アーティスト 加藤雄太 のブログ
展覧会のレヴュー、本の感想、その他制作の日々の模様など。
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東北地方太平洋沖地震
 前回の更新から、大きく間が空きました。
 この間に、実に様々なことがありました。

 3月11日から1ヶ月が過ぎ、今なら当時を思い出して、回想出来ると思う。

 3月11日。僕は、池袋の西武百貨店内でアルバイト中だった。
 3階の百貨店の巨大な屋内駐車場の脇の小さな通路で作業していたら、ゆっくりと揺れ始めた。
 最初は、地震か、程度にしか思わなかったけれど、ゆっくりとした揺れは静かではあるけれど大きく動いていたように思う。それがしばらく止まず続いた。次の瞬間、揺れは激しくなった。
 ここの駐車場は、百貨店などの駐車場に典型的なコンクリートの柱や天井でできている。それが激しく上下にうごめきながらメキメキと音を立て、粉塵が舞い、天井はかけてパラパラと降ってくる。
 バキバキっと周囲の壁やコンクリートが音を立てる。
 27年間、地震大国日本で生きてきたが、そんな経験は吹っ飛び、恐怖を感じた。
 波打つ駐車場と破片が降ってくる駐車場を見たときは、正直、このままこの古い建物は崩れて瓦礫に埋もれて死ぬのだろうかとも思った。
 たまたま近くを通りかかった見知らぬ他の女性社員たちは、悲鳴を上げている。
 冷静にじっとしていることに専念するしかやることがなかった。

 この時思ったのは、ついに兼ねてから言われていて、たまにテレビで特集などを見たこともある、東京の大地震が来たのだ、ということ。
 しかし、揺れが収まり、休憩中に食堂のテレビで報道を見てきた社員とたまたますれ違ったので聞いたところによると、震源は宮城県沖だという。しかも、震度は7であると。
 その知らせは、僕を不安と心配のどん底に、一瞬にして突き落とした。
 遥かに遠い東京でこれだけ揺れたのに、震源のすぐ側の仙台では、一体どんなことになっているのだろうと。もう泣きそうだったよ、この時ばかりは。
 僕の実家は仙台である。

 悪いけれど、仕事どころじゃないので、電話をかけまくる。
 当然つながらない。

 そうこうしているうちに、先程と同じくらいの強さの余震。

 でも、幸い、父と電話が繋がり、家族の無事が確認出来た。
 あぁ、安堵とはこのことを言うのだろう。

 お店は間もなく営業を終了し、僕は歩いて家路についた。
 外に出ると、池袋の街中は、人で溢れている。
 中山道を通り、ひたすら北上する。
 多くの人が歩いて帰路についている。道路は車が連なり、歩くのとどっちが速いか分かったものではない。
 疲労と心配とショックで、ものすごい頭痛に襲われながらも、約2時間半かけて、埼玉の自宅へと辿り着いた。

 テレビをつけて見たのは、映画としか思えないような、悲惨な映像ばかり。もう皆さんもご存知の映像である。

 僕も、僕の家族も、親戚も、友人も、友人の家族も、無事だったことが確認できて、本当にその点は良かったと思う。
 今回のことで、思ったこととかは色々あるけれど、まずはここまで。
 無事です。

 そして、明日、仙台へ帰ってみようと思います。何ができるかわからないけれど。でも、今、故郷の地を踏むことが、非常に重要な気がしているのです。