今日は、午前中に日本画木曜会の指導へ行った後、六本木へ行ってきた。
地下鉄を降り、地上へ出て、腹ごしらえして美術館へ向かおうという時、まさかの大スコール。濡れながら、国立新美術館へ。
オルセー美術館展2010「ポスト印象派」
昨日始まったばかりの展覧会。
オルセー美術館自体が、現在改修工事中なので、この機にけっこうな名品たちが各国を巡回するのだが、それがこれだ。
雑誌などで出品作を見てみると、本当にこれらがくるの!!というラインナップなので、かなり楽しみにしていた。
「ポスト印象派」とは、フランスで印象派の運動が起こった後、その流れの後に続いたアカデミックにこだわらず革新的な作風を模索した画家たちのことである。昔で言うところの“後期印象派”。だが、この呼び方はそもそも誤訳だし、誤解が多くなるのでやめましょう。
具体的に画家を何人か挙げれば、セザンヌやゴッホ、ゴーギャンなどである。
さて、展覧会は、印象派の作品、
モネやピサロ、ドガなどの作品から始まる。
そして、その後もそうそうたるメンバー。
しかも、その点数がそれぞれ結構多いっ!
その後も、ゴーギャンに多大な影響を受けたポン=タヴェン派、ナビ派の画家たちであるベルナール、ドニ、
ボナールなど、個人的に好きな画家たちが続き、さらにルドンの《目を閉じて》などまで展示されていた。終盤には、
アンリ・ルソーの大作が2点。
そして、これは重要なんだけれど、出品作がケチじゃない!
凄いクオリティの作品たちが来ている。
例えば、ゴッホなら《アルルのゴッホの寝室》や《星降る夜》、それに有名な《自画像》など。
ゴーギャンで言えば、《「黄色いキリスト」のある自画像》や《タヒチの女たち》などなど。
セザンヌも、《サント=ヴィクトワール山》のしかも良いやつが来ていたし、果物のある静物画もこれまた良いやつが来ていたんだな〜。
他にも、挙げればキリがないけれど、今回の個人的目玉は、ポール=セリュジエの通称《タリスマン》!!→
僕は、この作品が今のMacBookのデスクトップの壁紙です。
この作品は、ゴーギャンから指導を受けたセリュジエが描いた作品なのだけれど、なぜ「通称」かと言うと、ナビ派の画家たちから護符(=タリスマン)と呼ばれて親しまれていた事から、現在はこのタイトルが流通しているから。なので他に正式なタイトルがあり、出品リストによれば《愛の森を流れるアヴェン川》。僕が以前知った正式なタイトルでは《ポン=タヴァンの愛に森の風景》。
しかし、その小ささに驚いた。決して大きくはないだろう、とは思っていたのだけれど、まさかあれほど小さいとは…。この色んな意味での新鮮な感動が、実作を見る醍醐味だし面白いところである。
初めて授業のスライドで見た時に、衝撃を受け、以来ずっと気になっていた作品。こうして見れて、嬉しかった。
こうして100年以上前の作品が、今も名品として残っているのには、それなりの理由がある。やはり、そういった作品は良いし、時間という名の過酷な“ふるい”を超えてきただけの強度があるのです。
それに対峙するという体験。
よくよく考えると、なんとすごい“出会い”なのだろう。
作品を見るとは、そういう事なのだ。
だから、見もせずに、知った気になってはいけない。
本当に、最初から最後まで、かなりのクオリティを維持して、楽しませてくれた展覧会。
『○○美術館展』っていうと、期待して行っても、ガッカリする事が多々ある。先日の『
ボストン美術館展』も正にそう。今までに行った『○○美術館展』では、パッと思い出す限りだと、2005年の10月に観た『
プーシキン美術館展』が1番だった。
しかし、今回ついにその王座を奪還する展覧会となったかもしれない。
つまりは、それくらい良かったのだ。
さすがに人は沢山いたけれど、会期2日目ということもあって、人は多いけれど充分にじっくりと観る事ができた。まだ、それくらいの余裕ある状況でした。是非、混む前に。おすすめです。
[メモ]
8月16日まで