは知らないけれど、そういう人らしい。

もう、これは興味をそそられるでしょう。

今回の映画は、そのラーキンについての映画であり、もちろんラーキン自身の作品も出てくるし、ラーキン自身も実際の動画で、またアニメのキャラクターとして登場する。
40分の短い映画だ。

そんな、短い作品だ。でも、出だしから面白かった。
面白かったのだが、面白かったのだが、……加藤画伯気絶(爆)。
ええ、ものすごい睡魔が襲ってきたわけです…。
なので、詳しいレヴューとかはしないでおきます、というかできないです。
いずれDVDとかで見直したい!

かなり夢幻的だった、という印象派鮮明に残っています。


ちなみに、代官山から六本木へ行く途中、渋谷に行きHMVに寄ってみると、何とマイケル・ジャクソンの『THIS IS IT』の初回限定版が!!
Amazonで売り切れていて、諦めていただけにまさに驚喜。即buy。
THIS IS IT CD
当然、聴きながらこの記事を書いています。



[メモ]
@シネマート六本木 (六本木)
公開中
『シェル美術賞展2009』
 気持ちよく晴れた日曜日。
今日は、今日までだと気づいたとある公募展の入選作による展覧会へ行こうと決めていたので実行。

代官山へ行き、今年の「シェル美術賞」の展覧会へ。
シェル美術賞は、昭和シェル石油が行っている絵画公募展。1956年からと歴史も長く、その受賞者には、今や巨匠となった有名人も多い。現代美術の平面作品の公募展で、特に近年は、数ある公募展の中でもトップクラスに現代美術の世界に対して多大な力を持っている公募展だと僕は思っている。

展覧会『シェル美術賞2009』

ということで、出品したりはしていないけれど、現在どのような作品が評価されているのか見ておかなければ!と思い行ってきました。

すぐに観終わっちゃったけれど、2年くらい前に見た時よりは、良い印象を受けました。
本当に数点だけれど、う〜むとなる作品と出会った。

しかし、まだまだ時代は具象。鮮烈な色彩。キャッチーでカワイイ人物。そういったものが非常に氾濫している。
いつもいつも、考え続け、思っていることを実感するという意味で、良い会場。目に飛び込んでくる強さと、作品に宿る注視に耐えうる強さ、というものは違うのではないか。流行る作風と、良い作品は当然イコールではない。
僕は、本当に美術のメインストリームと本当にかけ離れたことをやっているのだなぁ、と改めて実感。しかし、風穴をあけたいのだ!
こうして現状を知った上で、自分は自分なりの解答を提示すること。なんとかやってみせなきゃならない。



[メモ]
@代官山ヒルサイドフォーラム (代官山)
今日まで
『タッソオ』
本『タッソオ』
タッソオ』 1788年
著:ゲーテ 訳:実吉捷郎 (岩波文庫) 630円
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ほんと〜〜に久々の本のエントリー(汗)。
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)[1749-1832]は、ドイツの小説家・詩人。その才能は文学に留まらず、科学や哲学にも及んだ。シラーとともに、この時代のドイツを代表する文学者。
ゲーテ自身が「詩は10歳のころから作り始めた」と言っているが、現存する最古の詩は8歳の時のものである。
ゲーテの父は、ゲーテに家庭教師を数人つけて教育を施した。語学に長けていたゲーテは、少年時代で既に、英語・フランス語・イタリア語・ラテン語・ギリシア語・ヘブライ語を習得していたらしい。
あらゆる分野に興味を持っていたことは、例えば『色彩論』という色彩に関する論文があることからも分かるだろう(僕は未読)。そして、ゲーテといえば『ファウスト』であるが、これは着想から完成まで、実に約60年かかった。
もう1つ、有名な作品と言えば『若きウェルテルの悩み』であるが、これは以前に記事で書いた。
82歳で死ぬまで、恋にも研究にも著作にも精力的に生きたゲーテ。死ぬ前の最後の言葉「もっと光を!」は有名である。

そんなゲーテの戯曲の1つがこの『タッソオ』だ。
タッソオは、フェラアラの公爵に仕える詩人である。この詩人の詩作に対する極度のこだわりに見る内面性、公爵の妹に恋をしている心情。これらにより、極度に神経過敏で感じ易いタッソオは周囲への懐疑心により人生を狂わせていく。
登場人物はほんの数人で、場所も庭園と屋敷のみで、極めて少ない要素だった。

正直、イマイチ。
本の内表紙には、「詩人タッソオに仮託して芸術家としての苦悩を表白した戯曲」とあったので期待したのだけれど、少々期待しすぎたのかもしれない。
なんだかすごい天の邪鬼と言うか困ったさんを見ている感で終わってしまった(苦笑)。

ということで、あまりおすすめは出来ません。でも流石文章は流れるように進んでいました。
物語としては、僕はあまり楽しめなかったけれど、それぞれの台詞にはハッとさせられるものがあり、やはりゲーテだなと思わされます。

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いちど好運な手で確實につかんだものを、
ながく持ち續けることもめったにありません。
はじめ私たちに身を委ねたものもむりに離れ去り、
むさぼるように握ったものも私たちは手放してしまいます。
幸福というものはあるのでしょう。しかし私たちはそれを見知っていません。
見知ってはいるのでしょうが、それを尊重することを知らないのです。
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吾々は常に望みを失いません。そして何事につけても
絶望するよりは希望するほうがましです。なぜといって
可能の範圍をはかることが誰にできましょう。
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ちなみに、タッソオは1544年生まれの、実在した詩人らしい。