アーティスト 加藤雄太 のブログ
展覧会のレヴュー、本の感想、その他制作の日々の模様など。
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『バーネット・ニューマン』展
 今日は、ものすごく楽しみにしていた展覧会へ行ってきた。
 会場は千葉県佐倉市の川村記念美術館なのだが、やはりこれは行くしかないと重い腰を上げる。

 『バーネット・ニューマン』展。
展覧会『バーネット・ニューマン』展

 バーネット・ニューマン(Barnett Newman)[1905-1970]は、アメリカの画家。ニューヨーク出身であるが、両親はロシア領ポーランドから移住してきたユダヤ系移民であった。所謂、抽象表現主義を代表する画家の1人。

 いやぁ、僕はニューマン好きなんですよ。
 久々の川村記念美術館。前回来たのは…、3月のロスコ展か。
 大好きなロスコ作品の部屋「ロスコ・ルーム」もあるこの川村記念美術館。常設に「ニューマン・ルーム」があるのは皆さんご存知でしょう。ニューマン・ルームは、ニューマンの《アンナの光》1点のみの為の大きな展示室。その空間は体験するに値します。
 しかし、今回はニューマンの展覧会のため、ニューマン・ルームは閉鎖されていて、《アンナの光》は企画展示室に移動されていました。

 ちょうど正午頃に美術館に着き、ほぼ貸し切り状態の館内へ。所蔵品はさらっと観て、ニューマン展会場へ。

 第1室。
 作品1点のみの暗い部屋。
 入った瞬間、雷に打たれたような衝撃。それぐらい、良い作品があった。

 《存在せよ 鵯》

 赤い画面の中央に、白い縦の線があるだけの作品なんだけれども……すごい。
 いつまでも視ていても、尽きることなく迫ってくる深さ。
 白い縦の細い線がもつ無限の言葉。

 ちなみに、ニューマン作品に特徴的なこの縦に走る線(色面)は、「ジップ」と呼ばれている。ファスナーのジッパーから来た言葉だけれど、これは彼の多くの作品に見られる表現。1948年、《Onement》という作品でこの表現に到達し、新時代を切り開いた。

 そして、もう1つニューマン作品についての大事なことは「崇高さ」である。
 ニューマンの言う「崇高さ」は、ヨーロッパ的な美とは別のもの。むしろ、そういったヨーロッパ的な美や伝統から離れ、解放されることで到達するものだと言っている。

 その後も連作の版画や、勿論始めて見るペインティングなどが続き、意外なことに立体が1つあった。
 《ここ 鵺》という作品。
 3本の錆びた鉄(?)が垂直に立っているだけの作品。
 初めは何となく見ていたが、この垂直が生み出す上空への力と、何より、キリストの磔刑が見えた時、得も言われぬ崇高さが現れた。

 その後は、ニューマン・ルームから移動している、最晩年にして最大の大きさである《アンナの光》が、1室を堂々と占拠。
 久々に見るこの作品、やっぱり良いなぁ。
 高さは3メートル近く。幅は6メートル強。
 作品の前に立ち、真っ赤な画面を見つめる。
 すると、タイトルに「光」とあるように、不思議と作品から光が感じられてきて、溢れ、迫ってくる。
 視界はニューマンの作り出した光だけで埋め尽くされた。

 最初の展示室の背面にこう書いてあった。
-------------
ここに展示した絵画は「抽象」ではありません。「純粋」思考を描いたのとも違います。特定の個別的な感情を形にしたもの、体験されるべきもの、感情そのものの絵画なのです。暗示的な描写など何もありません。抑制された苦悩(パッション)に満たされ、個々の凝縮したイメージとして痛切さが滲み出てくるのです。 ――1950年、最初の個展における声明
-------------

 ニューマンの作品は、場を表出する。つまり、作品の前に立つと、私は確かにそこにいる、という感覚を持つ。
 そして、圧倒的な孤独を感じ、自分は他の誰でもない自分であり、誰とも繋がっていないことを確認して、しかし、他の誰とも繋がっていることを感じて欲しい、とニューマンは考えたらしい。



 そして、ロスコ・ルーム。前回はロスコ展でロスコ・ルームが閉鎖され移動していたので、久々にロスコ・ルームで作品を見た。
 やはり、この調整された薄暗い部屋で見ないと!!
 この部屋にゆったりといて、ロスコ作品に囲まれるという、なんという至福。
 何度見ても、初めて見たような新鮮さを受ける。

 ニューマンにしても、ロスコにしても、圧倒的な強度。それを今回改めて確認し、思い知った。
 どうしようもない、絶対的な存在感。
 そして、スケール感。
 気づいたんだ。サイズは測るものだが、スケールは感じるものだと。


