昨日、日曜日だし遠出でも、と、電車を乗り継ぎ、千葉へと行ってきた。
千葉の美術館といえば、佐倉にあるマイベスト美術館「川村記念美術館」。
『ロスコ展』などで、何度か足を運び記事にしてきた。
で、昨日はそこではなく、千葉駅から徒歩圏の千葉市美術館へ。
伊藤若冲の展覧会を観るため。
気になる展覧会ではあったのだけれど、行くかちょっと迷っていて、でも、
長谷川等伯展レセプションでお会いし、先日の
山本丘人展のレセプションで名刺交換させて頂いた、日本美術史家の方から招待券を頂いたので、これはきっと行けという啓示なんだ、と旅立ったわけです。
それにしても、千葉って遠い!
東京から数駅となりのつもりでいたので、余計遠く感じました。
余談はさておき…。
伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)[1716-1800]は、江戸時代の日本画家。京都の青物問屋「枡源」の長男。23歳の時、父源左衛門の死去に伴い、4代目を襲名するも、30代半ばに家業を弟に託し、作画三昧の生活に入る。一時期、美術史から忘れ去られていたが、近年『奇想の系譜』などをきっかけに再評価され、特にここ数年はブーム。
今回は、以前の
『皇室の名宝』展と違い、若冲の水墨画に焦点を当てた展覧会であり、掛け軸や屏風の水墨画が多く展示されている。
会場に入ると、会期も終盤の日曜のせいか、それなりに混んでいた。
最初の方の作品を見ていると、なんか若冲っぽくない。「こういうのも描くのか」と思いながら、近づいてキャプションを見てみると違う作家。どおりで。最初に違う作家の作品が少々展示されていて、その後、若冲の作品となった。
若冲の作品になると、明確に「若冲だ」とわかる。最初に他の作家が数点あったせいで、余計にそのことを感じた。
他の作家たちはピチッと決まっていて、それが“決まりすぎていて”固い。しかし、若冲は柔らかく、軽やかで、捕われず解放されたような筆跡である。
伊藤若冲のことは、以前公民館の日本美術史講座でも授業をしたので、より興味深く観ることが出来た。
若冲は、初めは狩野派に学んだのだが、いくら狩野派の手法を学んでも所詮狩野派の枠は超えられない。宋元画を学んで、おびただしく模写をしてみたけれど、宋元の画家が「物」に即して描いたものを“又描き”したところでかなうはずもない。ということで、自分で物にあたって描くしかない、と思い立ち、現実に、そして身近にいるニワトリなどのモチーフ。動植物などを描くようになった。
ニワトリ数十羽を窓下に飼い、何年も形状を写し続け、それから観察を他の草木や虫、魚へと及ぼしていったのである。
自然、今回の出品作もそういったモチーフが多い。
小さな生き物、生きとし生けるものたちを、真摯に見つめた若冲だからこそ可能な、そのような表現がある。ユーモラスな形態なども、それ故だろう。
若冲は、商売や金儲けには全く興味を示さなかったが、生き物には慈しみの心を持っていた。雀が捕らえられ売られているのを見て憐れに思い、数十羽飼って自宅の庭に放し飼いにしてやった、というエピソードは有名だ。
そんな、優しさと、眼差しを、若冲の絵は感じさせてくれるな、と作品を見る機会がある度に思う。
さて、今回の目玉は、《象鯨図屏風》である。これは、2008年に北陸の旧家で発見され(たしか、蔵かなんかから出てきたんだと思う…、記憶が曖昧)、辻惟雄氏の鑑定などにより、伊藤若冲の真筆と鑑定された、まさに若冲作品に加わりたてのほやほやの作品なのである。
左隻に潮を噴いている鯨、右隻に鼻をパオーンとやっている象が、独特のユーモラスな形態で描かれた六曲一双の作品。
まだ実作を生で見たことが無かったので、これを見れるとあって非常に楽しみにしていた。
他にも、まるでデジタル画像を超拡大した時のように1cm四方くらいの小さな四角に区切られ彩色された「桝目描き」の作品《樹花鳥獣図屏風》も出ていたが、今回は静岡県立美術館所蔵のもので、以前観たプライスコレクションのものと比べるとあまり綺麗じゃなかったな。色が鈍かった。
と、力の入った大作も出品されており、かなり気合いの入った伊藤若冲の展覧会だった。
さりげない、僕らの隣にある生き物の世界。植物の世界。それを描いた作品には、不思議なリアリティがある。
ひたすらに見続け、心を通わせ続けた若冲だからこその、「私にはこう見えている」という世界。愛すべき生命。
こういうことを表現するのは、絵画でなければならない。
自分にどう見えているか、という私的言語を絵画として持つこと。これこそが、画家にとって重要なのだ。
鶴もニワトリも、なんと愛嬌のあることだろう。
[メモ]
6月27日まで