先日、丸の内に4月6日にオープンしたばかりの新しい美術館、三菱一号館美術館に行ってきた。赤煉瓦の、素敵な外観の建物。
観た展覧会は『マネとモダン・パリ』展である。
美術史では
印象派に分類される。ただ、マネ自身は印象派展には、1度も参加していない。印象派の詳しいことについては、以前書いた
「UTによる印象派講座」を参照していただくとして、当時フランスでは絶対権力としてサロンがあり、画家として名を成すにはには、このサロンへの入選が絶対条件だったのだけれど、それに反発を持った画家たちが印象派展を開催する。1863年のサロンでは、ナポレオン3世が「落選展」を開催し、そこにマネの有名な作品《草上の昼食》も落選作品として出品された。1865年のサロンには《オランピア》が展示された。この両作品とも大変なスキャンダルとなり、マネは笑い者となる。また、1867年のパリ万博のサロンの審査に抗議して、万博会場の近くで個展を開催したし、つまりマネはかなりの革命的な存在であり、新しい価値観を生み出したわけである。
そんなマネの周りには、啓発された画家たちが集まって、バティニョール界隈のカフェ・ゲルボアに集うようになった。このなかには、モネやルノワールなど多くの有名な画家がいる。そんな画家たちが中心になり印象派展を行っても、マネは1度も参加しなかったのだ。つまりは、個人として公式に認められること、サロンでの入賞、このことにマネはこだわって、画家としての出世の道が途絶えることを恐れ、反体制的な新たな活動には加わらなかったのだ。
1866年には、小説家の
ゾラと出会い、ゾラはサロンに落選したマネを擁護する文章を書いたが、このことによって、ゾラは記者の職を辞職に追い込まれた。
以上のように、ザッと簡単にいくつかの事柄を挙げても、大きな存在だった画家であるし、実際作品はそれまでのアカデミズムとは違い、平面的な塗り、太い輪郭線、デフォルメ、主題を無視したヌードなど、美術の流れに大きな影響を与えた。
1878年には、万博の審査を嫌い、100点の自作で個展を計画。作ったカタログに載せたスローガンは「1000人の強みか、それとも1人我が道を行くか」だった。
さて、マネのことが長くなったけれど、展示の話。
美術館は凄く立派で、展示にも期待に胸を膨らませて入った。
あんまり調べずに行ったので、行く前はマネの作品は数点だと思っていた。が、実際に観てみると、ほとんど全部がマネの作品!豪華!!
マネの重要作品、というか、個人的に気になっていた作品とか結構多く来ていたので、かなり楽しめた。
やっぱり実作を前にすると、ずっと見ていたくなるような、そんな作品。
問題点は、美術館の構造だろう。
もともとあった建物を、可能な限り再現したのが、この三菱一号館美術館である。そのため、展示室は美術作品を展示する空間、というこを前提にしていない。
なので、各展示室が狭いっ!それも、驚く程!!これは大問題だと思う。
幸い、僕の行った時は、人は沢山いたけれど、でも充分1作1作をじっくりと観ることが出来る余裕があった。なので、特に見たい作品とかは、たっぷりと見る事ができた。マネの展覧会で、こんなことが出来て本当に良かったと思う。
でも、今後展覧会の紹介とかがされていって、もっと人が混雑したら、……正直動くことが難しいレベルになるのではないだろうか?と心配している。
なので、観に行く方は、なるべく会期の終盤になる前に行くことをオススメします。
展示内容自体は良かったです。
美術館の中庭。
[メモ]
7月25日まで