 おすすめです。


 ちなみに、今回は、東京駅から高速バスで行ってきました。直通便が始まったのです。
川村記念美術館 高速バス
 ↑所蔵品(!)のレンブラント作品がプリントされている。
 皆、存在をしらないのか、ガラガラだった。グッと川村記念美術館が行き易くなりましたね。
 上りと下りが、1日に各1本の運行なので、帰りは時間が空くから、いつもどおり送迎バスと電車で帰ってきた。

 それにしても天気に恵まれた。
 美術館の広大な敷地。
川村記念美術館 庭

 鳥さんが沢山いたよ。
川村記念美術館 鳥1

川村記念美術館 鳥2



[メモ]
川村記念美術館 (千葉県佐倉市)
12月12日まで
[告知] 美術鑑賞講座
 それから、僕がMac使いながらスライドとともに解説する美術鑑賞講座の告知です。

 今まで、西洋ver.と日本ver.とそれぞれ1回ずつやってきた不定期企画、美術鑑賞講座ですが、この秋も開催が決定しましたので、お知らせします。

美術鑑賞講座2010チラシ
 今回は、再び西洋。ゴッホ展が開催されているのも考慮して、1回目は「ゴッホとゴーギャン」、2回目は「シュルレアリスムを中心に20世紀のアート」、です。
 詳細は、上記画像をご覧下さい。

 事前申し込み制です。
 で、今月の6日から申し込みが始まったようなのですが、既に記載されている30人を数日で越えてしまったそうです。ですが、教室は60人まで入れるので、60人までは受け付けるとのことです。
 あと、2週目のブリヂストン美術館見学は、既に定員に達しこちらは美術館側の都合上、人数を増やせないそうなので、今後申し込まれる方はご了承下さい。

 今回も、きっとスライド豊富になるでしょう(←まだ準備してない)。かなりボリューミィで濃厚な講義にするつもりなので、ご都合のつく方は、是非是非ご参加下さい!


 と、文化祭やら、なによりこの講座の準備やら、アートフェア巡りやら、砂の個展手伝いやらで、11月が終盤までは忙しくなりそうでございます。
公民館文化祭
 今日は、日本画木曜会の授業の日ではなかったのだけれど、公民館へ。
 というのも、明日(金曜)から公民館で毎年秋の恒例の文化祭が始まるからだ。当然、我が日本画木曜会も参加するので、会場設営してきました。

 今年も1作品、僕も展示することに。
 しかし、今日は生憎の雨。この中作品を持って行くのか……。と、途方に暮れそうになるが、一気に秋めいた空気の中、作品を手に駅へ。しっかりと梱包して、小雨対策。
 流石に、向こうの駅からはタクシーを使った。

公民館文化祭2010

 去年よりも、飛躍的に作品のグレードが上がった気がします。

 講座が始まって2年と少しですか…。
 まだそれしか経ってないのか〜、というくらい、長く教えている気がする。
 展示した作品を観て、着実に上達しているので、なんか感慨にふけります。

 兎に角、良い経験させてもらってます。

 ちなみに、どしどし新メンバー募集中なので、興味のある方はご参加下さい!


[文化祭詳細]
10月22日(金)〜24日(日)
9時〜16時(日曜は15時まで)
会場:岸町公民館(さいたま市浦和区岸町5-1-3)
『ハーブ&ドロシー』[映画]
 今日は、映画『ハーブ&ドロシー』の先行上映を観てきた。
 会場は上野の東京国立博物館。

映画『ハーブ&ドロシー』

 これは、アート・ドキュメンタリーなんだけれど、ちょっと変わったお話である。

 登場するのはハーブ・ヴォーゲルとドロシー・ヴォーゲル。基本的には、ニューヨークに住むごく普通の夫婦である。ハーブは元郵便局員、妻のドロシーは元図書館司書。
 さて、この2人が、なぜドキュメンタリーの被写体となったのかというと、この夫婦が類い稀なアートコレクターだからだ。

 2人とも、もともとはアーティスト志望で、絵を描いていた。自分たちの作品を部屋の壁に飾り生活していた。だが、ある時ふとしたきっかけで、他人の作品を買い、購入した作品を飾って暮らす方が楽しいことに気づく。以来、妻ドロシーの給料で生活し、夫ハーブの給料で、アート作品を買う、という生活が始まった。
 どちらかというと、低所得層の夫婦らしい。しかし、コレクションへの情熱は半端じゃなく、日々ギャラリーやアーティストのスタジオを訪ね歩いては、作品を購入していた。

