先日観ていた展覧会。
恵比寿の東京都写真美術館。『森村泰昌 なにものかへのレクイエム』。
森村泰昌[1951-]は、美術家。有名な絵画や報道写真、有名人のポートレイトなどに自らが入り込んだ写真や映像の作品で有名。
今回の展覧会は、「20世紀の男たち」をテーマとするシリーズ<なにものかへのレクイエム>の第一章「烈火の季節」('06年)、第二章「荒ぶる神々の黄昏」('07年)に、第三章「創造の現場」と第四章「1945・戦場の頂上の旗」を加え、完全版となったもの。
展覧会は、これを順に巡ることとなる。
会場に入って、最初の部屋を観ただけで、戦慄のようなものが走って、この展覧会が良いものであることを確信。と、同時に、今まで僕は、森村泰昌という人を誤解していたな、と思い反省した。メディアやギャラリーやらで、今までも作品を見てきたけれど、今回その深さというか、奥にある核に触れたような気がした。
そういった確信が、入場して僅かな時間で、どっと押し寄せてきたのだ。
写真の中に入り込んで、セルフポートレイトとして再提示されているモチーフは、誰でも知っている有名な事件だったり、歴史的瞬間だったりする。けれど、作家本人がそこに入り込んでいることによって、今を生きて作品を発表している森村泰昌という作家=現在、と、既に過去となった出来事が見事に融合し、リアルタイムでその時を生きていない僕に出さえ、何とも言えないリアリティを持って迫ってきた。
この、迫ってくる感じ。これが何とも不思議で、どうにも払いのけられない。この質感に、僕は今回初めて気づいたのだろう。
映像作品もいくつかあり、どれも興味深い。
左右2画面に分かれていて、それぞれにヒトラー=ヒンケル=チャップリン=森村が映っており、左右が交互にあの名シーンの演説のようだけれど、喋っている内容は独自のものである映像が流れる。そして、痛切なメッセージ。
現代の独裁者は、恐ろしい顔をしていない、と。エアコンで快適な室内空間で、便利な移動手段で、生活している、と。何かが犠牲で失われているのに平気な顔で生きている、と。あなたは独裁者ではないのか、と。
最後の、硫黄島の星条旗を模した映像作品も、とても興味深かった。
アメリカ或いは資本主義を象徴した森村扮するマリリン・モンローが残した血まみれの白いドレスを、これまた森村扮する旧日本兵が拾い、そのドレスを洗って白い旗にして掲げる、というもの。
この日本兵は、ボロボロで、自転車を轢いて砂浜をヨタヨタと歩いているのだけれども、その自転車にはガラクタが満載。そのガラクタたちは、アコーディオンだったり、イーゼルだったり、キャンバス枠だったりと「芸術」を象徴する道具。
掲げる白い旗も、降参を意味するのではなく、あくまで白。これから何色に塗っていくか、というメッセージがある。
写真作品も本当に良かったし、とても良い展覧会でした。
芸術として提示されて認識するこの感覚。
絵画や彫刻を観て感じるのとはまた違う芸術の力。
なんかまだ上手く言語化できないけれど、おすすめです。
5月9日まで