 コレクションのルールは、ごく単純。
 1. 自分たちのお給料で買える値段であること
 2. 1LDKのアパートに収まるサイズであること

 どんなに無名だろうが関係ない。ただ「欲しい作品か」ということだけで作品を買う。
 そうしてコレクションしていった作家たちの中には、今や売れっ子作家もいるが、当時はまだ無名だった。本当に自分たちの審美眼だけでコレクションしていったのだ。

 そして、ただの1度も売ったことがない。
 利益を目的としたコレクションや売買は一切しない。

 そんなコレクション人生も約30年らしい。
 全米中の美術館がヴォーゲル夫妻のコレクションに注目し始め、日本で暮らす僕らは全然知らなかったが、かなりの数のメディアが取り上げ、アメリカでは名の知られた人たちだったようだ。

 コレクション総数は、4700点以上。
 それらが、ワシントンのナショナル・ギャラリーに寄贈された。


 映画は、そんな夫婦のコレクション生活を描く。ギャラリーを巡る様子や、アトリエを訪問しアーティストと交わす親し気な姿。そして、狭いアパートでの、でも大量すぎるコレクションに囲まれた2人きりの生活。
 美術館やギャラリーの関係者、そして何より、まだ無名で誰も見向きもしなかった時代から作品を買ってもらったアーティストたちへのインタヴューがふんだんに収録されている。

 監督は日本人で、今回が映画デヴューとなる佐々木芽生さん。4年かけて完成した映画だ。

 正直、観る前は「そんなに面白くないかもな〜」なんて思っていたんだけれど、…そんなことは杞憂だった!
 本当に面白かったです。

 2人の人柄が、良く現れた作品。
 有名アーティストの個展のオープニング会場なんかで、みんなが着飾って社交している中、普段着でヨタヨタと入ってきて、会場の椅子に座る小さなふたり。
 そこにね、会場のアーティストやらアート関係者やら、みんな吸い込まれるように挨拶に行くんだよ。

 インタヴューでも、皆が本当にこの2人を慕っているのがよくわかって、なんか微笑ましかった。つい安く売っちゃうらしい(笑)。

 で、会場中が笑っちゃうようなシーンも沢山あって、コメディー要素も豊富。ホントお茶目です。エピソードが笑いになっちゃう。

 でも、僕自身、自分でも意外なことが、終盤くらいから起こった。
 よくわからない、説明のしようのない涙が、込み上げてきたのだ。
 きっと、作品を通して、何か重要なメッセージが見えてきたのかもしれない。特に、僕自身がアーティストだから。
 兎に角、泣かないように堪えるのに、必至だった。
 本当に感動してしまった。

 簡単に言うと、ああいう人がいること、っていうのかな…。これはちょっとまだ言語化できない。

 ネタバレになると、これから見る人がつまらないだろうから、なにがどう笑えたとか、そういうことは一切伏せておいて、こんなところにします。


 兎に角、おすすめです。
 こんなに良い作品は久しぶり。
 上映後は、監督のトークもあって、僕自身も質問させて頂いた。

 でも、出演しているのは日本では有名人でもなく、マイナーな内容だからだろうか、配給会社を見つけるのに、相当な苦労があったらしい。ようやく日本での公開が決まったと。
 宣伝費もなく、広告とかは全く打てないそうなので、こうして先行上映の感想を書くことで、少しでも広める力になれればと思います。

 さて、本公開は、11月13日の渋谷イメージフォーラムを皮切りに、続いて各地でも公開される。


[オフィシャルサイト]


『ゴッホ展』
 先週の水曜(6日)に行ってきました。ゴッホ展。
展覧会『ゴッホ展』

 国立新美術館にて。行く時期が遅くなれば遅くなる程、絶対に混むだろうから、即行ってきたわけです。

 フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)[1853-1890]は、オランダ出身の画家。画家としてはフランスで過ごす。美術史上は、今までは印象派、あるいはポスト印象派に分類されることが多かったが、象徴主義に分類するのが現在の主流となっている。
 牧師の家に生まれ、美術商に勤めるが辞め、自らも説教をしたり布教活動をしたりしていたのだが、炭坑で異常な程な熱心に布教活動を行った為、皆が気持ち悪がり、伝道師を辞めさせられた。
 その後、画家になる決意をしたのは、27歳の時、死んだのが37歳なので、画家としてのキャリアは10年しかない。しかし、その10年で残した作品は約2000点。2日で1作くらいの驚異的なペースで制作していたことになる。有名な話だが、生涯で売れた作品は1作しかなく、それも弟のテオの奥さんが買ったものだ。死後に名声を得た最も代表的な画家である。
 フランスのアルルの「黄色い家」での、ゴーギャンとの共同生活は有名な話。
 最終的には、オーヴェル=シュル=オワーズの地で、自ら銃弾を腹部に放ち、数日苦しんだ後、息を引き取った。
 ゴッホと言えば、まだまだその人物や人生について語ることは多いが、切りがないのでこのへんで。

 数年前にも、大規模なゴッホ展があったと思うが、久しぶりのゴッホ展である。
 今回は、ゴッホの作品と、その他ゴッホと関係のある画家の作品、あわせて123点で構成。
 また、アルルの黄色い家の「ゴッホの部屋」を、絵から寸法を割り出し、実物大で再現したという試みもあった。これはこれで、想像以上の狭さにビックリし、もしあれが正確ならば、ゴッホの絵画への昇華の仕方の片鱗が伺えて良かったと思う。

 さて、作品の方は、時系列順に並び、ゴッホの生涯にわたる作品の変遷を追えて非常に良かった。
 特に今回は「模写」に焦点が当てられていたように感じる。つまり、ゴッホはほぼ独学の画家な訳だが、その勉強の姿勢や方法が強く出ている展示であった。
 特に、鉛筆でのデッサン。ゴッホが手本にした原画と、そのデッサン模写が並べて展示してある。こういったのが多数あり、結構面白く鑑賞した。すごくひたむきだったのだ。

 このことでも、よく分かるのだが、ゴッホが如何に自分を見つめることが出来て、知性の人であったか!!
 よく世間では「狂人」とか「炎の人」と言われて、狂っているゴッホが強調されがちである。だが、作品を見ていくと、あるいは生涯で非常に多く残した手紙を読んでいると、全く違う面が見えてくる。
 自分には確かに狂気がある。でも、そんな自分を、私(=ゴッホ)は静かに見つめている。そういうゴッホがあまりにも軽視されているのが悲しい。
 どう考えても、ただの狂気だけでは、ああいう絵は描けないよ。あんな風に文章は綴れないよ。
 激しい内面を持ちながらも、冷静に客観的にそれを見つめる精神。それがゴッホの芸術を魅力的にしたのだと思う。

 そのことは、模写だけではなく、生涯の作品を辿れば、自ずとわかるだろう。

 時系列順に作品が並んでいるので、最初から最後まで一通り観た後で、最初に戻ると、その変化の凄まじさに驚いた。
 初期の、暗い色彩から、晩年の激しい色彩への変遷。その過程を見ていけるのも面白いし、良い機会だ。
 何を思い、このように絵が変化していったのか、思いを馳せながら眺めるとき、僕らは時間を超える。

 いつかこのBlogで言ったことがあったかわからないが、僕は近年、すごくゴッホが好きになってきていて、作品がすごいと思うようになった。たまらなく魅力的なのだ。何かが、あるんだよね。
 この人の、絵画への、芸術への思いは、半端じゃない。
 その絵に込められたものも、圧倒的な強さを持って、作品の前に立つ者に迫ってくる。


 会場は、僕が行った頃はまだ始まったばかりだったのに、やはり混んでいた。並んで待つ、とかそういうのは全くないが、とりあえず空いてはいなかった。
 でも、大した混雑ではなく、全ての作品を充分じっくりと鑑賞できる程度だったので、やはりあの時行っておいて良かったと思います。
 今後どんどん混むだろうから、早めに行くことをおすすめします。


【参考:過去のゴッホについての記事】



[メモ]
国立新美術館 (六本木)
12月20日まで
『名和晃平』展など
 個展が終わり、ちょくちょく展覧会巡りへ行き出していて、先週もいくつか行った。
 とりあえず、復帰初戦だった日の記録を。

 上野。SCAI THE BATHHOUSE。ちょくちょくこのブログでも書いている、元銭湯の建物のギャラリー。アーティストラインナップは、世界クラスです。

展覧会『名和晃平』2010
 お目当ての、『名和晃平 Synthesis 』展。

 名和晃平は1975年生まれの若い作家なのだけれど、既に国際的に活躍しているアーティスト。
 あまり調べたりせずに、先入観なく観に行った。
 作品は、鹿の剥製を透明の大小様々な球体で覆ったもの。
 いや〜、良かったです。
 なんというか、クオリティがすごい。

 鹿は、沢山の球体で隙間なく覆われているので、球体が透明といえど、全貌は見えない。
 で、全身のものや、壁にかけられた頭部のものなどがあるのだけれど、どれも全て2頭組なのだ。うまく接合してあるのだろう、どこがどうなって2頭が合体しているかはわからない。
 そもそも、「Synthesis」は、接骨や接合という意味のようだ。

 僕は、プレスリリースも何も読まずに行ったので、自由に解釈したので記録しておくと、ぷつぷつと鹿を取り巻く透明の球体は増殖する細胞、それぞれ2頭ずつなのはセックス、すなわち生殖。この2つの要素が相まって、肉眼では不可視の細胞の死滅増殖の世界と、セックスという肉体的な個体の増殖の世界とで、生命を表現しているように感じた。

 ただ、これは僕の勝手な解釈なので、一応ちゃんと今調べてみたので、簡単にまとめておきましょう。
 この鹿さんのタイトルは《PixCell-Double Deer》。PixCellは「Pixell(画素)」と「Cell(細胞)」を合成した造語。ネットオークションというデジタルな世界で出会ったものを、実際に手元に物質として取り寄せ、その表面をガラスビーズで覆うというアナログな手法でそのオブジェの表面の情報を操作し、彫刻(PixCell)に置き換えたもの。
 特に、今回の新作は、コンピュータ上で行っているコピー&ペーストを、実際の彫刻で試みた作品。
 …とのこと。

 兎に角、インパクトすごいですし、必見の展覧会。
 名和さんは、来年6月に東京都現代美術館で個展が決定しているらしく、こちらも楽しみ。


[メモ]
SCAI THE BATHHOUSE (上野)
10月30日まで



 この日は他には、銀座のギャラリー小柳で『オラファー・エリアソン feeling things』展。
 世界的に活躍している光のアーティスト、オラファー・エリアソンの個展。
 楽しみにしていたのだけれど、イマイチだったな。
 自分の影が壁面に何重にも映る作品が2つあり、僕はマイケルの「Smooth Criminal」ごっこをしていました。それぞれ価格は2600万円ちょいだったかな…。
 あとは、映像が1つ。大きな作品は、この3つだったと記憶している。
 ボリュームや感動という意味でも、物足りなかった。

 10月28日まで。


展覧会『仙崖』
 その後、ちょろっと途中にあるギャラリーに寄りつつ、出光美術館で『仙厓 ―禅とユーモア―』展。

 こちらはこちらで、ガラッと雰囲気が変わって。
 仙厓義梵(せんがいぎぼん)[1750-1837]は、臨済宗の僧侶であり、画家。
 《○△□》とか、ユニークな書と言えば良いのか絵画と言えば良いのか、そういった作品も残している。

 兎に角、観ていると、筆運びが自由奔放!それでいて人間味があるっていうか、なんか仙厓がニヤニヤしながら作品を見せてくる感じがして、あったかいんですよ。

 こちらは、11月3日まで。


 という具合の、復帰戦でした。
 最近、個展後のばたばたでこうしてまとまった記事書けてないけれど、もうちょい行った展覧会があるんで、また書いていこうと思います。
個展の写真
 ホームページをリニューアル後、過去の展覧会の会場風景の画像コーナーがなかったのですが、ついに復活させました。
 で、とりあえず、今回の個展の画像を沢山アップしておいたので、どうぞご覧下さい。
 「Photos」というコーナーです。

初日の夜の様子 the MOVIE
 えーと、実は個展初日の夜の様子を、リンタロさんがデジカメでムービー撮影してくれたのです。

 でも、いざ見てみると、なんかすごい恥ずかしいんですが、でも、ここはあえて、そういう自虐的なことも堂々と出来ないといけない!という、謎の思いから、YouTubeにアップしてしまいました。

 iMovieで簡単な編集して、動画を繋いだりしておきました。
 色々とホームムービー感満載ですが(笑)、よろしければポチッと再生してみて下さい。

個展終了(今月の掲示板を兼ねつつ)
 土曜日を持ちまして、僕の個展『加藤 雄太 展 ―時は寄る辺のない海にも似て―』が無事終了しました。
 ご来場下さった皆様、本当にありがとうございました。

 報告を兼ねて、取り急ぎ写真を少々。

個展 時は寄る辺のない海にも似て 1

個展 時は寄る辺のない海にも似て 2
奥に見える作品は、幅261cmあります。

個展 時は寄る辺のない海にも似て 3
右のがDMに使った作品ですね。

個展 時は寄る辺のない海にも似て 4

そして、オープニングの様子も少々。
特別パーティーとかしたわけではないけれど、月曜の夕方は、沢山の人が来てくれました。ありがと〜。
個展 時は寄る辺のない海にも似て オープニング1

個展 時は寄る辺のない海にも似て 2


それから、何人かの方々には、Blogに書いて頂いたので、ご紹介させて頂きます。ありがとうございました!

ありがとうございました!!

その他、参考サイト。